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独行法反対首都圏ネットワーク

☆国大協に訴える−国立大学独立行政法人化に対する拒否の態度を明確にすべきである− 
.[he-forum 2875] 国大協宛の東職声明-up11/14-
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 東京大学職員組合は、下記の声明を国大協に宛てて出し、11.14国大協総会要請行動(9:30〜10:15於:神田・学士会館)として、総会会場で配布します。

 以下、国大協宛て東職声明をご紹介します。

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国大協に訴える−国立大学独立行政法人化に対する拒否の態度を明確にすべきである−

2001年11月14日
東京大学職員組合

 調査検討会議の「新しい『国立大学法人』像について(中間報告)」(9月27日)に対して約200のパブリック・コメントが寄せられているという。その全貌についてわたしたちはまだ知りえていないが、これまでに公表されたものを見る限り、中間報告の構想の基本的な枠組みに関する根本的な批判・疑問が多数提出されている。このような状況においては、調査検討会議の「中間報告」の構想はもはや維持することはできないし、維持すべきではないというのがわたしたちの基本的な考え方である。
 国大協が発表した中間報告に対する意見(10月29日、以下「意見書」)もまた、「中間報告」に対しては多数の問題点を指摘している。研究教育に責任をもつ大学の立場からは正当な指摘も多く、わたしたちはそれを評価したい。しかし、これからの「最終報告」までの過程を見通せば、意見書に示された国大協の立場はなお不十分であり、「大学の自治」と「教育・研究の自由」を守り抜くという強固な意志を改めて確立することが必要である思われる。

1.立場を明確にすべきである。
 意見書を全体としてみれば、調査検討会議の構想のほとんど全面にわたって異論・疑問・要望が提出されている。以下に見るように、意見書の論理を整理するならば「中間報告」の基本的な構想に触れる点が多く、意見書の基礎となっている考え方を想定するならば、それは「中間報告」とは到底相容れないものであると言わざるをえない。中間報告と国大協意見書の立脚点は根本的に異なっているのである。
 それにもかかわらず、意見書が冒頭において「『中間報告』は、…大学の裁量性や創意工夫の余地を拡大する点で、国立大学法人化のありうべき方向を示すものとして評価することができる」(2.総括的論点)としているのはきわめて不自然であり、唐突である。ひとつだけ例を挙げよう。意見書は、「中期目標」の文部科学大臣による「策定」について、独立行政法人通則法の「スキームなしでは出てこなかった案である」(5.中期目標の「策定」)と批判する。まさに正当な批判である。しかし、そもそも「中間報告」は、「独立行政法人制度の下で、…必要な調査検討を行な」(「中間報告」はじめに)った結果にほかならないのではなかったか。「中間報告」が「大学の裁量性や創意工夫の余地を拡大する」ことを意図しているわけではないことは、明白である。
 国大協は、したがって、「国立大学法人化のありうべき方向を示すものとして評価しうる」というような発言はすべきでなかったのである。国大協は、改めて自己の立脚点を明確にすることによって、「中間報告」に対する批判または拒否の立場を鮮明にすべきである。

2.意見書が提起する論点
 意見書が提起する論点は、この条件が満たされなければ国大協の考える「ありうべき方向」には合致しないと見なされている点である、とわたしたちは考える。例えば、財政について、意見書は、国立大学に対する支出総額の削減や変動がある場合には、「学術研究と高等教育の基礎さえ喪失してしまうことになりかねない」(2.総括的論点)と指摘している。つまり、財政的基盤の確保は、法人化を認める場合の不可欠の条件とここでは見なされているのである。しかし、先行独立行政法人では、国からの支出を毎年削減することが中期目標に掲げられている。独立行政法人制度を前提とする国立大学法人についてそうしたことがなされないという保証はまったくないのである。意見書の立場を徹底すれば、この点が解決されるという条件なしには、「中間報告」の構想を認めることはできないということになるであろう。
 その他の点も多かれ少なかれ同様の意味をもっているが、以下、論点だけを掲げるに止める。

1)財政的基盤:支出総額の削減・変動がないということが保証されない限り、国大協としてはこの方向を支持できないということになろう。(2.総括的論点)
・「全体のパイを…相当程度大きくする」(9.運営費交付金)
・「総額の減額や大きな変動」がないこと(同上)

2)管理運営:「自主・自律性…、なお懸念すべき点が少なくない」(2.総括的論点)
・経営と教学の一体性(4.運営組織)
・学外有識者の役割(同上)
・法定事項の限定と大学の裁量(同上)

3)中期目標・中期計画・評価システム:「目標・評価の具体的システムが、本当に大学の行っている学術研究と高等教育等の業務にふさわしいものになっているか」疑わしい。(5.中期目標の「策定」)
・中期目標の文部科学大臣による「策定」(5.中期目標の「策定」)
・「認可」事項の限定(6.目標評価システムのその他の問題)
・年次評価の報告制への変更(同上)

4)職員の身分と人事
・身分保障と公務員型の維持(7.職員の身分)
・学長選考:法律規程の基本事項への限定、評議会による選考(8.学長・教員等の人事)
・学長の解任請求(同上)
・学部長等、教員の教授会審査(同上)

 以上のように、意見書が問題点と指摘する点は「中間報告」の全面にわたっている。しかも、これらの点の多くは、「中間報告」の構想の根幹にかかわっており、これらの問題が生じるのは、「中間報告」が「独立行政法人通則法」の「スキーム」を前提としているからであることは意見書も認識するとおりである。
 したがって、意見書のこうした見地を実現するためには、「中間報告」のそれとはまったく別の地点から検討をしなければならないであろう。調査検討会議の構想には、全面的に対決するほかないのである。

3.国大協意見書に欠けている視点および論点
 以上の検討に明らかなように、意見書は数多くの批判点を提起しながら、首尾一貫した立場に立ちえていないという問題を含んでいる。意見書のこうした問題点は、「中間報告」を全体として評価する上で明確な認識がなされていないからであると考えられる。そこで、以下に「中間報告」全体の認識に関する問題点を簡潔に提示し、合わせて意見書の触れていない問題点について指摘することにする。

1)「中間報告」全体の認識について
 「中間報告」は、前述のように独立行政法人制度、すなわち独立行政法人通則法をベースにしている。そして、通則法をベースとして国立大学を法人化する構想には、それなりの明白な意図があるのである。現在の国立大学の「自由な」活動を、国の政策により適合的なものにすること、そのために、中期目標・計画・評価のシステムによってこれをコントロールすると同時に、大学内の管理運営権限を強化することで目標・計画の遂行を確実にすること、さらに教特法に結晶した研究教育の自由(「学問の自由」)の制度的な保証を脱落させることによって研究教育の内実を政策に適合的なものにすること、がそのひとつである。これと並んで、大学、高等教育全体に対する国の支出を削減・合理化するとともに、これもまた国の政策に適合するように財政配分を差別化・集中化することである。
 したがって、「中間報告」は、大学の自主性・自律性を高めることを意図しているわけではない。「中間報告」の基調は、むしろその反対である。前述したように、意見書はこの点を見誤っている。
 「中間報告」はまた、大学の財政基盤を拡充することを意図しているわけではない。先述した先行独立行政法人の例を別としても、今日深刻な問題を生みつつある再編統合問題や「トップ30」の政策を見れば自明ではないか。
 限られた財源を、目に見える効果を挙げるために集中的に投資するという考え方は、国の財政政策の視点から見れば合理的であるともいいうる。しかし、大学の学問研究は本来的にそのような財政効率の論理で律せられてはならない性質をもっている。基礎研究の危機や競争主義の弊害を指摘するパブリック・コメントは、そうした学問研究の固有の論理を表明するものにほかならないのである。国大協は、国や政府の論理からは相対的に独立したそうした学問研究の立場に立たなければならない。

2)意見書に欠けている論点および不十分な論点
 個別の論点についても、意見書の指摘ではなお触れられていない重要な点があるとわたしたちは考える。これについても事項を列挙して、簡単なコメントを付するに止める。
・管理運営システムの基本:「中間報告」の基調になっている「トップダウンの意思決定の仕組み」、「学外者の参画による…運営システム」についての基本的な分析が意見書には欠如している。学長の「最終的意思決定権限」も問題である。
・評価と配分:評価システム全体の問題については意見書が指摘するとおりであるが、「中間報告」は財政配分との連動を明記しており、これを明確に批判することが必要である。
・学長選考:意見書の指摘はきわめて不十分である。
・監事:通則法のシステムであり、大学の独立性にとっては問題がある。
・大臣の学長解任権:これも通則法のシステムによるものであり、文部科学大臣が「不適任」であることを判断する仕組みはとるべきでない。
・教特法:「中間報告」は、これに言及していない。意見書もこれに触れないが、明示すべきではないか。
・教職員の雇用、業績主義給与など:任期制の広範な採用、給与制度における業績主義的な処遇など、教職員の雇用と生活の安定にかかわる重要な問題である。

3)自主規制の問題
 意見書は、第8項で、学長選投票参加者の範囲、教員選考方法、任期制・公募制などについて各大学の自主的な努力を求めている。調査検討会議に対する意見書の記述としてはいささか異様である。これらの問題についてそれぞれの大学が本当に必要であると考えれば文字通り自主的に決定するべき事柄であり、国大協が推奨すべき筋合いではない。さらに、国大協が、法律的規制を回避するためにこうした態度を表明するとすれば、結果的には、文部科学省の指導が法規制の脅しだけで事実上実行されることになり、大学に対する行政指導と財政誘導が貫徹することになる。
 今後の問題として、国大協は、このような事実上の「大学の自治」の放棄につながるような姿勢をとらないように留意すべきである。

4.今後の見通しと国大協の役割
 すでに述べたように、調査検討会議の「中間報告」をめぐる大学関係者の危惧は高まっている。また、大学と調査検討会議の構想との対立も明確になっている。これから見通される「最終報告」までの過程において、国大協は、最大限の力を発揮して、大学の立場を守ることを期待されている。そのためにまず、今定例総会において「中間報告」を拒否する立場を明確に表明することが必要である。その点で、調査検討会議の主査と国大協会長が同一の人物によって担われていることが、困難な問題を生んでいると思われる。この点についても早急に検討することを求めたい。

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