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独行法反対首都圏ネットワーク                               

☆[he-forum 2789] 山形大職員組合委員長による意見書提出
  200110.30 [he-forum 2789] 山形大職員組合委員長による意見書提出
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高等教育フォーラム 各位            10/30/01


山形大学職員組合は、森川幾太郎執行委員長名で「中間報告」に対する以下の意見書を文

部科学大臣宛に提出いたしましたので、ご紹介いたします。


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文部科学省              2001年10月26日
 大臣  遠山敦子殿         山形大学職員組合を代表して
                   森川幾太郎


   国立大学法人像について(中間報告)への意見書
 
 平成13年9月27目付けで発表された「新しい『国立大学法人』像について一(中間報告
)」(以下では中間報告と表記します)に対し、山形大学識貝組合を代表して3点にわた
って意見を述べます。


 1 多様さこそが日本の将来の豊かさを保証します


 最近、私の身近で起きたことです。腹痛がひどく大きな病院に駆け込んだのですが、医
師は何でもない、家に帰ってゆっくり静養せよ、というだけです。家に戻ったもののます
ます腹痛がひどくなり、先ほどいった病院に再度出かけたのですが、対応したのが先の医
師。今度もやはり何も手当を施さず、家に帰れ、というだけです。ますます痛みがひどく
なり、近所の内科で見てもらったら虫垂炎と診断。直ぐさま、その先生が手配して下さっ
て緊急に手術が行われましたが、かなりこじらせてしまい、手術に大変な時間を要しだと
いうことです。
 私達が病気になるとき、「最先端」の病気にだけかかるわけではありません。「古典的
」な病気にかかることの方がきっと多いでしょう。
 「中間報告」では、6月に発表された「調査検討会議・中間報告とりまとめの方向」に
比れべれば、各大学が作成する中期計画、中期目標に対する国一文科省大臣の関わり方は
トーンダウンしました。が、中期計画は大臣が策定し、中期目標を文科省大臣の認可を必
要とすること、そして、その判断基準に国策や国のグランドデザインがある旨については
残されたままです、私はここに危惧を感じます。
 研究はいうまでもなく個々の研究者の知的関心をもとに開始きれます。問題の捉え方も
また問題への取り組み方も多様です。この多様さが結果と結論を導く過程を豊かにさせま
す。「最新」ともてはやされている分野だけに重要な研究課題があるわけではありません
。解決済みの問題と思われた問題から重大な結果が見出された、という例は歴史の中に多
数あります。
 一時期「無用」と考えられ、埋め立て対象でしかなかった干潟や芦の原の役割の再認も
そうした例です。最先端の技術だけが国を豊かにするわけではありません。山形では、本
年に入ってIT関連事業所の縮小が相次いで打ち出されています。IT関連産業の振興に力を
いれてきただけに、この動きは地域経済に深刻な影を落としています。判定基準としての
「国策」が研究の多様性を前提に建てられるのであれば私の心配は単なる杞憂に終わりま
しょう。いままで政府は幾度となく基礎科学の充実を口にしてきました。しかし、その発
言のもとで実際になされたのは研究を支える人々の定員削減と均等配分されてきた基本研
究費の長年にわたる据え置き、そして、削減です。
 中期目標には研究の到達目標の記載もいつかは要求されることになりましょう。が、終
着点がわかった研究はありえません。研究する中で、様々な課題が見えてきて、最初思っ
ていたものとは全く異なった道に進むことは研究に携わるものであれば、誰もが経験する
ことです。到達目標が「公認」されることで、研究の方針転換がいままでのように気楽に
行えなくなる恐れがあります。これは研究の質を下げることになり、中期目標が研究の貧
困化をまねく恐れがあります。


 2 外部の職者は本当に必要か


 来年度から小学校・中学校では新しい学習指導要領による教育が始まります。そのため
の教科書採択が本年度の6月〜7月に行われました。地区によっては、今回の採択から教師
の意見を反映する制度を廃止し、採択域の教育委員会の意向が強く影響を及ぼす制度に変
わりました。そうした地区の中には、採択教科書決定のための教育委員会の会議を公開し
たところがあります。複数の教科書編集者から教科書採択を目的に開催された教育委員会
の会議の傍聴記を聞く機会がありました。彼らの話によれば、
 「この教科書の印刷がきれいなのでこの教科書の採択とします」「この教科書の紙質が
よいので、この教科書を推薦します」といった類の意見によって次々に採択する教科音が
決まった、といいます。よく知られているように、教科書協会で教科書に用いる用紙、用
いる色頁数などを協定しこの部分での差が出ないようにしています。しかし、採択のため
に委員の中で話されたことは上に紹介したような水準の事柄ばかりであった、といいいま
す。
 外部の人材活用は本当に有効なのでしょうか。政府の各種審議会でも、同じ方が様々な
審議会委員をされている例が多いあではありませんか。これは、外部の人材が政府レベル
でも薄いことを示していませんでしょうか。
 「中間報告」には大学運営のための三案が併記されていますが、いずれの案でも学外者
が大学運営に携わることが求められています。どのような学外者の参加をそして権限を中
間報告は想定しているのでしょうか。このとき、次の問題を考えることは重要であると思
います。
 少子化の進行に伴い大学入学者数減は必至です。このことによって、現在、私立大学の
一部に経営危機がうわさされているところもあります。この事態が国立大学に押し寄せな
いとは限りません。こうしたとき、最終的に経営責任を負う者は誰であるか、あるいは学
外から経営に参加された方々の責任はどうなるのかを考えて置く必要があります。「中間
報告」ではこの問題について何も考えていません。


 3 評価を何段階も行う意味は何でしょうか


 私達は自分の研究が偏しないよう、また研究課題をきらに発展させるために様々な方法
で学会報告を行っています。こうした学会報告に対しては審査が行われるのが通例です。
この段階ですでに評価が行われています。私達は評価の高さを求めて研究を行っているわ
けではありません。社会的責任を自覚しながら、対象のもつ秘密を誰にも先駆けて解明す
る楽しさが私たちの研究活動を支えています。こうしたとき自己評価、国立大学評価委員
会による評価、大学評価・学術授与機構による評価と幾重にも行う評価は屋上屋を重ねる
感がいたします。この幾重にも重なった評価のために割く労力は大変な量になることは目
に見えています。要する費用も莫大な額になりましょう。
 私達は研究旅費(とりわけ海外出張旅費の扱いはとても経済大国とは思えません)が少
ないため自費参加する研究集会が少なくありません。こうしてまでも研究水準を高める努
力を重ねています。ところで、文科省はこめ研究旅費の実態をどう自己点検されておられ
るのでしょうか。
 限られた研究資金を評価点により配分するという形の競争に追い立てなければ研究を行
わないほどに国立大学に勤務する教官の志気は落ちでいると認識されているのでしょうか
。私の身の回りにも、国際学会で招待講演を行う、国際学会を開催する、と国際的に活躍
しておられる方が多数おります。あるメーカーで、自己申告にもとづく能力給の導入を図
り実施に移したものの業績が悪化し、給与制度の手直しを迫られた件が昨年大きく報じら
れました。競争原理にもとづいた大学運営がこの会社の二の舞にならないことを念じてい
ます。学長の選出方法や文科大臣の学長罷免権、学長への権限集中、教育公務員特例法の
適用問題、事務職の定数問題などまだまだ論じたい点はまだ多々ありますが、私にとって
強い関心のある三点について見解を述べました。私どもの願いを受け入れた形の最終案が
策定されますことを強く願うものです。