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独行法反対首都圏ネットワーク

☆12・8シンポ 報告と感想 
.[reform:03948] 12-8 集会のお知らせ(1)
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岡山・白井です。01.12.27.
大学問題の、下記の集会に参加しました。
多くの資料や解説を沢山頂き、内容が濃く大変、面白うございました。
ぜひ多くの方にも、お知らせしたくて、感想など、送ります。
近々、まとめの講演集が、テープ起こしにより、作られると思います。
その前に、個人的な報告があってもよろしかろうと、少しずつご紹介します。
主催者に、了解を得ています。

シンポジウム 「われわれが目指す21世紀の大学」
主催: 日本科学者会議 
日時: 2001.12.8. 10:30〜16:30
場所: 明治大学
プログラム:
開会挨拶
<報告と質問>
●T 学問の自由と大学の自治〜歴史的考察をふまえて〜 
伊ヶ崎暁生(元富山国際大学・教育学)
●U われわれが目指す21世紀の大学像構築のために 
糟谷憲一 (一橋大学)
●V 憲法、教育基本法およびユネスコの視点からの大学像 
浜林正夫 (一橋大学名誉教授)
<コメント>
●大学憲章つくりで大学像を構築する 
岩鼻通明 (JSA山形支部)
●地域に根ざす大学像―沖縄大学院大学新設問題― 
水野浩雄 (JSA埼玉支部)
●独法化された国研から 
松井安俊 (産総研)
<討論・まとめ>  ・・・・・ 以上でした。

<レジメ・メモ・感想など>
●T 学問の自由と大学の自治〜歴史的考察をふまえて〜 
伊ヶ崎暁生(元富山国際大学・教育学)
ヨーロッパや日本における、政府や権力(宗教)と大学との関係の事例が、歴史的に
解説されました。
ここの要約は、また後日、紹介します。
今日は、面白い資料が、「競争環境」について紹介されたので、引用しておきます。
人々を然るべき条件に置くだけで、支配者が手を下さなくても、勝手に序列が出来、
現状が維持される、という話です。
少し前、岩手大の梶原さんから、学習会で聞いたことの投稿がありましたね(東北が
自らを貶めているという話)。ちょっと、それにも通じます。

鹿児島大学などと、連帯して、共同できないものか、という提起もありました。

引用ここから―― (山代巴著 『民話を生む人々』 岩波新書、1958から)
錐蛙(きりがえる)
"広島人は河原の砂よ"
 前にも申しましたが、終戦のあくる年、美学者の中井正一先生の講演を聞くうち、
先生のお話の、日本人の近代化をはばむ、あきらめ根性、みてくれ根性、ぬけがけ根
性にひどく共鳴していましたので、集会へ出るようになってから、このお話のうけ売
りをしようと思ったのですが、学者でない者が急に改まって、奴隷制社会や封建制社
会について話すと、取ってつけたようでどうもぴったりしません。そうしているうち
に、
"広島人は河原の砂よ"
という比喩を聞きました。どうしてそういうのかと聞いてみますと、一人一人がばら
ばらで団結することを知らないという意味があるのだそうです。何しろここは昔、毛
利元就が、三人の子供に弓を一本ずつ与えて折らせてみたら、一本ずつならすぐに折
れたが、三本にして折らせてみたら折ることができなかった。その例を引いてまで団
結することを教えたところだから、昔は団結心の強いところであったに違いない。徳
川家はそれを恐れて、一人一人ばらばらにするにはどうしたらいいかと考えて、錐蛙
、笊どじょう、樽蛇と三つの法を用いて、ばらばらにした、というのです。
 では錐蛙とは何の比喩かというと、水の中も泳げ、土の上も飛べ、木にも登れる自
由自在の蛙さえも、頭の上へちょっと錐をあてて置かれると、バタバタするばかり、
動きがとれなくなることの比喩だそうです。笊どじょうとは笊にどじょうをいれて置
くと、どじょうは一寸もじっとしてはいない。上になり下になり、うじゃうじゃ、う
じゃうじゃ動きどおしで、見事に一番大きくて強いのが上へあがって、底になるほど
小さくて弱い、選ることもいらない、強いもの勝ちになることの比喩だそうです。樽
蛇とは、樽には一つの穴があいているから、蛇も一匹入れて置いたのなら直ぐに出て
しまうが、十匹も入れて置くと、出てくる心配はない。一番強いのが穴へ首を近づけ
ると、他のがよってたかって、巻きつき、しめつけ、結局おとしてしまう。そのつぎ
に力の強いのが穴へ首を近づけると、これもまた、みんなして巻きつき、しめつけ、
おとしてしまう。そのつぎもそのつぎも、よってたかっておとしあっていたら、穴か
らは青空がみえていても、蛇は一匹も出てはこないことの比喩だそうです。
 私はこの比喩を聞いた時、そうだ、この中に、明治・大正・昭和にかけても、ぬぐ
い去れない私達の、あきらめ根性、みてくれ根性、ぬけがけ根性のもとになる、法律
が暗示されているのではないかと感じました。それで一九五三年八月、はじめてこの
県の教職員組合の青年部婦人部のワークショップで話すことになった時、この比喩を
使ってみました。破防法や国家公務員法は出たばかりでも、この法律は、蛙の頭に錐
を当てたと同じ効果を発揮していて、自分らも自由だ自由だというばかり、ほんとに
自由には飛べなくなったという実感があったのでしょう。錐蛙の話は、すぐに活用す
る人を得ました。笊どじょうも職階制の中にいて、この世界がうじゃうじゃと常にも
みあう、強いもの勝ちのところという実感があったのでしょう。さっそく活用要する
人を得ました。樽蛇も、ここに来るほどの人はみな、自由の世界へ出ようと思って、
大なり小なり組合活動をしているけれども、活溌に活動すると、仲間からよったたか
ってしめつけられる実感を持っていましたから、活用する人を得ました。
 農民の中でもこの比喩は喜ばれました。
――引用ここまで 

なお、昭和24年8月には、文部省著作の教科書『民主主義 下』が、次のようであった
ことも紹介されました。
――以下引用
 その上に、もっと悪いことには、これまでの日本の教育には、政府のさしずによっ
て動かされるところが多かった。だから、自由な考え方で、自主独往の人物を作るた
めの教育をしようとする学校や先生があっても、そういう教育方針を実現することは
きわめて困難であった。しかも政府はこのような教育を通じて、特に誤った歴史教育
を通じて生徒に日本を神国であると思いこませようとし、はては、学校に軍事教練を
取り入れることを強制した。「長いものには巻かれろ」という封建思想は、教育者の
中にも残っていたし、政府の権力は反対を許さないほどに強いものであったために、
日本の教育は「上からの権威」によって思うとおりに左右されるようになり、たまた
ま強く学問の自由を守ろうとした学者は、つぎつぎに大学の教壇から追われてしまっ
た。このようにして、政治によってゆがめられた教育を通じて、太平洋戦争を頂点と
する日本の悲劇が着々と用意されていったのである。
――以上引用

このような政府自身の反省と、弾圧に対する幾多の先駆者の抵抗と主張との、結実と
しての教育基本法の成立であったことも、解説されました(教育基本法の全文も、短
いので後に紹介します。これは浜林氏の資料)。

また、戦時下(1945)と、近年(1983)の、学術関係の特別委員会の比較もされまし
た。
大まかには、戦時下のものは国民総動員体制の一環であって国策に沿う技術に奉仕す
るもの、近年のものは国民的課題・人類的課題、とのことです。

学術研究会議特別委員会(1945) 
(資料:『日本学術会議二十五年史』1974、『学術研究会議要覧』1944)
*熱帯医学  *地下資源開発  *音響兵器  *航空燃料  *国民総武装兵器
  *磁気兵器  *電波兵器
*噴射推進機  *非常事態食料  *現代支那  *工業所有権制度

日本学術会議特別委員会(1983)
*平和と科学  *教育問題  *環境問題  *生物資源  *エネルギー・原子
力  *科学・技術振興機構
*学術情報・資料  *発展途上国学術協力問題  *国際協力事業

今日はここまで、また続きを、日を改めて紹介させて頂きます。
紙芝居のようで済みませんが、一度に時間が出ないのです。次をお待ち下さい。