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独行法反対首都圏ネットワーク

☆営利の精神に満たされた警察国家 ―調査検討会議最終報告案を読む―
.2002.3.15 独行法反対首都圏ネット事務局

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                    営利の精神に満たされた警察国家―調査検討会議最終報告案を読む―

                                                      2002年3月15日  独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

はじめに

  2002年3月6日文科省調査検討会議(国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議)の連絡調整委員会第8回会議は、最終報告案を公表した。全文は、http://www.bur.hiroshima-u.ac.jp/~houjin/mon-1.htm#no.108に公表されている。これは、3月26日に開催されるいわゆる「賢人会議」に提出され、そこで承認される予定と聞く。

  この最終報告案は、以下に記すように、国立大学のみならず、高等教育全体にとって極めて深刻な打撃を与える危険性を有している。

一、権限の逸脱
  (1)連絡調整委員会の正統性
  連絡調整委員会は、調査検討会議の四つの委員会の「連絡」と「調整」のために設けられた委員会である。ところが、1月以降、その「連絡調整」委員会が実質的に調査検討会議全体を代表するものとして、重要な変更を次々に行っている。これに対しては、調査検討会議の委員からも、「連絡調整委員会は、非公務員型の採用や移行などの重要な事項を決める権限はなく、新たに決めた重要な事項は削除すべき」(『調査検討会議の各委員から寄せられた意見』1頁、上記広島大学のウェブページに掲載)との重要な批判が寄せられている。

  (2)調査検討会議の正統性
  調査検討会議は、国立大学等を「独立行政法人化」する場合の、制度の具体的な内容について「調査検討を行う」ことを目的としていたはずである(2000年7月「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」について)。ところが、調査検討会議は法人への移行方法にまで踏み込み、「全ての大学を同時に」、しかも「できるだけ早期に移行する」(最終報告案21頁)とまで述べている。あたかも、会議は移行を円滑化するための伝導ベルトの役割を果たしているかのようである。これに対して、やはり調査検討会議の内部から、「この制度を大学に適用すべきかどうかは、本制度設計ができあがった時点で改めて検討すべき問題であり、ここの記述は調査検討会議の権限を越えている」(意見2
頁)との声が上がっている。

  そもそも、中間報告に対する多数のパブリック・コメントが、中間報告を改訂するさいにどのような役割を果たしたのか、まったく言及がない。また、身分変更に関わる事項について意見聴取の機会を設けず、一方的に決定する権限は「調査検討」を旨とする会議にはないはずである。

二、最終報告案の大学像
  (1)非公務員化=徹底した雇用の不安定化
  最終報告案は、教職員の非公務員化を求め、その目的として、「国家公務員法体系にとらわれない、より柔軟で弾力的な雇用形態及び給与体系、勤務時間体系」、「営利企業の役員等を含む兼職・兼業について、法人の方針に基づく弾力的な運用」などを挙げている(24〜25頁)。「短時間勤務職員」、「大学教員任期法の三類型を離れた任期制教員」(2月7日第6回配布資料「国立大学法人の職員の身分」)「週3日間勤務制などのワークシェアリング」の教員などの議論は、基本的に大学の教職員を不安定な環境に置き、「競争」を通じて、成果主義に基づくシステムを作り上げようとするものである。2月21日の第7回委員会に提出された「最終報告案」には記されていた「移行職員が不利益を被ることがないよう」や「解雇事由の制限」という文言が削除されていることから見ても、非公務員化の主目的が徹底して身分保障を消滅させることにあることは明白である。これは、組織の再編、淘汰、縮減を容易に行えるようにするためである。

  同時に非公務員化は、教員を教育公務員特例法の適用外にすることを意味する。教育公務員特例法は、「教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその責任の特殊性に基づき、教育公務員の任免、分限、懲戒、服務及び研修について規定」(第1条)したものである。そして大学においては、この法律によって教員の身分が保障され、学問の自由が守られてきた。最終報告案は、この教特法を主たる標的とするものに他ならない。

  調査検討会議の委員からは、さらに次のような声も上がっている。「本案では「国立大学が果たすべき使命や機能」の「従来以上に十全な実現」が、期待されいてる。これは、国立大学の「公共性」の従来以上の提唱であって、国立大学法人の業務がより一層「公務」でなければならないことを示している。なぜ、公共性の一層高まった業務を非公務員型とするのか。」(『意見』4頁)

  最終報告案は、こうした根本的な疑問にまったく答えていない。

  (2)「学外者」の専横とトップダウンの運営
  最終報告案は、独立行政法人制度をそのまま踏襲しているだけでなく、大学の運営を「学外者」の関与する「運営協議会」や「役員会」に委ねようとするものである。このような「学外者」がいかなる役割を果たすのであろうか。すでに独立行政法人化された57機関について、『サンデー毎日』3月17日号は、「「霞が関改革」は真っ赤なウソ!  独占入手57独立行政法人役員報酬リスト 年収2000万円超の天下りポストがゴロゴロ」という記事で、その実態を暴いている。
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/sunday/2002/0317/tokusyu1.html

  学長については、運営と人事の双方ともひたすらトップダウンの運営が称揚されている(「強いリーダーシップと経営手腕」)が、ここでは、第一に部局教授会の役割を極小化することが意図されている。第二にそのような強大な権限を持つ学長の選考については、「学長選考委員会」(仮称)を設け、投票権を有する者を著しく制限しているにもかかわらず、そうした「執行機能」を掣肘する制度的仕組みをほとんど設けていない。

  また、現在文科省の「本省人事」となっている、事務局長や部課長が、「国立大学法人」ではどのような位置を占め、いかなる役割を果たすのだろうか。最終報告案では、「人事交流」を図るために「各大学が他大学及び文部科学省と連携していくなどの工夫」(33頁)が必要だとされている。また、事務職員からも「副学長に積極的に登用する」(13頁)とされている。これは実質的に文科省が握る事務局長人事が今後も行われるだけでなく、「副学長」という形態で大学の運営に対する支配を強化することを意味している。「学外者」一名を必須とする「監事」についても、「天下り」ポストであることは明白である。

  山岸駿介氏は、「小泉首相は知っているのか 権限肥大化する文部科学省」『エコノミスト』(2002年3月12日号)の中で、私立大学を含め、「大学の自由な機関を文科省の手足に使おうとしている」「官僚国家」を批判し、日本の大学を「警察国家と同じ構造にする」危険性を訴えている。まさに、最終報告案は、大学の「警察国家」化への道という他はない。そうした「警察国家」の実態は、さらに次の問題にも現れている。

  (3)中期目標の策定主体=文科相
  最終報告案は、独立行政法人通則法と同様に、中期目標の策定主体を主務大臣、すなわち文科相としている。もとより、「(1)大学から文部科学大臣への事前の意見(原案)の提出、(2)文部科学大臣に対する大学の意見(原案)への配慮義務、(3)文部科学大臣に対する大学の教育研究等の特性への配慮義務、などの規定を「国立大学法人法」(仮称)等で明確に位置付ける」とし、一定の配慮を示しているが、これが独立行政法人の基本的スキームから離脱するものでないことは明らかである。

  中間報告では、「大学の教育研究の自主性・自律性をできるだけ尊重する観点から、中期目標についても、各大学が作成し、文部科学大臣が認可するなどとすべき、との一部の意見もある」と記載されており、パブリック・コメントの多数は、「中期目標・計画とも、各大学が作成し、文部科学大臣が認可する制度にすべきである」としていた。こうした状況から見れば、最終報告案は、文科相の権限を大幅に拡大するものに他ならない。「規制の緩和」や「裁量の拡大」をかかげた法人化がその正反対物に転化するという仕組みが、独立行政法人制度というものの本質なのである。

  (4)運営費交付金を通じた支配
  最終報告案は、通則法のスキーム上にあるため、文部科学省に置かれる「国立大学評価委員会」が評価を行い、この評価によって、次期の運営費交付金等が算定され、配分される、という官僚統制のシステムが取られている。視点の第一に、評価結果を運営費交付金算定に直接反映させることが挙げられている(48頁)のは、「評価」が大学における研究・教育の質を高めるためではなく、もっぱら財政を通じた文科省の大学支配を強化するために行われることを示している。

  また、「運営費交付金等の算定・配分の基準や方法を予め大学及び国民に対して明確にする」としながら、具体の算定方法、配分基準等については何ら明確ではない。そもそも、高等教育に対する国の支出をどうするのかという「グランドデザインの策定」に関する事柄について、これまで文科省からまったく発言がないのは奇異としか言いようがない。これはいまだに「関連するその他の課題」(60頁)に委ねられたままである。

  (5)再編・統合を目的とする法人化
  最終報告案の「関連するその他の課題」の2.には、「各国立大学の枠を超えた教育研究の充実のための再編・統合の推進」が挙げられている。これは遠山プランを受け、法人化の検討が再編・統合に直結することを示したものである。中間報告に対するパブリック・コメントの多数が指摘したように、調査検討会議の議論は、何よりも地域の国立大学や単科大学、教育系の学部・大学を再編淘汰の標的とし、多大の犠牲を強いることを目的とするに至っているのである。

  (6)産業政策としての大学統制
  これまで述べたような強烈な大学統制の仕組みは、まさに、大学の「警察国家」化とでも形容すべきものである。ところが、これは奇妙なことに、「営利の精神」で満たされている。「非公務員化」は、学外者が副学長や役員会、運営協議会に参入することと並んで、大学をひたすら営利を目的とする機関に変えようという政策の表現である。2月7日に配布された「国立大学法人の職員の身分」においては、非公務員化の目的として、「営利企業の役員等との兼職・兼業」や「企業関係者との懇談等もより自由に」なることを挙げている。また、
「デマンド・サイドからの発想」を常に重視すべきとする中で、学生、地域社会と並んで「産業界」の語が記載されている(7頁)ことは、2000年5月の自民党提言にあった「国策研究の推進」政策の具体化を意味するものである。つまり、政府の産業競争力強化政策の道具として大学を位置付け、その人的・知的資源を「重点四分野」に集中的に投下しよう、というのがその眼目である。「産業界」との連携は一般的なものではなく、国策として強化すべき産業にのみ限定されている。大学は、驚くべきことに、官僚統制の下に、ベンチャー企業家を輩出する機関として、「営利の精神」が横溢する組織となることを求められているのである。

三、最終報告案は大学をどこへ導くか
  最終報告案は、どのような役割を果たしているのだろうか。結論を述べる前に二つのことを確認しておこう。

(1)「国立大学法人」は「独立行政法人」の別名: 最終報告案に示されているように、これは独立行政法人通則法に示された基本的スキームを完全に踏襲したものであり、「通則法に基づく法人化に反対」の立場を取る者は、当然反対すべき内容である。

(2)有馬元文相の虚言の破綻: 1999年9月に「検討の方向」によって、国立大学を独立行政法人化の方向に誘導した際、「公務員型なら」というのがその論拠の重要な一つであった。最終報告案に示された非公務員化の方向は、これが虚妄にすぎず、非公務員化から民営化に導く階梯の一つであったことを示している。東京大学元総長としての有馬氏の責任は極めて重い。

  非公務員化から民営企業化へ、これが最終報告案が描く大学の近未来図である。

  1月25日に閣議決定された経済財政諮問会議の「構造改革と経済財政の中期展望」(http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2002/0125tenbou.html)は、こう主張する。

  「国立大学の再編・統合を促進」し、「国立大学を早期に法人化」し、「民営化及び非公務員化を含め民間的発想の経営手法を導入」する。「国立大学の法人化に伴う大学事務のアウトソーシングの促進」を行う。

  今回の最終報告案は、この閣議決定に沿って書かれている。財政構造改革の一環として、国立大学を「縮小・淘汰の中の特化」という状況に置き、全体として公共領域の縮減を図りつつ、(一部の)産業界(最終報告案の「おわりに」(61頁) では、産業界を「社会」の代表としている)の要求に資する部分のみを「育成」しようという「構造改革」こそが最終報告案の核心なのである。

  2000年秋の段階から、国立大学の独立行政法人化をめぐる議論は急速に変容し、2001年春には、当時の通産省(現経済産業省)の官僚グループによる「国立大学法人法案」が明るみに出た。そこでは、教職員の身分の非公務員化、教学と経営の分離、学外者(「産業界・地方自治体、その他学外有識者」と明記されている)が過半数を占める「運営会議」による意思決定、などが提案されている。評議会と教授会も廃止することが意図されている。こうした経産省が主導する「大学改革」の終着点が、このたびの「最終報告案」なのである。

  2001年6月の「遠山プラン」も、4月の小泉内閣発足以来の経済財政諮問会議の方針が貫かれている。また、小泉首相は、2001年11月9日の経済財政諮問会議において、「規制改革」の一環として、医療機関、大学、農業経営への株式会社の参入に言及した(『読売新聞』11月11日付)。「最も抵抗の強い分野から手をつける必要があり、特に先行してやってほしい」と発言したという。

  「再編統合」や「トップ30」、そして今回の最終報告案に示された独立行政法人化の行く手には、大学の民営企業化が待ち受けている。頭は「警察国家」、胴体は「営利企業」のキメラ。これが、最終報告案の描く「新しい『国立大学法人』像」の正体である。