■東京大学は、国立大学「法人化」=独法化の準備を中止し、白紙に戻して再検討を求める勇気と決断を

東京大学は、国立大学「法人化」=独法化の準備を中止し、白紙に戻して再検討を求める勇気と決断を

2002年11月12日
東京大学職員組合

 さる9月18日に開かれた今年度第2回目の「東京大学運営諮問会議」では、「国立大学法人関連の法案は文科省で準備中であり、...11月半ばの国大協の総会までにはほぼ全容がわかるだろう。」(議事概要要約−未定稿)との見通しが、大学側から語られていた。
 しかし法案は、その骨格すらいまだに明らかにされていない。

 この間、東京大学では、21世紀学術経営戦略会議(UT21会議)が9月30日付で三つの検討委員会(「組織・運営機構」「財務・会計」「人事・業務・評価」)の報告書を発表した。
 この報告書は、大学の指針をまとめるのではなく、論点整理を目的としたためか、多くの部分は「草案」の域を出ていない。また「組織・運営機構」の報告書では、「統治(governance)」なる概念が提起され、その内実が懸念される。だが、「ボトムアップ型意思形成」を打ち出し、「評議会の重視」や「従来の総長選考手続に準じた手続で総長を選考」など、「最終報告」とは対立的な立場も表明している。
 現時点で大学側から、一部ではあるが「最終報告」への異議を示した点は、私たちとしても一定の評価はできる。

 しかし、この報告書の扱いは「学内の諸会議等においては今後の検討に大いに活用していただきたいが、...学外に対してはその取り扱いについて、充分ご配慮願いたい」(会議メモ)というものである。東京大学がこの報告書を公表した真の意図は定かではないが、法案作成に影響力を行使して事態を主体的に変えようという積極的な意思までは、到底感じられない。
 また、「財務・会計」の報告書では、国大協の専門委員でもある宮島委員長が、「財源措置、...等、国が法律または指針・基準を定めるものとされている重要事項について、...その公表は早くても平成14年度末」(はじめに)との認識を示している。

 東京大学が「最終報告」に対して実質的な異論があり、「法人化」の具体的な制度設計に大幅な時間が必要と考えるならば、スケジュールや「最終報告」の見直しを文科省や国大協に向かって主張すべきである。そして、東京大学の内部に止まる検討ではなく、大学にふさわしい制度をしかるべき時間をかけて構築する議論を大学内外に呼びかけるなど、努力の方向性を変えるべきある。

 一方、国大協はこの間、「法人化特別委員会」で法人化への対応を議論してきた。だが、公表された検討内容は、国大協が自主的・自律的な立場から法案作成に関与できず、事実上、文部科学省の下請け機関の役割に止まっていることを示している。中心的な議題は人事制度関連であったが、最終的には「人事制度についての参考事項」(第8回委員会)として取りまとめたにすぎない。見るべきものは、法制化対応グループが第7回委員会に提出した「国立大学の法人化に関する法制的検討上の重要論点(案)」のみと言える。ここでは、「法人化後の設置者は国であること」(論点2)など、原則的な立場から法案作成に向けた要請になってはいる。だが、法人化を「広義の独法制度」(論点1)とする点など、国大協総会としての確認事項に反する部分も見られ、国大協執行部の見識が疑われる。

 今、大学の現場では、法案の内容すら未確定な段階で、中期目標・中期計画の作成や承継物品目録の作成などに追われている。今年の東京大学大学院入試では、4研究科6専攻の筆記試験において7問の出題ミスが判明した。(学内広報No.1246)これも、法的根拠の全くない法人化準備が影を落としてはいないだろうか。(共同通信ニュース速報9月28日「大学院で入試ミス相次ぐ 法人化準備で教員多忙」)

 東京大学が、大学としての役割を果たそうと切実に願うならば、「法人化」=独法化それ自体をいったん白紙に戻し、再検討を内外に求める勇気と決断が、今こそ求められている。
 その際は東京大学の枠にとらわれず、国立大学全体と教育研究の発展を求める中に東京大学を位置づけてこそ、東京大学を含めた大学全体としての制度の充実が図られよう。歴史的に見ても、東京大学にはその責務を負うべき立場と責任があることを忘れてはならない。
 今回の国大協総会においては、「法人化」への再考を求める動きの先頭に、東京大学は立つべきである。

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