東京大学21世紀学術経営戦略会議(UT21)全体会資料(2002108日)

『新国立大学法骨格案(国立大学の性格・組織等)』の分析メモ

                                                          2002年10月15日
                                                         独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

 

この法案は「国立大学の性格・組織等」に限定されており、その意味では部分的な性格を持つ。

 

○ 設置形態については「国の設置する大学」として、いわゆる直接方式を主張。

○ 国立大学の使命にも「社会への貢献」=産業界への貢献というような字句が入らなかったことは良い。ただし、「⋯など国の政策目標の実現」は重大問題。

・大学憲章制定が有効かどうかは疑わしいが、なんらかの国家統制に対する縛りを企図しているのだろう。

・国立大学の活動の原則⋯「透明性」、「応答性」、「評価」など現状追随的な発想。

・評価制度に関する「以後の活動に反映⋯」という件は、意識的に財政配分との連動を断ち切る意図か

   最重要点は、役員規定以下の管理運営組織

 基本的には、評議会権限の強化、学長選考手続きの2点で「最終報告」の枠組みの変更を求めていると読める。

 ・学長選考は、「最終報告」の「学長選考委員会」の構想を排除して、評議会決定(このかぎりで現行と同じ)を採用。運営協議会(学外者を含む)の権限は、学長候補者調査委員会への関与に止められた。「最終報告」に部分的に妥協しつつ、現行方式を残そうという案と言える。その他の手続きを「各国立大学の定めるところによる」として全学投票の余地を残している。

 ・学長解任については、「最終報告」同様大臣による解任を認めているのは問題だが、「評議会の審査に基づいて」として縛りを明確にしている。また、「評議会の判定」「国立大学から解任の申出」とすることで、ある種のリコール制の可能性を含んでいる。「最終報告」では、曖昧な要件による大臣による解任のみなので、歯止めを掛けようとしている。

 ・評議会と運営協議会の位置づけは、基本的には「最終報告」の枠組みを下敷きにしているが、教育研究組織の設置・廃止と教員人事を評議会権限としたことは大きい。教特法的な手続きも入りうる。大学にとっては教育研究組織の設置・廃止と教員人事は決定的。「最終報告」では組織編成、職員配置が「経営面」に入る=運営協議会事項となっていたので、これらの事項が運営協議会に任せられる可能性があったろう。これは換骨奪胎。

 ・予算・決算は運営協議会事項になっている。これは、「最終報告」への妥協だろう。

 ・運営協議会の構成⋯学外者が全委員の半数⋯「最終報告」の図と同じだが、これは多すぎる。

 ・役員会:審議・議決で、最終決定権限。これは「最終報告」と同じ。実際の運営では評議会の審議を尊重するので現状と大きな変化はないというのが東大の希望的な考え方か。

 ・部局長の選任⋯「教授会の意見を聞いて」は、教授会が決定することを含意させたいのであろう。

   要するに、全体として、「最終報告」の枠組みを受け入れながら、重要なポイントでは大学の意志を通したい、という発想。制度の仕組みは、運用にかかる面が多いが、基本的には現状を大きく変えない、というもの。実際には、人事と組織が評議会・大学側で決定する領域になるので、外部者や政府の意向は、ストレートには入らないことを意図。ただ、予算・決算が運営協議会の権限に入るのは、アキレスの腱。これも、役員会が最終決定できるので・・・という考えと思われるが、財務をつうじた外部からの介入・支配の橋頭堡ともなる。

   東大案の総括的な評価としては、「最終報告」に全面的には従わず、大学の自主性を最大限確保しようと努力したものと思われるが、他方、「最終報告」の基本的な枠組みを受け入れる姿勢も示している。

   政治的には、こうした対抗案を出すことで「最終報告」が相対化されるというメリット、大学自身の要求が文科省案とは別だというアナウンス効果はあるといえる。しかし、このような案の基礎にある考え方を徹底するなら、「最終報告」全体の批判、「法人化」自体についての反対に行き着くのではないか。大学として、「法人化」しなければならない理由はないことを主張するべき時期だといえる。