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独行法反対首都圏ネットワーク

☆教育人間科学部改組問題を素材に    非公務員型独法化の持つ問題点を考える
.[reform:04074] シリーズ新潟大学から「法人化」後の大学を考える (その2)
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 新潟大学職員組合のシリーズビラ、その2です。
             3月28日 大学改革情報ネットワーク    



  シリーズ     新潟大学から「法人化」後の大学を考える
         
     その2       教育人間科学部改組問題を素材に
                  非公務員型独法化の持つ問題点を考える

はじめに

(1)非公務員型独法化が提案されようとしています

 今年の3月6日に、文部科学省が設置した「今後の国立大学等の在り方
に関する懇談会」のもとに設けられた「調査検討会議」が、「新しい『国
立大学法人』像について−最終報告案−」を明らかにしました。
 最終報告案は、国立大学を、独法化し、同時に、非公務員型の身分制度を
導入すべきことを提案しています。そこで描かれている国立大学の像はこ
れまでのものとはまったく異なる恐ろしいものです。教育人間科学部の上
越教育大学との“統合”問題に関連して私たちが体験した事態をもっとひ
どくしたものが堂々とまかり通るようになっているのです。

 教育人間科学部改組統合問題を“素材にして”、非公務員型独法化の抱え
る深刻な問題を明らかにしたいと思います。

(2)独法化の狙いの大きな変化

 この間、教育人間科学部だけでなく、すべての大学に問われてきた管理
運営上の問題は次の2つです。「誰が組織を改廃することができるのか?」
そして「組織改廃後の教官の身分はどのようになるのか?」 教育人間科学
部教授会構成員は、これらの問題に対する解答次第で、学部全体が、退廃
的にも、活気あふれるものにもなるということを実感してきました。
 「独法化後の国立大学においても同じ問題が本当に起きるのか?」と疑
問に思う構成員も多いと思います。3年前であれば、これは当然の疑問で
す。というのも1999年においては、独法化の理由として、公務員であ
る国立大学教員を公務員総数の外に追い出して公務員数の削減を便宜的に
実現することにあると声高に叫ばれていたからです。
 しかし、小泉内閣が叫び始めた「大学の構造改革」のもとで独法化の狙い
は大きく変わりました。国の科学技術政策と産業界の要求にしたがって、
文部科学省が、自由に大学の研究教育組織をスクラップ・アンド・ビルド
することができるように、大学の管理運営組織を大幅に変えてしまい、あ
わせて、文科省によるフリー・ハンドなスクラップ・アンド・ビルドにと
って最大の障壁となる「教育公務員としての身分保障」をすべて取っ払っ
てしまうことがその新しい狙いとなっているのです。
 このような変化の大本には、「10兆円削って2兆円集中投下する」と
いう新自由主義政策があります。「八兆円削る」対象となる“不採算”研
究領域と、逆に「2兆円集中投下」する研究領域を国が自由に決定し、そ
の決定どおりに大学の研究教育組織をフリーハンドでスクラップ・アンド
・ビルドできる仕組みを作ってしまう。このことにこそ小泉内閣による国
立大学の「独法化」計画の本質があるのです。

(3)組織改廃権限の剥奪と身分保障の根絶やしによって貫徹する文科省
   の官僚統制

 今回出された最終報告案を丁寧に読んで見ると、実に恐ろしい大学管理運
営の仕組みが浮かび上がってきます。
 非公務員型の独法化が実現されれば、研究教育組織の改廃は、学部レベル
の組織については文科省によって、そして、学部レベル以下の組織につい
ては、学長・副学長から構成される「役員会」と、「組織編成」と「職員
配置」を含む「経営事項」を審議する権限を持つ「運営協議会」によって、
教授会や教員の意思と無関係に決定されてしまいます。
 さらに恐ろしいことに、教育公務員特例法による身分保障が根絶やしに
されるので、運営協議会は、組織改廃後の教員の身分に関連しては、(1)
他の組織への配置換え、(2)教育研究職以外の職への配置換え、(3)任期制
教員への配置換え、そして最終的には(4)いわゆる「リストラ解雇」に至る
まで、私企業における使用者と同じように振舞えるのです。

1 前学部長周辺の“密室的”改組案づくりは現行法の枠組みを超えるもの

(1)組織改廃の決定権限の所在をめぐるありうる3つの解釈

 教育人間科学部の上越教育大学の“統合”案作成に関連して、前学部長と
その取り巻き=前学部長周辺=が取ろうとした“密室的”手段は独法化の
「前奏曲」だったと言えます。
 ある部局の組織改廃を決定する権限の所在に関連して、現行の学校教育法
と国立大学設置法の定めについては、1)教授会が単独でそれを持っている
との解釈、2)評議会がそれを単独で決定できるとの解釈(=文科省の解釈)、
そしてその中間に、3)教授会と評議会との共同決定に委ねられるべきとの
解釈があります。
 前学部長周辺のやろうとしたことは、いずれに解釈によっても正当化でき
ないもの、つまり、文科省の解釈とさえ矛盾しており、現行法の枠組みの外
にある脱法的なものでした。

(2)なぜ3つの解釈がありうるのか

 先のような3つの解釈がありうるのは、1999年に、一方において、
“独法化がすぐにできないのであれば”ということで、文科省の提案によっ
て国立大学設置法が改正されながら、他方において教授会の権限を規定する
学校教育法には手がつけられなかったたことに原因があります。
 99年の国立大学設置法の改正は、それまで法律上の位置付けが与えられて
いなかった評議会に明確な位置付けを与ると同時に、これまで議論のあった
評議会の権限と教授会の権限との関係を“整理”することを目的としていま
した。この改正では、評議会に「学部、学科その他の重要な組織の設置又は
廃止…に関する事項」(第7条の3第5項第4号)を審議・決定する権限が
与えられ、教授会には「学部又は研究科の教育課程を編成に関する事項」
(第7条の4第4項第1号)のほか、教育公務員特例法に認められた人事に
関する事項を審議・決定する権限が割り振られました。しかし、教授会につ
いて「大学には、重要な事項を審議決定するため、教授会を置かなければな
らない」と定めた学校教育法第59条には手がつけられませんでした。それ
ゆえ、いくら国立学校設置法において教授会と評議会との間での権限の割り
振りをしたと言っても、教授会の権限が縮小されたと結論付けることはでき
ません。大学において教授会の設置が必要的であること、そして、その理由
が、教授会こそが「重要な事項を審議決定」する資格を持つからなのだと謳
っている学校教育法59条が存在している限りは、依然として、教授会が、
「重要事項」の審議決定権を持っていると解釈できるからです。そして、
99年国立大学設置法改正を考慮し、文科省に譲歩するとしても、組織改廃
は、教授会と評議会との“共同決定”事項なのだとするのが適切です。

(3)評議会と教授会の共同決定から、評議会による単独決定をすっ飛ばし
  て、現行法の枠の外へ

 教育人間科学部改組案づくりをめぐっては、評議会のもとに設置された大学
改革推進委員会の下に、さらに、ワーキング・グループが設置され、このW
Gと教授会との関係が大きな争点となりました。このようなWGの設立とそ
れへの参加は、教授会の決定により了承されたもので、「教授会の意思と全
学の意思をすり合わせるテーブルにつく」というのが具体的な決定事項でし
た。教授会・評議会共同決定説に基づいて、WGの作業が始まったと言えま
す。ここで注意しなければならないのは、このWGがいくつかの学部からの
委員によって構成され、弱いとは言え、部局間自治の原則に基づいて編成さ
れていたと言うことです。
 その後、WGの作業が進展し、教授会との軋轢が表面化する中で、前学部長
周辺は、「WGは教授会とは“独立した”案を作るところ」というロジックを
提出してきました。しかしこれがWGの合意となったのかは定かではありませ
ん。他の学部のWG委員自身が最後まで「WGの性格はファジーだ」と言って
いたように、評議会の下にあるWGが、教授会の意向とは関係なく、教育人間
科学部の将来を決定することには大きな躊躇があったと推測できます。評議会
説に基づく運用を最終盤において実現できなかったと考えられます。
 だからこそ、前学部長周辺は、WGと改革推進委員会の意思決定を「言葉のト
リック」で捏造し、自分達の意思を実現しようとしたのです。彼らは、評議会
説を取るように見せながら、実のところそれに基づいて行動することもできず、
現行法の枠組みを大きく逸脱した手続によって、自分達のプランを実現しよう
としていたのです。

(4)前学部長周辺を追いこんだ4つの民主的“規制”

 昨年末の経緯の中で前学部長周辺のリストラ・プランを食い止めたのは、(1)
教授会が自らの部局の組織改編に関する決定権を持っていること、(2)学部長の
学部長たる資格が教授会の信任に依拠していること、(3)評議会が各部局から選
出される委員によっても構成されていること、(4)学長が構成員によって選挙さ
れるという4つの民主的な“規制”でした。
 前学部長周辺にとっては、学部教授会が主体性を回復し、自らの組織の運命を
自らの手で決めようとしたことは脅威でした。前学部長にとっては、自らが、
学部教授会の選挙によって学部長となっていたことは最大の桎梏でした。自分
の意思と教授会の総意との乖離が決定的になったときには、教授会構成員に自
らの信を問わなければ、一歩も前に進めなくなったのです(周知のとおり、最
終的には、自ら辞任してしまいました。)。評議会とその下にあるWGが、弱
いとは言え、全学部自治的に構成されていたために、前学部長周辺は自分たち
の思い通りの改組案にWGの裏書を得ることはできませんでした。そして、昨
年12月の学長選で示されたトップ・ダウン方式の大学運営はもうこりごりだ
と言う全学の意思が、前学部長周辺を追いこんでいくもっとも基底的な力であ
ったことは言うまでもありません。

2 非公務員型独法化のもとでは組織編成は徹底した官僚統制のもとに

(1)教員(代表)からのみ構成される教授会と評議会は経営に関する事項(組
    織編成、職員配置など)に一切タッチできず!

 では、非公務員型の独法化された新潟大学において同じ問題が起きた場合には、
どのような手続で、誰が組織改廃を決めることができ、さらには、改廃後の教官
の身分はどうなっていたのでしょうか。非公務員型の独法化のもとでは、前学部
長周辺が行なおうとしたこと以上に激烈なことが、堂々と行なわれることになり
ます。その意味で前学部長周辺による前奏曲は実に“かわいらしく”映ります。
 最終報告案の描く大学管理運営の最大の特徴は、経営と教学を明確に分離し、
教員だけから構成される機関から経営に関する決定権を取り上げてしまうという
ことにあります。
 一方で、経営に関する事柄の審議権を、学長・副学長と「相当程度」の数の学
外者(非常勤)によって構成される「運営協議会」に委ね、他方で、教学に関する
事柄の審議を教員代表によって構成される「評議会」に委ね、双方について最終
的な決定を行なう権限を学長または「役員会」(学長と学長任命にかかる副学長、
学外者を含む)に与えています。そして、最終報告案は、独法化のもとで設置さ
れる教授会の権限を教務事項に「精選」すべきだと明言しているのです(学校教
育法第59条の改正も当然射程の中に入っていると考えられます。)。
 現行法は、教員および教員代表によって構成される機関である教授会と評議会に、
経営および教学の双方に関する事柄の決定権を委ねています。しかし、独法化さ
れた国立大学においては、教授会であれ評議会であれ教員からのみ構成される組
織は、経営に関すること、具体的には、組織編成や職員配置について審議もでき
ず、まして、それについての決定を行なうこともできなくなるのです。

(2)中期計画・中期目標を通しての文科省の官僚統制にさらされつづける組織
      編成

 そして、最終報告案は、組織改廃の決定について、これまでの学部教授会→学
部長→評議会→文科省という下からの積み上げ方式を放棄し、文科大臣と役員会
・運営協議会という上層部にその決定権限を全面的に与えてしまっているのです。
最終報告案では、学部、研究科、研究所は文科省が省令で定め、それ以下の組織
は大学、具体的には運営協議会の審議に基づいて役員会が自由に改廃できるもの
とされています。
 学部レベルの組織改廃も、それより下位のレベルの組織改廃も、「中期目標」
「中期計画」において示されることになります。中期目標・計画は、各大学の
長と複数の副学長から構成される「役員会」がその「案」をつくり、文科省が、
国のグランド・デザインに基づきながら各大学の「個性」化を目指して、最終
的に策定するのです。
 組織改廃計画づくりにあっては、「役員会」が、経営事項を審議する権限を持
つ運営協議会とのやり取りに基づいて「案」を作り、文科大臣が最終的に策定
することになります。そして、文科大臣が中期目標・計画を決定すると、中期
計画で指摘された(あるいは暗示された?)組織リストラについて、運営協議
会とのやり取りに基づいて役員会がそれを具体化し、運営協議会がその実施の
程度を「モニタリング」(=監視)するのです。中期目標・中期計画は、国か
ら大学に配分される運営交付金の額を決めるので、役員会・運営協議会は、徹
底して、文科省に受けの良い「案」を作ることは間違いありません。
 教育人間科学部スクラップの震源地は、文科省に設置された教員養成学部の
将来の在り方を考える懇談会でしたので、仮にこれが独法化後に起きていれば、
役員会と運営協議会は、文科省の意向を“迅速”に受け入れたことでしょう。
そして、前学部長周辺さらには前学長が示した文科省への擦り寄りの“迅速”
さは、独法化の先取りであったと言えるのです。

3 民主的な“規制”から放免された「役員会」と「運営協議会」によるリストラ

(1)中期計画の忠実な実行を約束する各機関の長、委員などのトップ・ダウン
  による任免

 さらにここで指摘しなければならないのは、役員会と運営協議会は、学内にお
ける下からの民主的な“規制”をほとんど受けることなく、“効率的に”リス
トラ・プランをつくり、それを実施することができるとういうことです。大学
を構成する各機関の長と委員などの任免について、徹底したトップ・ダウン方
式が取られるからです。

<運営協議会委員の任免は文科大臣か?> 運営協議会の委員を誰が任免する
のかは最終報告案は沈黙しています。運営協議会が、学長と「役員会」の諮問
機関であれば学長が任命することになるでしょう。しかし、最終報告案では、
運営協議会は役員会の監視も行なうので、学長任命で済むとは考えられません。
文科大臣が相当に影響を与えることができる仕組み、例えば、学長推薦に基づ
く文科大臣任命といった仕組みが導入されることは十分に予測できます。
 
 <学長は運営協議会による選考かあるいは、運営協議会と評議会との共同選
考か?>
 学長の選考については3つの案が併記されています。運営協議会の果たす役
割の大きさから見て、運営協議会が学長選考から排除されるとは考えられませ
ん。したがって、運営協議会による選考(案の1)か、評議会、運営協議会の双
方から構成される学長選考委員会による選考(案の2)が有力となります。なお、
教員については、「意見聴取手続」という名目のもと、選考機関が絞り込んだ
“候補者”に対する投票を行なうことが、一応、許されています。

<「役員会」(=学長・副学長会議)の役員(=副学長)は学長任命> 経営・
教学双方について最終決定を行なう役員会の役員である副学長(これは「大学
運営の重要テーマ」ごとに複数設けられる)は、学長が学内・学外の双方から
任免することとされています。

<学部長は、なんと、学長が任命>
  学部長については、学長が任免することが最終報告案ではっきりと指摘さ
れています。

<評議会委員>
 学内の代表者から構成される「評議会」の構成員についての説明は最終報告
案にはありませんが、学長と学長の任命にかかる学部長と学部長の任命になる
副学部長を想定していると考えられます(なお、学部選出の評議員は明示的に
排除されていません。念のため)。

(2)結論=文科省と上層部が決定するリストラの恐怖に一方的にさらされる教員

 いずれにせよ、最終報告案の描く国立大学法人にあっては、教員は、経営に
関する事項の決定権限のみならずそれに口を出す権限さえ奪われ、文科省や「役
員会」と運営協議会の決定するリストラの恐怖に一方的にさらされることになり
ます。そして、前学部長周辺による教育人間科学部のスクラップを食い止めた4
つの民主的な“規制”は、そこには、存在しないのです。

4 組織改廃後に不安定化する教員の身分

(1)組織改編後の教官のセンター送りのために乗り越えなければならなかった
  手続的ハードル=評議会の審査と教授会の議=

 ところで、昨年暮から今年の1月にかけて、前学部長周辺が強行しようとした
プランは、教育人間科学部をスクラップして、教育人間科学部の教官約120名
のうち、40名から80名をあれやこれやのセンターに張りつけ、流動定員にし
てしまおうとするものでした。そのポストの上にいる教官が退官あるいは転出し
たら、そのポストは他学部の改組の原資になることは明白でした。流動定員とな
った教官は“いつ出ていくのだろうか?”という眼差しに曝されかねないところ
だったのです。
 もっとも、現実に教官を教育人間科学部からあれやこれやのセンター付けの教
官に配置換えをするためには、2つの手続的ハードルを越える必要がありました。
教官の配置換えにあたるので、その意に反する配置換えを行なう場合には、教育
公務員特例法第5条1項に従い、「評議会の審査」を経なければなりません。さ
らには、人事に関する「重要な事項」なので、教授会の議がさらに必要になった
はずです。過去の実例ですが、旧教養部教官の他学部への配置換えのときには、
旧教養部の議決を経て、配置換えが行なわれていたのです。また他の国立大学へ
同じ職を維持したままでの移動についても、教授会の議を経ることは通常の慣行
となっています。

(2)非公務員型のもとで消滅する2つのハードルと、不安定化するリストラ後
   の身分

 ところが、教育公務員特例法による身分保障が消滅する独法化された国立大学
のもとでは、この2つのハードルは消滅してしまいます。それに加えて、独法化
された後、労働組合と経営組織との間で交わされる労働協約によっては、リスト
ラ後の身分のあり方を決定する相当に広い裁量が経営組織の側に生まれることに
なります。就業規則に、「業務の都合により配置転換を命じることがある。」と
いう一般条項を導入しさえすれば、本人の同意がなくとも、同じ職を維持したま
ま部署を移動させることを、経営機関が行なうことができるようになります。従
って、センター送りは、本人の同意も、教授会の議も、評議会の議もまったく必
要ではありません。そして、同様の就業規則のもとで、私学でのリストラの場合
に良く見られるという、教育研究職から事務職への配置換えも、非公務員型独法
化のもとでは、本人の同意がなくともできます。
 もし、教員が抵抗すれば、経営組織は、本人の“同意”のもとに任期制教員へ
の配置換えを行なうことさえできます。最終報告案は、独法化のメリットとし
て、現在の任期制法に規定されている、任期制を適用できる3類型−先端研究、
若手助手、そして、期限付きプロジェクト−の縛りがなくなることを明言して
いるのです。
 さらには、部署換え、職換え、任期制教員への配置換えの3つの提案をして
もなお本人がそれに抵抗する場合には、いわゆる「リストラ解雇」も、最終手
段として取ることも可能となります。リストラ解雇が合法であるための4つの
要件が判例法上確立しています。(1)人員削減の必要性、(2)他の手段によって
解雇回避の努力をすること、(3)非解雇者選定の妥当性、(4)手続の妥当性(使
用者に組合との協議を義務付けている場合)。(5)の要件は、文科省が策定す
る各大学の中期計画にリストラすべき組織が特定されていれば、文科省の専門
的判断を裁判所は尊重するでしょうから、簡単に満たすことができそうです。

5 教授会・評議会による経営と教学の統一的管理の維持、発展に向けて

(1)なぜ統一的管理が必要なのか?

 教育研究の実行者である教員がなぜ経営事項と教学事項を統一的に管理す
べきなのでしょうか。それは、教員が継承・発展させている学問−それは自
然や社会に関する人間の認識の長年にわたる蓄積とその体系にほかなりませ
ん−に内在する論理に基づいて、学術研究の中心である大学を発展させてい
く必要があるからです。
 今回の非公務員型の独法化プランは、学問研究の内在的要請ではなく、国
がその内容を一方的に決める「社会の要請」、すなわち、国策と産業界に要
請に大学を利用し尽くすためのものです。そこには、学問内在的要請に対す
る配慮のかけらもありません。

(2)非公務員型独法化に断固反対しよう! あの退廃的は雰囲気には戻
  りたくない!

  私たちはそのような独法化プランに徹底して反対すべきで、関連する法
案を廃案に追い込むべく全力を尽くすべきです。そのために残された時間
は余りありません。3月26日は、「あり方懇」が最終報告案を承認する
ものと報ぜられています。その後、法案化の作業が急ピッチで進むでしょ
う。
 学部改組をめぐる動きの中で疲労が蓄積してはいますが、ここで、押し
戻さなければ、再び、あの退廃的な学部の状況に連れ戻されてしまいます。
そんなことは御免です。
 そして、最低限、公務員型の独法化を実現し、管理運営組織を、学校教
育法、教育公務員特例法の描くそれへと、可能な限り近づけていかなく
てはなりolません。これは決して不可能なことではありません。当初の文科
省の公務員型独法化プランを復活させればいいだけのことです。

(3)非公務員型独法化阻止のためにも、仮に独法化されてもその中で学
   問・研究の論理を維持するためにも、組合を強化しよう!

  仮に、独法化されたとしても、非公務員になることによって復活する組
合の団結権、団体交渉権、労働争議権を用い、学問研究を維持・発展させ
うる就業規則、管理運営内規を勝ち取っていく必要があります。また、例
え、就業規則の中に組織改廃に関する“実体的な"規制を導入できないとし
ても、個別の配置換えにあたって組合との協議を義務づける“手続的な”
規制を導入できれば、それだけでも大きな歯止めとなるはずです。
 これらを実現するためには、組合員を被雇用者の半分以上に拡大し、交渉
団体としての資格をどうしても獲得しなければなりません。
 実のところ、最終報告案も「健全な労使関係」の確立に腐心していて、組
合がこのような就業規則などを勝ち取ってしまえば、自分達の描く国立大
学像を実現できないことを重々承知しています。したがって、独法化を阻
止するにも、仮に独法化となっても組合の力を大きくしていくことはどう
しても必要なのです。

         2002年3月 新潟大学職員組合独法化問題ワーキンググループ54rf