☆国大協総会は大学の未来にどう責任を負うか
. 独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局11/13up11/14-
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国大協総会は大学の未来にどう責任を負うか
2001年11月13日
独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局
国大協は10月29日に、『「新しい『国立大学法人』像について(中間報告)」
に対する意見』を提出した。国立大学の独立行政法人化をめざす文科省の中間
報告に対して、国大協が独立行政法人化を前提とする意見書を提出すること自
体に問題は含まれているものの、国大協が自らの見解を主体的に明示すること
は望ましい。しかし、国大協が掲げている個別の論点を仔細に検討すれば、そ
の結果として、「国立大学法人化のありうべき方向を示すものとして評価する
ことができる」という結論を得ることは到底できないはずである。その意味で、
国大協総会は、この問題について再度議論を深めるべきであり、その際以下の
論点を考慮に入れることが必要である。
○国立大学の独立行政法人化が提起された理由は、文科省の掲げる「大学改
革」の一環などではなく、国大協意見書の言うように、行財政改革の一環であ
る。国大協意見書は、「総括的論点」の中で、それを「国立大学に対する支出
総額が削減されるとか、国の財政事情との関係で大きく変動するおそれがある」
とまとめている。であるなら、国立大学に対する「公的支援の拡充」(中間報
告)ではなく、むしろ「公的支援の削減」が目指されている、と見るのが当然
であろう。こうした国の「グランドデザイン」に対して、国大協はどのような
政策を対置するのか。
○この間、各大学の教授会やその機関、研究科委員会、教職員組合、個人、
学部長会議が提出した多くの意見・パブリックコメントには次のような基本的
視点が示されている。(1)国立大学法人が独立行政法人の亜種にすぎないこと
への根本的批判、(2)独立行政法人制度の基本的スキームである「中期目標・
中期計画」「評価」「資源配分」というサイクルに対する根本的批判、(3)大
学の意思決定過程を自律的に運営するためには、学外者の介入は不要であるこ
と、(4)大学にはトップダウンの意思決定のシステムは適合的でなく、ボトム
アップ、ネットワーク型の組織こそが望ましいこと。これらを踏まえれば、
「中間報告」は、まず批判し拒否されねばならない。
○国大協意見書には、国の管理の「最小化」(3.「設置」と「管理」の関係)、
経営と教学の一体化(4.運営組織)、中期目標を文科相が「策定」することへの
批判(5.中期目標の策定)、目標評価制度における「他に類を見ないぶざまな制
度」に対する批判(6.目標評価システムのその他の問題)、財政制度についての
一定の批判(9.運営費交付金等)など、多くの批判的論点が提示されている。こ
こで注目しなければならないのは、これが長尾真氏が会長をつとめる国大協が、
同じく長尾真氏が主査をつとめる文科省調査検討会議の中間報告に対して行っ
ている批判だ、ということである。自分が作成した中間報告に、自分で批判的
意見を述べるという奇妙な事態である。これは、昨年、国大協が調査検討会議
に参加して以来危惧された事態であった。長尾氏は、論理の上でも、倫理の上
でも、国大協会長か調査検討会議の主査かのいずれかを辞任しなければならな
い。
○国大協意見書の「4.運営組織」および「8.学長・教員等の人事」は、他の
多くの意見書・パブリックコメントとは異なる重大な論点が提示されている。
(1)意見書の中で、この二点のみが極めて具体的な記述となっており、異様で
ある。(2)「4.運営組織」では役員会を「学長を中心にした機能的・機動的な
執行意思決定の機関とする」と述べるが、このようなトップダウンの意思決定
を日常的にチェックする機構的保証は明示されていない(8.において解任請求
を評議会が行うとするのみである)。これは学長中心の独裁制への道である。
(3)学長選出については、1)学長を「評議会」で選考するとし、「具体の選考
において教員による投票を行う場合であっても投票参加者の範囲について点検
する」としている。これは学長選挙制度と投票権の改変を意図している。2)学
長候補についても、「『候補者推薦委員会』の推薦する数名の候補者」に限定
し、候補者の段階からトップダウンの選考方式が提起されている。(4)部局長
や教員についても、1)「リーダーシップのある部局長を選ぶための選考方法」
2)「学外専門家の意見を採り入れ」た教員選考方法、3)任期制・公募制の導入
(この二つは列記すべきものではない)を自ら求めている。これは、学長中心の
意思決定を容易にするために、大学のあり方を根底的に変えてしまうことを意
味しよう。
○総じて、国大協意見書は、文科省に対しては、大学の「自主性・自律性」
を主張しつつ、大学内においては自主規制によってトップダウンの運営方式を
強行しようという性格を有している。そのような「自主性・自律性」は、国大
協の手によって大学の存在自体を掘り崩す意味を持つであろう。