☆国立大教育学部 存在意義を検証し直そう
.[he-forum 3135] 河北新報社説12/23
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『河北新報』社説 2001年12月23日付
国立大教育学部 存在意義を検証し直そう
国立の教員養成大学・学部は、各県に1つ置かれてきた。東北で言えば、宮
城教育大に弘前、岩手、山形、福島の4大学の教育学部と秋田大の教育文化学
部である。
各県1つのこの原則が消えようとしている。文部科学省の統廃合方針で、教
員養成系の大学・学部を持たない「空白県」が生まれるかもしれなくなった。
その割には関心は高まっていないように見える。大学関係者が表明している
危機感と、地元自治体をはじめとした地域の反応。そこに開きはないか。
その落差を考えることは、地元に最も人材を還元してきた教育学部の存在意
義を検証することにつながるだろう。役割は既に終えたのか。他学部と教育学
部を同じように考えていいか。
弘前、岩手、秋田の3大学が統合に向けた検討を始めた。宮教大も学内の再
編方針を決めた。統廃合後の仕組みを、どうつくり直すか。教育学部の存在意
義の検証は、地方大学の将来像を描く上でも大事な前提になるはずだ。
文科省が国立大全体の独立法人化、再編を進める中で、特に教育学部の統廃
合を重視するのは、少子化に伴って教員の採用数が減り、教育学部の定員が減
少しているからだ。
近隣県の統合で1学部の定員を増やし、効率化を図る。「空白県」には現職
教員の研修のための特別教室を開設する。文科省はそんな方針を示している。
来年度中に再編計画が固まり、2003年度には統合が実現する見通しだ。
もちろん、大学関係者の反発は強い。「効率化、採算性優先の再編は、教育
力の地域格差を生む」「面積や交通網の条件を考慮しないで首都圏と東北のよ
うな地域を同様に考えるのは無理がある」「教員再教育のための特別教室は効
果が見込めない」。そんな声だ。
秋田大は98年、教員養成に加えて地域科学、国際言語文化、人間環境の三
課程を新設して教育学部を改組した。福島大は既に04年度を目標に、教育、
経済、行政社会の3学部を再編する案をまとめている。こうした試みは無駄に
なってしまうのか。
教育界を中心に長年、地元に人材を送り出してきた。教師らの相談役を心掛
け、「駆け込み寺」の役割も果たしてきた。調査・研究の成果を自治体の施策
に反映させてもきた―。大学側にはそんな自負もあるだろう。
じっくり目を凝らしたい。大学側の反発に、共感は広がっているだろうか。
自負に対する共鳴は、行き渡っているだろうか。
そうはなっていないのだとすれば、大学の自己評価ほどには、地域の評価は
高くないことになる。あるいは、大学が自らの実績についての地域に向けた情
報発信に、あまり熱心ではなかったことになるのかもしれない。
自治体や住民が問われるのは、国立大の環境の変化に関心を持ってきたかど
うかだろう。地域の将来を託す子どもたちの教育を、望ましい教師の育成の視
点から考えてきただろうか。
「空白県」が生まれることへの無関心の理由が、もし、公教育の現状へのあ
きらめに似た気持ちにあるのなら、寂しく、怖いことだ。時間はあまりないが、
まだ、そうは思いたくない。