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独行法反対首都圏ネットワーク

☆京都大学理学研究科のパブリックコメント 
. : [he-forum 2829] 京都大学理学研究科のパブリックコメント.-up11/6−-11/6-
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http://www.sclib.kyoto-u.ac.jp/kusci/chuukanhoukokukomento.htm

「国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」
中間報告に関するコメント

2001年10月25日

京都大学大学院理学研究科

はじめに

 去る9月27日、文部科学省は「新しい『国立大学法人』像について」と題する
中間報告を発表した。本中間報告が目指す「大学改革」は、新制大学発足以来
50余年ぶりの大改革であり、大学の未来ひいては日本の将来を左右する重大な
方針決定に繋がるものである。国立大学の法人化が構想されて以来、我々、京
都大学大学院理学研究科では、この問題について重大な関心を持って議論を重
ねてきた。また1999年11月18日には、「国立大学の独立行政法人化を危惧する」
と題する声明を発表し、我々自身の基本的視点を発表した。

 大学は、自然とその中で生を営む人間について、真理を探究し文化を生み出
す貴重な知的活動の場である。また未来を担う多様な人材を鍛え育むかけがえ
のない有機的組織体である。我々が責任を負う基礎科学の分野について言えば、
我々は自然科学での研究成果を人類の英知として蓄積し、もって真の文化国家
として世界に貢献したいと願っている。また教育の点では、学生の自主性と基
礎教育を重視し、創造性と広い視野に富み、社会に主体的に関わる人材を送り
出すことを目指している。国立大学の「改革と新生」は、「機動的大学運営」
や「アカウンタビィリティ」・「第三者評価に基づく競争原理」等に代表され
る時代の要請に応えつつも、上記した大学の本質的・根源的役割を更に発展さ
せる契機として議論されなければならない。

 我々は、こうした観点から今回発表された中間報告を検討した。以下に、我
々自身の見解を発表し、これに対するコメントとしたい。

1.大学の自主性・自律性と中期目標の策定

 中間報告においては、「中期目標は文部科学大臣が策定する」(p.21)とし
ている。中期目標は教育研究の具体的方向性を定め、「大学の実績を評価する
際の主な基準となる」(p.21)重大な性格を有するものである。中間報告にも言
うとおり「大学の教育研究活動は、大学の設置形態に拘わらず、教育研究者の
自由な発想や、大学人自身による企画立案が尊重されることによって、初めて
真に実りある展開と発展がみられるものである。」(p.3) また自主性・自律性
の下でのみ「個性豊かな大学」(p.4)が可能である。こうした中間報告の趣旨を
真に生かすならば「中期目標についても、各大学自身が作成し、文部科学大臣
が認可する」(p.22)とすべきである。そして認可対象事項は法令及び予算に関
わる項目に限定し、その他大学の基本理念や長期目標等は参考資料とすべきで
ある。「政府と一線を画して真理を探究する大学にふさわしくない」(朝日新聞
社説2001年10月1日)制度は是非とも再考を求めたい。

2.大学の運営形態・組織について

 中間報告においては、大学の運営形態・組織に関して、「機動的・戦略的な
大学運営を実現するため全学的視点に立ったトップダウンによる意見決定の仕
組み」を目指している。また「国民や社会の幅広い意見を個々の大学に適切に
反映させるとともに社会の多様な知恵を積極的に活用し、大学の機能強化を図っ
ていく」(p.5)方策として学外者の運営参画をうたっている。

 我々は、こうした方針がその意図とは裏腹に大学の最も根源的な役割である
学問・文化の創造と継承発展を阻害する可能性を危惧する。基礎科学の面で例
示するならば、この分野に於ける教育研究で真に創造と発展を可能にするのは
個々の研究者の熱意と創意をおいて他に有り得ない。トップダウンでの指示は、
かえって研究教育を沈滞させ、長期的効率を低下させるであろう。「角を矯め
て牛を殺す」愚は避けるべきである。

 中間報告のこれらの方針は、大学に対する伝統的批判、即ち「学問の自由」
と「大学の自治」の名の下に「不透明」で「非効率」な運営を行っている、と
の批判に答える形で提出されている。前者に関しては、国民から高等教育と研
究の推進を付託されたものとして「タックスペイヤーたる国民」に対し、我々
は説明責任を有する事を自覚している。今後とも我々は自身の活動の透明性を
高める努力を惜しまない。後者に関しては、専断的なトップダウン方式ではな
く、円滑で機動的な合意形成を目的とした学長のリーダーシップを担保する組
織形態を追求すべきであると考える。中間報告にも明確に述べられているよう
に「憲法上に保証されている学問の自由に由来する『大学の自治』の基本は、
学長、役員、部局長、教員(以下『教員等』という)の人事を大学自身が自主
的・自律的に行う」(p.30)との立場から、具体的には以下の方針の明記を要望
する。

 ○学長の選考基準・手続きは学外者の意見を参考にしつつ、大学が自主的に
制定する。

 ○評議会は教学事項およびそれに関連する全ての重要事項(予算を含む)を審
議する機関とする。また学長をチェックする機能として解任権を有する。

 ○学長のリーダーシップが円滑に発揮出来る様に副学長を含めた執行機関を
充実する。

 ○学外者参画は、学外専門家(会計士や弁護士等)と学外有識者に区別し、
いずれも大学の自己責任と判断により導入できる柔軟な運営形態を可能にする。

 ○各審議機関の必須審議事項は、これを法制化すべきであるが、その具体的
運用については各大学の規模や伝統に応じ柔軟な選択が可能なものとする。

3.学部の自治について

 中間報告においては、「学部等の運営については、教授会における審議事項
を真に教育研究に関する重要事項に精選する一方、学部等の運営の責任者たる
学部長の権限や補佐体制を大幅に強化することにより、全学的な運営方針を踏
まえながら学部長等の権限と責任においてダイナミックで機動的な運営を実現
する」(p.11)とされている。この点に於いても、我々は前項で述べた教育研究
に対する基本精神の重要性を再度主張するものである。特に学部に於ける部局
長及び個々の教員の選考は、当該学部の研究教育の質と方向性を定める重大な
権限である。従って部局長及び個々の教員の選考については学部自身の権限で
あることを明記すべきである。同様の基本理念に基づき、懲戒等の処分と勤務
評定やその結果に応じた措置についても大学内審議機関の審査に基づき学長(
または学部長)が行う事を明記すべきである。

4.評価と運営費交付金

 中間報告は「第三者評価に基づく重点投資システムの導入など競争原理の導
入を図りつつ、高等教育や科学技術・学術研究に対する公的支援を拡充するこ
とが不可欠である」(p.2)と述べている。この点に関しては、我々は基本的に同
意するものであるが、次の二点を指摘したい。中間報告によれば「評価結果は
次期以降の中期目標期間における運営費交付金等の算定に反映させる」(p.25)
としている。しかしながら、大学に於ける学術研究、特に基礎科学の分野にお
いては、短期的評価は概ね不可能に近い。過去においても当初無価値と見なさ
れた「価値ある研究」が無数に経験されている。「短期的効率」の観点からだ
けでは論ずる事の出来ない「新しい学問の芽」や「伝統ある文化遺産」が山積
する。また教育に於いては、その財源について長期的な安定性が確保されなけ
ればならない。従って評価とは切り離された基盤的(外形標準的)運営費交付
金を確保すべきであり、もって、科学技術立国・教育立国の底流を支える「米
百俵」とすべきである。

 第二番目は、評価基準と評価主体の問題である。評価基準に関しては、「厳
正かつ公正な評価」が繰り返し強調されている。しかしながら、教育研究にお
いて画一的・定量的な評価は原理的になじまない事、またわが国においては評
価の歴史も浅く未だ未成熟である事を指摘したい。更に、個々のプロジェクト
研究については、科学研究費等の枠組みの中で、評価に基づく競争的資金源が
制度的に確立している。こうした情況を考えるならば、大学全体に対しての評
価に基づく資金配分は最低必要限にとどめるべきであろう。評価主体に関して
は大学評価委員会と大学評価・学位授与機構が想定されている。両者共に文部
科学省から独立した機関として設置されるべきである。前者については重大な
権限を持つにもかかわらずその性格付けが明示されていないが、慎重な検討を
望みたい。

5.「国公私トップ30」大学について

 中間報告においては所謂「トップ30大学」の構想を具体化するための方策
を将来の課題としてあげている。この点に関しては、形式民主主義的には、もと
もと調査検討会議の視野外のものであり、かつ現在実質的に事態が進行してお
り、単に追認するための課題設定となっている。又内容的にも学術研究に対す
る公的支援の拡大を前提としないならば、基盤が脆弱な大学や小規模大学の更
なる弱体化を促し、教育研究の裾野を切り崩す危険な方針である。もし少子化
に伴う大学生数及び大学数の適正化を念頭に置くならば、国民的議論を喚起し
た後、充分慎重に方針を定めるべきであろう。「これまでの信頼関係を揺るが
しかねず、大学の現場では無用の混乱を生じている」(国立大学協会長談話)
との批判もやむを得まい。

おわりに

 以上5点にわたって中間報告に対する我々の見解を述べてきた。我々はもと
より、「知」の時代にあって、学問と文化の継承、発展、創造を通じて、国際
社会への新たな価値を発信する努力を継続したいと願っている。また、国民・
社会からの意見に誠実に耳を傾け、文部科学省からの様々な改革の提案も真摯
に検討する。このコメントもその一環であり、我々の主張が最終報告に反映す
ることを期待したい。