トップへ戻る   東職HPへ戻る
独行法反対首都圏ネットワーク

☆国立大学法人法制定阻止のために全国共同行動を呼びかける
 .   [he-forum 4345] 2002年7月26日 独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局
--------------------------------------------------------------

    国立大学法人法制定阻止のために全国共同行動を呼びかける

               2002年7月26日 独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

1.鮮明になった国立大学独法化の本質

 1999年、国立大学の独立行政法人化(独法化)が現実的問題として浮上して
以来、その危険な内実については既に多くの具体的分析がなされてきた。ここ
では、この間いっそう鮮明になった独法化の本質とその行きつく先を3点にわ
たって指摘する。

(1)危機に立つ日本資本主義延命策としての産業政策

 独法化については、「各大学の自由な個性的発展のため」などというおため
ごかしの根拠づけはもはや通用しない。その本質が、大学を新産業創出の場、
産業競争力の飛躍的向上力付与の場として活用しようという日本資本主義の起
死回生策であることは、今や明白となっている。その策を貫くものは新自由主
義と言う特定の思想である。だが、この思想によって推進されているアメリカ
資本主義といわゆるグローバリゼーションの実態が何であるかということは、
エンロンに続いて7月21日経営破綻したワールドコムがはっきりと示している。
新自由主義への批判は著名な経済学者群によっても近年急速に強まっている
(例えば、神野直彦『人間回復の経済学』、J.E.スティグリッツ『世界を不幸
にしたグローバリゼーションの正体』)。現実によっても、理論によっても破
綻が明白になりつつある新自由主義が、小泉「構造改革」の下、大学にすがっ
て危機を脱出し、国際競争に生き残ろうとする白昼夢、これが国立大学独法化
である。その本質は、端的にいって知の商品化である。


(2)産官学融合=トップダウンの経営・強力な官僚統制


 独法化された大学の基本構造は、「産官学融合」という名のもとに進められ
るトップダウンの経営・強力な官僚統制である。  

 第1に、教授会・評議会の権限を極小化することによって、教員から大学運
営権が剥奪される。企業と官僚の「学外者」によるトップダウン経営が実現さ
れる。

 第2に、教員身分保障の剥奪によって、研究と教育の内発的自律的展開の可
能性が奪われる。社会からの要請という名の下に、あるいはもっと露骨に利潤
追求へ傾斜して、研究と教育の内容が外在的に決定される。

 第3に、組織の基本構造は、期限を切ったプロジェクト研究中心の組織の寄
せ集めである。これに対応する雇用の在り方としては、教員には任期制や裁量
労働(請負労働)制などが広範に導入される。職員は、少数のフルタイム労働
者と大多数は柔軟雇用の非正規労働者によって構成される。そして人事考課に
よる個々人の支配が進められる。いつでも人を雇え、首を切ることのできる経
営権の自由のために、非公務員化が導入されたのである。

(3)比類なき官僚統制と企業的経営手法の矛盾は不可避

 中期目標−中期計画−評価−運営費交付金というシステムは、官僚統制の極
みである。最初の「第1次6カ年計画」段階で、この官僚主義のシステムは、破
綻しよう。官僚統制が優越すれば、「6カ年計画」の達成が至上目的となる。
企業的経営が優越すれば、官僚計画は桎梏になる。


 そもそも当初から我々が批判してきたように、独行法制度自体が、公権力行
使の国民サービスの機関を、その機関の特性に適合した質の高い行政サービス
提供と効率的運営を可能とするものに転換するための制度設計がされていない。
加えて、公権力行使機関への適用を本来企図しながら、それが挫折し、それと
は無縁な研究機関、博物館、美術館などを主たる対象にしてしまった。そして、
国立大学に至っては、これに「営利の精神」が無理矢理注入されたのである。
もとより、「営利の精神に満たされた官僚機構」など、成り立ち得る筈がない。
独行法の制度的破綻は既に約束されたようなものである。

 だが数年先の破綻が明らかとはいえ、その間に国立大学はズタズタに引き裂
かれ、一時の思いつきに玩ばれ、社会の知的在処であるべき姿は一掃されてし
まう。許すべからざる蛮行と愚挙である。

2.国大協指導部の屈服と文科省の強権的綱渡り  

(1)4.19国大協臨時総会

 4.19国大協臨時総会では正当な異論が噴出したにもかかわらず、国大協執行
部は本質議論を回避し、会長談話の承認というトリッキーな手法で文科省への
屈服と迎合を国立大学へ押しつけたのである。そして同総会は「国立大学法人
化特別委員会」と「国立大学協会の在り方検討特別委員会」という二つの特別
委員会を設置した。その後の経過をみれば、前者においては国大協側のイニシ
アティブは全く見受けられず、文科省と一体となって国大協が独法化準備作業
を行なっているのが実状である。後者に関しては、国大協を文科省の下請機構
へと改組する準備を行なっていると見るべきであろう。「国大協は、もはや全
ての国立大学のためのものではなく、明らかに旧帝大など大都市の歴史ある大
学のものだと感じた。今後は別の組織が必要かもしれない。」という田中鹿児
島大学長の感慨(4月23日の報告メモ)は国大協の多数を占める地方大学の心
情であろう。

(2)国立大学法人法関連の文科省6.3案

 国立大学の独法化は、独立行政法人通則法が貫徹した国立大学法人(仮称:
以下、仮称を略す)制定という形をとって行なわれる。現段階でその骨格さえ
公表されていないが、6月3日開催の第2回国大協法人化特別委に提出された文
科省文書「国立大学法人(仮称)に係る諸規定の概要」をみれば、その構造は
おおよそ見当がつく。その内容は、「法律の書き方については、余計なことを
書かないように、専門家を(国大協に)派遣して(文科省と)やっている。」
(佐々木東大総長発言:5月29日、東大職員組合の交渉)などという幻想を抱
かせるものでは全くない。組織業務、人事制度、目標・評価、財務会計の4つ
の項目で、例えば、役員の名称、数、その職務と権限、任期、学長の任命手続
き・要件、学長選考委員会の事務・組織、運営協議会の事務・組織、評議会の
事務・組織など組織運営の中核的事項や中期目標・中期計画・年度計画の策定・
変更手続き、記載事項、あるいは国立大学評価委員会の事務、評価手続きなど、
隅から隅まで法律で縛る事になっている。大学には自由度は殆どないと言って
よい。事務組織の在り方や職員の選考・任免の在り方、人事交流の在り方、職
員給与の在り方、学内予算配分の在り方などが大学での検討事項として挙げら
れているが、職員人事などに関しては、国大協が文科省と協力して(「下請け」
で、と言うのが実態を反映するであろうが)様々な指針を作成し、職員の研修
と人事交流を担当しようとしており、学内配分原則でも競争的配分を基準とす
ることが中期目標の次元で要求されようから、実質的には、強い文科省の統制
下にあることになる。

 法案のこうした構造に対して、文科省と国大協指導部は、「民営化を阻止す
るためにはやむを得ない」と弁明するであろう。5月17日の第1回国大協法人化
特別委では、「国立大学法人法案は、最終報告に沿って、それ自身が完結した
法律として準備されるべきである。」として、3.26「最終報告」がぎりぎりの
最高基準とされるが、このことは経済財政諮問会議等の圧力によって、この規
準さえ越えられることを予測していることを意味している。具体的には、国が
設立する法人が大学を設置して経営と教学の完全な分離を行なう放送学園方式、
身分継承をしない国鉄方式の新規法人方式、民営企業化への過渡的性格の法人
方式(cf.郵政民営化との相似性)などが想定されよう。しかし、独法化問題
に関するこの間のすべての経緯は、国大協執行部による本質批判抜きの妥協路
線下で、経済産業省を筆頭とする新自由主義的「構造改革」路線に大学は常に
屈服させられてきたことを示している。大学側が基本を曲げない立場を貫かな
い限り、「最終報告」に基づく国立大学法人法が策定される保証さえないとい
うのが、情勢のリアルな見方であろう。

3. ますます矛盾深まる独法化準備作業

(1)法的根拠のない準備作業

 文科省は、経済財政諮問会議の03年度独法化要求を、独法化の強権的準備で
乗り切ろうとしている。しかし、法案は作成過程にあり、国会に上程さえもさ
れていないし、無論、国会で成立しているわけでは全くない。およそ法治国で
あるならば、法が成立するまではその法が要求することがらを実施してはなら
ないことは明白である。

 今、なすべきことは、文科省が準備している国立大学法人法案の内容を公開
させ、大学に限らず社会全体で活発に議論することである。国会で法案を審議
する以前の段階から、大学側はその問題点を社会全体に訴えなければならない。
これを阻止するための言論での闘いは、一層苛烈になされるべきである。それ
が何を目的とし、社会に何をもたらすかを語るべきである。法が姿を見せない
前から、それを先取りする準備作業を強制するなど、官僚独善の行為であり、
民主主義的見地から言語道断である。

(2) 中期目標・中期計画の準備作業が明らかにしつつあるもの

 事実上有無をいわさない形で準備されている中期目標・中期計画の準備作業
は、この中期目標・中期計画が大学の機能と本質的に矛盾することを具体的に
露呈しつつある。大学が自ら、分野によって様々に、個々の教員の内発性に基
づき決めるべき事柄を、「何カ年計画」と一律に決めることが無意味であるば
かりか、大学の本質的機能を破壊するものであることが多くの教職員に認識さ
れつつある。従って、中期目標・中期計画の具体的内容への批判は、独行法の
根幹を粉砕するものとなる。

(3)破綻的様相を深めるトップ30政策

 独行法政策の別の姿である「トップ30政策」は、高等教育への国家財政投下
の削減とその中で新産業創出を可能とする研究に重点的投資を目指すものであ
る。本質的には、地方大学、基礎的研究、ITなど4分野以外の分野等々の切り
捨てを意味している。しかし、これに対する大学側の批判を考慮して、「21世
紀COEプログラム」などと名称変更してその狙いを薄めたが、それでもこれに
対する批判はなお強まりつつある。長尾国大協会長は、「182億円程度で世界
最高水準の実現など不可能。過度の競争になれば日本の高等教育はうまくいく
のか」と批判し、林東大農学部長は、「農学の特性にふさわしいもう一つの評
価基準が確立されないと、農学は他分野に比べると圧倒的に不利な状況に陥る
危険性がある。」と警鐘を鳴らしている。再編統合政策とあわせて、単純な新
自由主義的大学再編策は行き詰まりつつある。

(4) 再編統合、教員養成学部の統合政策の行き詰まり

 医科大学とその地の大学との統合は、ともかくやみくもに進められつつある
が、県境を越えた大学統合、教員養成学部の統合は壁にぶちあたっている。地
域の要求に押され、各大学とも、地域貢献と大学削減の国策との板挟みで難行
苦行を強いられている。独行法政策は、郵政民営化などの新自由主義的改革が
そうであるように、地方切り捨てを意味している。地域に根ざし、民衆に根ざ
した大学を再生する道を取るか、国策に従って、迷路に踏み込むか、大学はど
ちらかの選択を迫られているのである。教員養成学部再編は、ゼロ免課程の新
設時がそうであったように、今回のゼロ免課程の廃止を伴う再編もまた、従来
の教員教員養成学部再編の縮小版になっているに過ぎない。国策、文科省の方
針に沿っては、大学に未来は保証されないことを想起すべきである。

(5) 膨大かつ不毛な実務作業

 独法化準備作業は、職員にも教員にも膨大かつ不毛な実務作業を強いている。
それらは枚挙にいとまがないが、例えば会計制度一つを例にとっても、独行法
会計基準に則った会計処理の不毛さは無惨と言うほかない。独立行政法人通則
法が成立した後、当時の総務庁は、独立行政法人会計基準研究会を組織して、
独行法の会計基準を作成した。独行法の会計は「企業会計原則によって行う」
と通則法で規定したが、そもそも独立行政法人には、資本も利潤も、概念とし
ても実態としても存在せず、そのまま適用しようがなく、企業会計原則の根幹
を変えざるを得なかった。様々な例外的概念を入れ込んで、四苦八苦してでき
あがったものが、独行法会計基準である。しかも、ここで用いられる財務諸表
は、大学の活動をいかなる意味でも示すものでもない。財政的自立が元々ない
ため、これを基に財務活動を独自にできるわけでもない。要するに無駄な作業
と言うほかないのである。

 大学の財産を一つ一つ数えるなど、これに類する作業が膨大に存在し、強制
されようとしている。それらが一体何を意味するか、大きな疑問が次々とわき
上がってくる。

4. 国立大学法人法制定阻止闘争の構築こそ未来を切り拓く

(1)矛盾深まる独法化路線から離脱し、大学再生の主体を構築することが必要

 独法化を貫いているものは、新自由主義という特定の思想による構造改革で
ある。新自由主義改革は現在の危機への対処策として登場したが、解となり得
るものの一つに過ぎず、しかも実践的にも理論的にもその破綻が明らかになり
つつある。しかも、文科省が強行する準備作業は日々独行法の本質とその矛盾
をいやがおうにも大学教職員に提示している。
 独法化大学の姿は何か。教員は、研究と教育を自らの内発的意志と自由に基
づき行うことができない。中期目標は重くのしかかる。職員は、大学が特許を
得ることのできる研究のため、プロジェクト組織の駒として、いいように、つ
まり柔軟に雇用され、解雇される。学生は、この結果放置される。地方は切り
捨てられる。トップ30か20の大学が生き残り、基礎的研究や利益を生まない分
野は切り捨ての危機にさらされる。


 ここまで明らかになった以上、勇気を持って諸矛盾の根源=独法化の道から
離脱することこそ歴史に対する責任である。そのためには、独法化問題で大学
が屈服につぐ屈服を強いられてきた背景に、大学自身があるべき姿に向けて不
断の自己変革を行なって来なかったことが厳然として存在することを見つめな
ければなるまい。独法化路線からの離脱は、大学再生とそれを担う真の変革主
体形成を伴う過程でなければならない。

(2)国立大学法人法そのものへの反対が機軸

 いうまでもなく国立大学の独法化は、国立大学法人法によって行なわれる。
従って、国立大学法人法の制定を阻止することが今後の基軸的闘争となる。国
立大学法人法は字句上の修正で改善されるものではなく、提示されている体系
そのものが粉砕されなければならない。

 まず、法案作成過程の速やかな公開が要求されなければならない。法案骨格、
具体的な条文等について徹底的な分析を行ない、教授会、評議会等大学の正規
の機関での反対決議を挙げることが肝要である。そして大学の意志の社会への
発信、地域や諸階層との懇談なども精力的に展開し、反対意志を広く社会と共
有することが決定的に重要であろう。

(3)独法化準備過程に対する闘争の基本

 第1に、“国立大学法人法に反対しながら、準備過程に対する様々な問題に
ついて要求を突きつけるのはけしからん”と当局が攻撃して来る例があるが、
これは全く不当である。先に述べたように法は制定されていないのだから反対
の意思表示は全く自由であるし、そもそも準備活動自身が法的根拠のない不当
なものである。にもかかわらず、準備を強行しようとする以上、我々は権利と
待遇を守るために必要な行動をとらざるを得ない。筑波大学闘争や国鉄分割民
営化反対闘争の経験からも、この点は重要である。

 第2に、文科省が強行する独法化準備過程で発生する様々な問題は、独法化
の本質的問題を顕在化させる。不当な提案については全力で粉砕しなければな
らないが、同時に積極的な提案の対置も重要である。例えば、学長選挙方式や
評議会の運営方式などについて現行制度を改善すべきこともあるはずである。
このような事項に関しては、大学再生の見地から積極的な改革案を提示するこ
とが求められる。それは独法化の問題点をいっそう浮かび上がらせることにな
ろう。

 第3に、教職員の身分や待遇も同様である。現在の制度が十分優れている訳
ではない。例えば、教育公務員特例法は、法がいうように教育という職務の特
殊性に基くのであれば、その内容が本来私立学校教員にも明示的に適用される
べきものである。そのように拡張されるならば、この点に関する限り、非公務
員か公務員かということは無意味となる。また、教特法にいう研修の権利は技
術系職員やさらには専門職員にも拡大されるべきものであろう。ストライキ権
は憲法に基けば公務員であっても保証されるべきである。就業規則、労働協約
に関しては、定員外職員問題に象徴される大学の現状、導入されようとしてい
る成果主義賃金、解雇権濫用などへの闘争として、そして、労働条件改善と組
合交渉権拡大・確立の課題として積極的に展開する必要がある。

 このように独法化準備過程に対する闘争は、必然的に国立大学法人法そのも
のの根本的問題点を鮮明にする。また、国立大学法人法制定阻止闘争の見地を
堅持してこそ、準備過程に対する根本的闘争を組織し得る。両者は相補って国
立大学独法化阻止の大きな力を生み出すのである。

(4)国立大学法人法制定阻止の闘いを全国津々浦々から

 国立大学法人法制定阻止の闘いは、ひとり大学教職員だけで勝利できるよう
なものではない。小泉「構造改革」と称する新自由主義的政治と闘うすべての
階層、人々との大きな共同行動こそ勝利の保証である。社会全体を巻き込む闘
争に発展させる鍵は大学教職員が握っており、職員組合は大学教職員結束の中
軸である。また、大学自治の基礎組織である教授会は、この局面にあって大き
な歴史的役割を果たさねばならない。独法化によって深刻な打撃を受ける学生、
院生諸君、若手研究者は最も行動的な階層として期待されている。様々なネッ
トワークも合流していただきたい。


 これらを束ねて闘いを組織するためには、全国的な共同行動調整組織の創設
が検討される必要があろう。いうまでもなくその中心的位置には各職員組合、
各労働組合とその全国組織である全大教、国公労連等が期待されている。全国
的な共同行動調整組織の下、各地域、各階層を巻き込む闘争が、国立大学法人
法阻止の一点で、政府国会に対する波状的なデモンストレーションと実力行使
を含む大衆的行動へと発展するならば、国立大学独法化そのものを粉砕する道
が開けよう。

 それは、新自由主義による展望なき暴走をとめ、社会の危機を真に打開する
糸口を我々自身がつかむことへと繋がろう。

   さあ、ここがロドスだ。ここで跳べ!