『毎日新聞』大阪朝刊 2001年11月25日付
21世紀の大学・大学院のあり方を考える講演会と懇談会 前文
わが国の高等教育の将来像を探る「21世紀の大学・大学院のあり方を考える講演会と懇談会」(毎日新聞社主催)が10月27日、大阪市北区のホテルグランヴィア大阪で開かれ、京阪神の私立大学18校の学長、教授、事務局長らが出席した。毎日新聞大阪本社の奥田千代太郎・副代表が「20世紀の影を引きずったような出来事が続いている。こうした時こそ、根本的な問題をじっくり考えるチャンスでもある。大学・大学院のあり方もその一つだ。少子化とともに、大学全入の時代がやってくる。IT(情報技術)をはじめ先端技術の先陣争い、大学発のベンチャービジネスと大学に対する期待が高まる一方で、高齢社会の到来とともに、生涯学習の場としての社会的ニーズも根強い。本日は貴重なご教示がいただけると思う」と開会あいさつ。文部科学省審議官(高等教育担当)の清水潔さんと、前東京外国語大学学長で現中央教育審議会大学院部会長の中嶋嶺雄さんが講演したあと、懇親会が行われた。講演要旨をお届けする。
【文・黒田耕太郎、写真・山田耕司】
講演 21世紀の大学・大学院 文部科学省審議官・清水潔さん
清水潔さん 文部科学省審議官(高等教育担当)
本日は、大まかに三つの柱からなるお話をさせていただきます。1番目は中央教育審議会大学分科会で今、何が審議されているかを、これまで大学の核とされている「学部」という存在が少しずつその姿を変えていることとの関連で、2番目は先般発表した大学(国立大学)の構造改革について、3番目は私立大学の経営の充実・強化に関して申し上げたい。
第一に、中央教育審議会の議論は今後の高等教育改革の推進方策ということで、そのキーワードは、教育研究の国際競争力のさらなる強化を図る観点から、主体的、機動的に大学が質の高い教育研究活動を展開できるようにすることです。そのため、三つの審議テーマを掲げています。第1点が短大、高専から大学院までの高等教育制度全体のあり方、第2点が設置認可の望ましいあり方と今後の高等教育の全体規模について、第3点が職業資格との関連も視野に入れた新しい形態の大学院の整備です。私はここで、共通するのは大学の「学部」というものの揺らぎとでもいえる現象であると思います。
それは大学の教育機能の問題が中心であり、ゆとり教育は大学の中でこそ実現されてきたといえる皮肉であります。わが国ではリメディアル教育(補修授業)が最近、問題となっていますが、アメリカでは大半の大学は20年来、やっている。それはわが国の大学が入試と偏差値を通じて、比較的均質的な学生層を受け入れてきた結果、教育機能という問題の焦点をあいまいにしてきたことが1点。
もう一つは、アメリカの大学教育は、やる気のない学生にいかにやる気を出させるかの悪戦苦闘の歴史、専門職養成を内に取り入れてきた歴史であったが、わが国の大学では、それらをアウトソーシング(外部調達)してきた。ダブルスクールの現象が起きている。今、専門職の養成機能という観点から専門職大学院のあり方が議論されている。すなわち大学制度の核とされてきた「学部」があいまいな要素を持っていることが明らかになりつつある。学部の修業年限とは何かも問われている。それは遠隔教育をはじめとする高等教育の国境を超えたグローバル化とも関係がある。「学部」を見る目が単に年数主義ではない、その質、水準を問う形に変化している。学部の認可と評価(アクレデテーション)の議論もそこにポイントがある。
第二の大学の構造改革に移ります。その方針は大きく、一つに国立大学の再編・統合、二つ目に国立大学へ民間的発想の経営手法を導入する新しい「国立大学法人」への早期移行、三つ目は第三者評価による競争原理の導入、国公私の「トップ30」を世界最高水準に育成することであります。これらの方針の基本と相互関係について、私なりの理解を申し上げます。
まず「国立大学法人」化の狙いは、国立大学という設置形態に由来する改革というものの限界の中で、真の自主、自立を確立することであり、それは各大学の学部、研究科の教育研究戦略を確立し、それを実現し、教育研究活性化を目指すシステム改革であり、それを通じて構成員の意識改革を図ることと言えると思います。一言でいえば、農村のムラ社会としての大学からどうやって脱皮するかです。ムラとは各人が各人の田畑を堅持し、水は等しく流れ、物事は寄り合いで、ムラとムラは没交渉のままであり続ける。こういう社会は21世紀の大学としては変革が必要となっているのではないか。
第二に法人化のメリットを最大限生かすためには、教育研究組織の厚みと幅の広がりが必要である。生命科学、医療工学など従来の枠を超えた新しい分野、新しい総合化に向けて、従来の経緯にとらわれない大学の発展の将来の可能性を考えた再編・統合を考えてほしいと要請しているところです。
三つ目の「トップ30」は国公私を通じた大学トップ30を養成するため、211億円を概算要求しています。具体的には大ぐくりの10分野に分け、それぞれの分野10〜30件程度を審査し、2年目に中間評価を行い、一部入れ替えも行う仕組みです。その狙いの一つは分野ごとに世界的水準の専攻の育成を目指そうというもので、30大学というランキングを目指すものではありません。世界水準の専攻の育成も各大学の教育研究戦略の焦点化の一つであり、他の戦略も当然ありうる。各大学、研究科がリアルに自分たちの展開をその水準も含めて定位し、何をすべきかを問うことから始めていただきたいわけです。国公私を「通じ」たところに意味があり、区別を超えて評価し、助成を考えるシステムは、わが国では初めてであり、公財政拡充の第一歩と考えていることです。
第三は私立大学経営の充実・強化の問題です。わが国の高等教育の財政構造には大きな問題点があります。例えば、慶応大と米スタンフォード大の財政比較をしてみますと、大きな違いの一つは資産運用収入で、スタンフォードは320億円(18%)に対し、慶応は98億円(9%)。一方、学生の納付金収入はスタンフォード240億円(14%)に対し、慶応425億円(38%)です。全米の私立大学平均では、資産運用収入がほぼ授業料収入に匹敵する収支構造となっている。さらにスタンフォードでは研究経費としての連邦などからの収入が4割を占めるなど、公財政投入とのかかわりで、経営基盤の大きな違いがあります。その背景は米国におけるわが国の10倍以上、2兆円に達する競争的研究資金の存在です。
国の持続的な発展のキーが高等教育であるとの社会的理解が得られつつあると同時に、その公財政投入の正当性を立証すべしとの声もますます高まっています。私たちは教育研究の質の向上に努力すると同時に、わが国の高等教育に対する脆弱(ぜいじゃく)な支援の実態を明らかにしながら、アクティビティーとそれに対する評価などを通じ、公財政の拡充を勝ち取っていかなければならないと考えています。
■写真説明 講演に耳を傾ける私立大学関係者
◇出席者のみなさん
(順不同、敬称略)
【京都産業】教務部長・経済学部教授、柿野欽吾●事務局長、西浦明
【京都橘女子】企画調査課長、足立好弘
【立命館】常務理事・教学担当、久岡康成●調査企画課長、佐々木浩二
【追手門学院】入試部長、落合正行●総合企画室事務長、川崎昭一
【大阪経済】経済学部教授・大学院委員長、森田寿一●経営情報学部教授、伊藤幸雄
【大阪経済法科】学長、藤田整●事務局庶務課長、丸井龍夫
【大阪工業】工学部長・工学部教授、大場新太郎●教務部長・工学部教授、井上正崇
【大阪国際】学長、金子敦郎●経営情報学部長、柴橋正昭
【大阪電気通信】学長、南茂夫
【関西外国語】理事長・学長、谷本貞人●顧問、竹内弘
【関西】副学長、岩見和彦
【近畿】総合理工学研究科長、河島信樹●大学院事務部長、原田蓮生
【摂南】工学部電気工学科長・教授、山田澄●工学部経営工学科教授、西田修三
【羽衣国際(認可申請中)】理事長・学長(予定)、岩崎照雄●教授(予定)、三村正治●業務管理センター長(予定)、山田奨
【桃山学院】副学長・文学部教授、竹中暉雄●学長室長・経済学部教授、今木秀和
【芦屋】学長、奥田眞丈
【関西学院】広報室次長、久保田祥二
【甲南】大学事務部次長・大学企画室課長、椹木芳仁●広報室長・事務システム室課長、藍原正宣
講演 中教審大学院部会長前東京外国語大学学長・中嶋嶺雄さん
当フォーラムには以前にも、私が東京外大学長に就任してしばらくして伺ったことがあります。その時期から、私たちは国立大学協会(国大協)に「国立大学の在り方と使命に関する特別委員会」を設置して勉強や議論をしていたのですが、そこへ、いわば行財政改革の一環として、国立大学の独立行政法人化の問題が出てきました。中曽根文部大臣のときに、国立大学の独法化は避けられないということになり、国大協には国立大学の法人化に関する特別委員会ができ、文部省には調査検討会議ができました。ところが、この6月、いわゆる「遠山プラン」=「大学(国立大学)の構造改革の方針」=が出て、現在、国立大学はある種の混乱の中にあるといってよいと思います。
親方日の丸で安閑としてきた国立大学の改革というのは非常に難しい面があります。特に、多くの受験生を集める東京や関西の国立大学ですと、それほど現状を変えたくないというのが共通の本音でした。それに対し、文部省の検討会議には報道関係や財界の方も入り、いわば左側に保守的な現状維持、あるいは組合的な立場の人たち、真ん中に文部省が主導する調査検討の立場の人がいました。国大協の学長レベルはこの真ん中あたりでまとまってくれればと思っていた人が多いのですが、小泉内閣になり「聖域なき構造改革」ということから、そうはいかなくなったわけです。「遠山プラン」もこうした情勢で出さざるを得なくなったわけで、一番右側に、ものすごい嵐が吹きすさんできたという気がします。小泉内閣はいろいろな問題を抱えていますが、教育改革もこれから本格化すると思います。
私は今、世界が歴史的な転換期にあることを指摘したいと思います。私は、20世紀はいわば「公の時代」であった、しかし、21世紀は「民の時代」になるのではないか、と何回も申し上げてきました。95年に学長に就任し、最初の国大協の総会で、自己紹介かたがた、自分は中国を中心とする国際関係論をやってきたが、もう社会主義は行き詰まってしまった。それは「公の時代」が終わり「民の時代」「私の時代」を迎えているからだという意味のことを申し上げると、ある先輩学長から「そんなことを言ってもらっては困る」とおしかりを受けました。
しかし「遠山プラン」を見ても「民間の手法で」ということを強くいっているわけでして、そこにはさまざまな競争原理、あるいは市場原理が入ってくる。それは逆らえないと思うのです。そうしますと、従来日本の大学は国立、公立、私立という設置形態によるすみ分けがあったと思うのですが、それが無意味になる。つまり、国立大学もつぶれるところはつぶれる、正に疾風怒涛(しっぷうどとう)の時代を迎えると思います。
文部科学省の調査検討会議が「新しい『国立大学法人』像について」の中間報告を9月下旬に発表しました。私も討議に加わりましたが、よくぞここまで来たという感じがしています。まだ、中間報告の段階で、両論併記のようなところが多いのですが、大学運営に関しては、学外の有識者が大学運営にタッチするという水路が開けたことは画期的で、教授会ないしは評議会がすべてを決めるという「大学自治」の態勢は間もなく変わるでしょう。
私が廃止すべきだと主張してきた教育公務員特例法(教特法)という言葉が今回の中間報告から消えたのも印象深いことです。私は米国や海外のあちこちの大学でも教えましたが、日本の教特法みたいなものはありません。国公立の教官だけを過保護に身分保証する教特法が撤廃されなければ、いくら改革を叫んでも国公立大学はよくならないと思います。
一方、国立大学は日本人が日本人に日本語で教えるという体系が崩れていないので、それでは国際競争力が持てません。米マサチューセッツ工科大(MIT)はこの4月からインターネットですべての授業を開放しています。アメリカのトップクラスの大学がこのように授業をインターネットで公開して、それで卒業できるようにしたら、日本の大学などアッという間に、不必要になるかもしれない。よくできる学生はどんどん留学しています。
一例を挙げますと、東京外大タイ語の女子学生は3年のとき、バンコクの師範大学に留学して、もともと英語もよくできたのですが、タイ語も完ぺきになり、帰国。あるボランティア機構に入りましたが、そこに限界を感じ、再びタイを訪ね、自分で売り込んで、国際交流基金の現地採用になりました。現在は海外青年協力隊に自ら志願して、フィリピンにいて、今度はタガログ語でと頑張っています。日本で4年間勉強する必要がないわけで、ここに実は外語大の危機があります。学生に生きた社会で外国語を運用できる能力を身につけさせようとすると、先生たちを全員入れ替えないと無理といった面がある。しかも、これからはどこの大学を出たより、どこで何を学んだかが意味を持つ時代になる。そこで私が責任者の一人になり、一橋、東京工大、東京医科歯科、東京外語の「4大連合」を進めてきましたが、現場には強い抵抗もありました。
先の中間報告が実施されますと、私大と国公立大の違いがあまりなくなり、私学運営が困難になるという意見もありますが、私は逆に私学が非常に輝いてくると思います。「遠山プラン」の「トップ30」というのは大変いいことだと私は思います。いろいろの分野によって入れ替わりますから、ある種の市場原理にさらされるわけで、国公私間の再編・統合も必要になるのではないでしょうか。今、日本の優秀な高校生は始めからアメリカの大学に進学する。そうすると、現在99ある国立大学は今の3分の1ぐらいでちょうどいいかなあという気もします。
遠山文部科学大臣は国立大学がどう統合・再編されるかは「文部科学省の責任でやります」といったのです。いってみれば、文部科学省も国立大学自身の改革能力を見限ったことになる。アジア諸国も今、必死で教育改革に力を注いでいる。ここ2、3年、大学、大学院が本格的に変わらないと、日本自身が沈没するということです。
中央教育審議会も多くの課題を負っていますが、当面やるべきことが二つあります。一つは、たまたま私が部会長をやっている大学院改革です。その一つに高度専門職業人教育ということが出され、今、大詰めの段階です。日本の大学院は学部の付け足しみたいに考えられてきましたが、それを徹底的に改善しないと、諸外国に立ち遅れます。
もう一つは、教育における悪平等をなくすこと。憲法には「国民は能力に応じて教育を受ける権利がある」とあり「能力に応じて」の言葉がちゃんと入っています。能力に応じて、能力のある者にはさらに次の能力や付加価値を高める教育をすることが今後の課題だと思います。私も少し自由な立場になりましたので、本日は、率直な意見を開示させていただきました。
中嶋嶺雄(なかじま・みねお) 長野県生まれ。1960年東京外国語大中国科卒、65年東大大学院修了、東大社会学博士。外務省特別研究員(在香港)を経て、77年東京外大教授。オーストラリア国立大、パリ政治学院、カリフォルニア大サンディエゴ校大学院などの客員教授を務め、95年東京外大学長。国大協副会長を経て現職。65歳。