☆理念・展望・未来なき「再編・統合」と「トップ30」
. 独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局(11/13)-up11/14-
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理念・展望・未来なき「再編・統合」と「トップ30」
2001年11月13日
独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局
国大協総会は、国立大学法人=独立行政法人化問題に加え、遠山プランが強
制する「再編・統合」「トップ30」という二つの問題に対し、国立大学の連合
体(Federation)として、明確かつ毅然とした対応を取らねばならない。
○文科省は(1)2002年度をめどに再編・統合計画を策定する(2)学部レベルの
再編・統合に踏み出す(3)公立・私立大学との再編・統合、地方移管も検討す
る、と伝えられる(『読売新聞』11月7日付)。これは、6月の遠山プラン策定時
より、いっそう具体的に年度を明示した上で、大学の統廃合、地方移管を提起
したものである。ここから明らかなことの第一は、文科省は高等教育財政を拡
充するつもりは決してない、ということである。遠山プランは「大学改革の一
環」などではなく、あくまで行財政改革の文脈にある、ことを銘記しなければ
ならない。
○現在進行している単科大学の統合、教員養成系大学・学部の統合にはいか
なる理念があるのだろうか。文科省はまず、単科大学を形成した理念、単科大
学をほとんど消滅させようという政策転換の理由を示さなければならない。教
員養成系についても、計画養成の名の下に各県一教員養成系大学・学部を設置
した理念、それを県域を超えて統合する理由、新課程設置の理念、一転して新
課程を分離する理由などを自ら示さなければならない。政策を自己批判すべき
なのは文科省自身である。
○「再編・統合」には、教育と研究についての展望がない。教育と研究にス
ケールメリットがあるなどと、誰が検証したのだろうか。教育と研究のあり方
を真摯に検討しないまま、再編・統合を自己目的化する文科省の方針は、個々
の教育・研究分野はもとより、大学の存在自体を根底から覆す意味を持つ。文
科省は再編・統合を通じて大学の「経営基盤」を強化する、と説明しているが、
これもまた高等教育財政の削減を自認した説明に他ならない。再編・統合に教
育、研究上のメリットがあるか否かは、文科省ではなく、教育と研究の主体だ
けが判断できるのである。
○再編・統合は、「選別と淘汰」の実現である。再編・統合を通じて、多様
な教育と研究の主体は破壊される。再編・統合によって教職員の削減が目指さ
れる。再編・統合は、経費削減を前提としている。文科省は、15日の国立大学
長懇談会で、再編・統合にあたって、(1)教育面の充実(2)地域貢献、などを重
視するよう方針を示すという(共同通信11月6日付)。これがリップサービスに
過ぎないことは、文科省がこの間一貫してこの二つの側面について抜本的な財
政的支援をすると述べていないことからも明らかである。文科省の方針は、お
そらく「教育トップ30」「地域貢献トップ30」といったかたちで競争的資金を
選別的に配布することだけであろう。ここでも大学間の協力は大学間の競争に
置き換えられるにすぎない。
○「トップ30」は大学の活力を低下させ、教育と研究を歪めるものである。
文科省は、既存の大学間の序列構造を変える気などない。トップ30なるものが
大学院の専攻分野を選出するものである以上、大学院重点化という差別化を前
提としている。文科省は、各地で「トップ30」は大学間の序列を突き崩すため
の政策だ、と説明しているが、これはタメにする議論であることは明白である。
○「トップ30」は、大学を企業社会の下僕とする政策である。トップ30が大
学の企業化と産学連携の推進、重点四分野への研究投資の一貫であることは論
をまたない。教育・研究の「高度化」「重点化」が何を目指すものであるかは、
もはや明白であろう。貧困な高等教育政策はそのままに、大学から人的・知的
資源を引き出すこと、それが「トップ30」の本質である。
○「トップ30」の資金は、どこから来るのか。「トップ30」への重点投資の
原資である211億円は、国立学校特別会計や私学助成とどのような関係にある
のか、文科省は明確な説明を行っていない。これは「縮小の中の特化」「縮小
の中の重点化」という政策ではないのか。
○「トップ30」によって、大学内の再編、大学内の競争、大学内の選別と淘
汰が進行する。多くの大学では、「トップ30」選出を目的として、教育と研究
の組織を組み換え、「重点分野」に特化しようという動きが見られる。これは、
学問のあり方を歪めるだけでなく、教育・研究分野や教員間に大幅な格差を持
ち込むものである。このような政策は大学内でモラル・ハザードを引き起こす
ことは明らかである。
○国大協は、大学間の協力を目的として設立されたはずである。大学間の協
力を競争に置き換え、文科省の選別政策に追随するならば、国大協の存在意義
さえ問われかねない。大学の未来は、「再編・統合」「トップ30」にはない。
国大協がなすべきなのは、まず文科省の政策を厳しく批判し、大学間の協力を
促進するシステムを対置することである。本国大協総会の意義はまさにこの点
にある。