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独行法反対首都圏ネットワーク

国家管理大学? −国立大学法人の「自主性」と「自律性」− 
 . 2002年2月14日  
独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局 

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国家管理大学? −国立大学法人の「自主性」と「自律性」−

2002年2月14日
独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

 2月10日の国立大学長会議(正式には国立大学長・大学共同利用機関長等会
議)において、遠山文部科学大臣は、国立大学法人法案のねらいをほぼ以下の
3点に集約して述べている(同会議における大臣挨拶)。第1は、法人化によっ
て国と国立大学との関係が「大きく変わる」こと、第2は、大学と社会との
「意思疎通」を図ること、第3は、大学の「トップマネジメント」の権限を強
めること、である。

 このような大学の法人化は、遠山大臣によれば、「明治以来の我が国大学制
度の大きな転換点」であり、「一人一人の教員、職員の方々の意識改革が不可
欠」とされるもの、つまり、現行の大学制度を根本的に改変するものにほかな
らない。法人化によっても現状は大きく変わらないのではないかという意識が
現在でも大学のなかには存在している。しかし、上記3点に明らかなように、
大学と国との関係、大学と社会との関係、大学内の執行部と教育研究の現場と
の関係いずれもが「大きく変わる」ことが、法人化によって期待されている。
そこで、法人化によって大学がどうなるのか、これを正面から問題にすること
が必要である。

1 大学の「自主性・自律性」? −国立大学と国の関係−

 遠山大臣の挨拶は、国立大学が「国から独立した法人格を持つ存在となり」、
「各大学の自主性・自律性は高まり、運営の裁量は拡大」すると言う。具体的
には、学長の任命・解任手続き、中期目標・中期計画の策定手続き、大学の業
績評価の具体的な制度化が重要であるとされている。

 これらの具体的な制度をとおして、果たして、大学の自主性・自律性が拡大
するということができるのか、それが問題である。これらの制度について大臣
が言おうとしているのは、おそらく、任命・解任に関する学長選考会議という
学内機関の申出、中期目標についての大学の原案に関する配慮義務、業績評価
における大学評価学位授与機構による評価の尊重、などによって大学の自主性
が尊重されているということであろう。しかし、これらは、独立行政法人通則
法との比較においてそう言いうるにすぎないのであって、基本的には、あるい
は現行の大学制度と比較すれば、新たに国の統制を付け加えるものにほかなら
ないのである。

 およそ、現行の大学制度は、大臣が言うように、「国の行政組織の一部とい
う位置づけ」のために国からの独立性がないというようなものではない。むし
ろ反対に、憲法による学問の自由・大学の自治の保障を頂点とする、教育基本
法や学校教育法の体系、国立大学設置法など国立大学関連法令は、国の財政責
任を明確にすると同時に、大学の運営、教育研究のあり方に関する広範な大学
の自治を認めている。こうした大学の自治を基礎にした現行の制度と比較すれ
ば、法人化は、「国から独立した法人格」を付与するというよりも、中期目標・
中期計画、評価制度、学長解任手続きなど独立行政法人通則法的なスキームを
導入することによって、大学の運営、教育研究に対する国の介入・規制を大幅
に強化し、それによって大学を国に従属させるものにほかならない。

 ではなぜ、このような法人法案について「自主性・自律性」を主張するのか。
この法案についてこれを語りうるとすれば、それは明らかである。それは、国、
文科省が、大学の自治の障壁を取り払うことによって、大学に対する「自主性・
自律性」を獲得するということである。「自主性・自律性」を享受するのは国
であって、大学ではない。「大学の自治・部局自治」は、まさに、国の政策を
大学に貫徹させるために障害となってきた壁であった。大臣挨拶における「大
学の自治・部局自治」に対する非難は、これを物語っている。また、2000
年春の自民党提言が「国策的研究の推進」を掲げていたことを想起するだけで
も十分である。国立大学の法人化は、決して、大学の自主性・自立性を高める
ことを目的としてなされたものではない。一言で要約すれば、法人化によって
大学の自主性・自律性は弱められ、国への従属が強化される。 


2 「社会」の大学運営への関与 −産業戦略としての大学改革−

 「大学改革」、「法人化」のもう一つの政策的ターゲットは、大学を産業に
有用な研究開発の拠点とすることであった。一昨年の「遠山プラン」が大学改
革を起点とする日本経済の再生を掲げ、産学連携、大学発ベンチャーなどの政
策が進行中であることは周知のとおりである。大学における研究開発のリソー
スをどのように有効に活用しうるか、そのために産業界の発言権を大学内に確
保する、それが今次大学改革のもう一つの導きの糸である。

 「従来までの国立大学の在り方については、大学自治、部局自治の名の下に、
社会から閉ざされた、あるいは社会から隔離された存在となりがちな面があっ
たことは、否定できないものと考えます」という遠山大臣の言は、こうした文
脈において理解しなければならない。「社会の幅広い知見を大いに大学に活か
すこと」が大切だというのもこのような意味においてである。具体的には、学
外役員の位置づけ、経営協議会の委員構成や審議事項、学長選考会議のあり方
などの制度が重要であるという。

 ここで挙げられている個々の制度は、いずれも学外者の大学運営への関与に
道を拓くものである。遠山大臣の発言は、これらの制度が、実質的に「社会」
の関与を意味あるものにすることが必要だという含意であろう。学外役員は形
だけのものであってはならないし、経営協議会は学外委員を過半数(法案概要)
とし、「経営」に関する実質的な審議を行なうものでなければならない。学長
選考についても学外委員(法案概要では原則2分の1)の実質的な発言権が確
保されなければならない、ということになる。換言すれば、大学運営に、「社
会」の、学外役員・委員の実効的な発言権が確保される必要がある、というの
が法人法案の趣旨なのである。

 したがって、法人法案によって、大学運営のあり方は根本的に変わることに
なる。産業界や官界の役員・委員が、大学運営の要を握る、少なくとも左右し
うることになる。大学は、社会から相対的に独立した自治組織であることをや
め、産業と産業政策の手段に貶められる。実利と実用に必要以上にウェイトを
置いた研究教育が、真の学問の発展を阻害することは明らかである。


3 トップダウンの大学運営 −企業体としての大学−

 「大学の自治」を否定し、国家の統制と「社会」の介入を実効的なものにす
るために、大学内部の運営組織、意思形成手続きを変えなければならない。そ
こに、第3のねらいがある。

 「部局の利害が優先され、ともすれば大学全体としての大胆な改革や速やか
な意思決定の障害になっていることは、誠に残念であります。…学長以下の責
任ある立場の方々が、大学全体の戦略的な運営の視点から思い切った変化を生
み出していくことが、これからの大学運営には欠かせぬものと考えておりま
す。」と大臣挨拶は言う。しかし、部局の意思を否定する「大学全体の戦略的
な運営」とはなんだろう。これまで大学は部局意思を基礎として全学意思を形
成してきた。挨拶は、そうした全学意思ではない「大胆な改革」やそのための
「戦略的運営」が必要だという。つまるところそれは、大学外から要請される
改革や戦略ではないのか。大臣が「誠に残念」というのは、文科省の方針が大
学に貫徹しないからではないのか、という疑いを生じさせる。

 調査検討会議が述べたとおり「トップダウン」の大学運営、民間経営手法の
導入が、法人法案の基本的な着想である。企業組織におけるように、「経営者」
がトップダウンで裁断する体制をつくりあげること、それによって機動的な
「経営」を行なうこと、これが誤って大学に適用されようとしている運営組織
の制度設計にほかならない。それはおそらく、大学を外部の力に従属させるた
めに、必要不可欠なものなのである。役員会の構成と役割の整理、研究教育と
教育研究評議会の構成と審議事項などが重要であると挨拶はいう。部局自治な
どのボトム・アップの意見が、迅速な意思決定を阻害しないように設計される
べきだというわけである。

 これによって「大学の自治」と、その基礎をなす「部局自治」は大幅に否定
ないし制限される。「大学の自治」とは、大学を構成する教員・研究者の自治
にほかならないからである。


4 要約

 上に見たように、閣議決定の予想される国立大学法人法案は、国立大学のあ
り方を、国との関係、「社会」との関係において、さらに大学自身の対内的関
係において根本的な変革をもたらそうとするものである。これまで、国立大学
や国大協に対して文部科学省は、現状を大きくは変えない、「大学の自主性・
自律性」を保障すると言いつづけて来た。そのために、実際には大きな変化は
ないのではないかと見る大学関係者も多い。しかし、そのようなものでないこ
とはもはや明らかである。少なくとも、法案が意図するところは、現在の大学
のありようを根本的に変えることであり、そのために教職員の意識改革も必要
とされている。

 要約すれば、「大学の自治」、「部局自治(教授会自治)」を基礎とする大
学から、国家的な統制の下でトップマネジメントによって「経営」される大学
に変わるのである。大学の目的は、普遍的な学問と研究、教育の追求から、国
家的な政策や産業界の要請に即自的に応える教育研究の「企業体」になるであ
ろう。