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独行法反対首都圏ネットワーク

☆新山梨大誕生(上)(中)(下)
  [he-forum 4552] 朝日新聞山梨版10/02-10/04
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『朝日新聞』山梨版  2002年10月2日〜10月4日付

新山梨大誕生(上)生き残りへ
新山梨大誕生(中)新大学院の明暗
新山梨大誕生(下)目指す専門性

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新山梨大誕生(上)生き残りへ

 98年11月、玉穂町にある山梨医科大学長室。

 山梨大学長に就任間もない椎貝博美(68)は山梨医科大学長の吉田洋二
(69)にあいさつに訪れた。面会時間は限られていたが、会話は弾んだ。

 椎貝は河川工学専門。吉田は病理学が専門で、「医工連携で研究の幅を広げ
たい」と思いは一致した。その場でこんな言葉を交わした。

 「大学統合も考えた方がいい」

 「それは結構だ」

 互いに相手が統合を切り出したと回想するが、両者は会談前から統合の必要
性を認識していた。

 国立大学は04年度に独立行政法人化され、厳しい外部評価を受ける。80
年に教授として赴任した吉田は「山梨医大と聞いて、すぐに頭に浮かぶような
目立った特色はなかった」。思いは次第に危機感になっていた。

 椎貝はマサチューセッツ工科大や筑波大などの大規模大学を渡り歩いた経験
から「統合なんてものはすぐにやった方がいい」と感じていた。「狭い地域に
大学が二つあるのは効率が悪い。一緒になって新しい研究をしなければ生き残
れない」

 医者余りの時代に医学部単科では存在できない。少子化で工学部もやがてじ
り貧になってしまいそうな背景があった。

 半年後、両学長は大学院の融合を目指した約15人の検討会を合同で設置し
た。学内の抵抗が少ないと思われる大学院からまず踏み出そうとの考えだ。人
工関節の共同研究などで交流があったのが下地となった。

 山梨大工学部教授の鈴木嘉彦(55)は当時、上司から「大学統合も視野に
入れてくれるとありがたい」と言われ、検討会に参加していた。

 大学院融合にも抵抗はあった。医科大教授の前田秀一郎(54)は会議など
の場でほかの教授から「統合しなくても、医大は単独でやっていけるのではな
いか」と言われた。前田は「遠回しの表現だったが、偏差値が高い医科大は統
合で逆にイメージダウンするという懸念があったのではないか」と振り返る。

 融合して専攻がなくなったら大学は弱体化するのではないか。ならいっそ進
んで統合した方がいいのではないか──。

 医大は学内に委員会を作り、メリットとデメリットを突き合わせた。その結
果、メリットが大きいと判断して統合を受け入れた。事情は山梨大も同じだっ
た。

 00年5月、両大は統合に合意した。連携の柱となる医学工学総合大学院は
03年4月に開校する予定だ。

× ×

 新山梨大が発足した。生き残りをかけた統合は改革につながっていくのか。
課題を検証する。


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新山梨大誕生(中)新大学院の明暗
 
 
 9月初め、山梨医科大付属病院。廊下を通る買い物カートのような盲導犬ロ
ボットが患者の視線をくぎ付けにした。

 山梨大工学部教授の森英雄(64)が約10年前から開発している。11月
に行う実験準備で、院内の構造を記憶させる最中だった。

 目的地を告げるとカーナビゲーションに似た地理情報システムが働き、ロボッ
トが自動的に目の不自由な人を誘導する−−これが森の理想だ。

 開発には医大との連携が不可欠。ロボットに視覚障害者の歩行特性を覚えさ
せたり、病院内の実験で障害物を避ける機能を高めたりするからだ。

 「これまでは医大側の好意に頼ってきた。でも、統合で(研究協力が)病院
の業務になる可能性が出てきたので、データも得やすくなる」と森は喜ぶ。

 統合の目玉である来年4月に開校予定の医学工学総合大学院は博士課程に医
学、工学、医学・工学融合の3領域を置く。先進的研究をする研究部もそれぞ
れもつ。定員93人で、融合領域は22人。

 医学部教授の浜田良機(58)は人工関節を開発中だ。「関節の力測定の技
術など、精密機械工学との連携は不可欠。統合で共同研究の資金も確保できる」
と前向きだ。

 「理系」の積極性の一方、「文系」の動きは見えにくい。

 教育人間科学部は教授約30人が心理学や倫理などで医工学領域の授業に協
力する。また、約50科目から180科目に選択肢が広がる教養課程の担い手
役も務める。だが、大学院には従来通り博士課程は置かない。

 今年2月下旬ごろ、工学部長だった伊藤洋(62)は教育人間科学部長の井
上範夫(56)に言った。「総合大学院構想に参入してみないか」。医の倫理
や心の問題など、教育人間科学部の蓄積を互いの研究に生かせると考えたから
だ。

 しかし、井上は断った。同学部は98年4月、当時の教育学部を改編して、
教員養成課程の定員をほぼ半減させたばかり。さらに、近く予想される他大学
との教員養成系学部の再編統合問題があった。教員養成課程が100人と小規
模のため、他大学に吸収される恐れが強かった。

 「だから大学院に人材が行ってしまうと、いざ再編になった時、本来の学部
教育に対応できない恐れがあった」と井上は言う。さらに「人口の少ない県で
は、理系と文系を融合させた研究のニーズも少ない」。

 学部の将来像を井上は、経済界と連携して教育問題を考えるフォーラム開催
などの取り組みで切り開くつもりだ。「地域との連携を深めて、特色を出した
い」と強調している。


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新山梨大誕生(下)目指す専門性
 
 
 山梨大準硬式野球部は来春から1年間、医学部の新入生を入部させる。医学
部は1年次だけ甲府キャンパスで勉強するためで、山梨医科大の野球サークル
から頼まれた。

 野球部マネジャーの工学部2年深沢恵莉子(19)は「交流が深まるのはう
れしい」と言いながら、統合には「何が変わるのか分からないことが多い」と
話す。

 統合はしたが、在学生のカリキュラムが変わる訳ではない。目立つ変化とい
えばサークル間の交流が活発になる程度、との認識が学生には強い。

 だが、大学側はこうした意識の改革を強く求めている。発信源は副学長の伊
藤洋(62)だ。99年4月から2年間工学部長を務めた。任期途中の昨年1
0月、取得単位が基準に達しない場合、退学を勧める早期退学勧告制度を導入
した。今春入試では学部定員を100人減らした。

 市川大門町出身。山梨大を卒業後、東北大大学院を出て67年に講師として
戻った。授業で学生の居眠りや私語が年々ひどくなるのを感じる。「4年間ゆっ
くりして企業に入るという意識を変え、優れた技術者を送り出す。劣等大学の
看板は返上したい」と語気は鋭い。

 「大学院への進学率を100%にしたい」とも言う。来春から工学部定員は
さらに40人減らし440人にするが、医学工学総合大学院の修士課程は65
人多い253人、博士課程で42人多い93人に定員を増やした。

 大学院への進学率は現在、工学部で約4割。教育人間科学部は2割に満たな
い。

 大学側の願望と学生の意識には落差がある。総合大学院自体を知らない学生
もいる。大学側は将来像を学内に掲示、説明会も開いたが、ある工学部4年生
(23)は「情報が下りてこない。来ても一方通行的な気がする」と受け止め
ている。

 約1200人の高校生が通う進学塾「甲斐ゼミナール」校長の大島保(51)
は「山梨大には行かない」という生徒の声をよく聞く。東京の大手予備校が作っ
たセンター試験に基づく難易度ランクで、山梨大は国立大学では下位に位置す
る。受験生には地方の弱小大学と映るからだという。

 「イメージは上がるかもしれないが、長年かかって付いた評価を返上するの
は大変だ」と大島。定員を100人減らした工学部の今春の入試でも、難易度
ランクは変わらなかった。

 統合を成し遂げた山梨大前学長の椎貝博美(68)は強調する。「学生が自
発性を持たない限り、統合はうまくいかない」

(敬称略)

 (この連載は広部憲太郎が担当しました)