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☆『新しい「国立大学法人」像について(中間報告)』に対する意見(辻下 徹)
  200110.29 [he-forum 2785] 中間報告に対する意見
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以下を文部科学省に送付しましたので御参考までに回送致します。 辻下

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                         2001年10月29日


文部科学省高等教育局

大学課大学改革推進室 御中

『新しい「国立大学法人」像について(中間報告)』に対する意見


1.氏名:辻下 徹

2.会社名/部署名又は学校名:北海道大学大学院理学研究科
5.意見:



序:「国立大学法人」化は格段の意義を要する


 中間報告の序文にも明記されているように、調査検討会議の使命は、独立行政法人
制度を利用して国立大学にとって意義のある法人化を実現できるかを吟味することで
あった。確かに、大学の機能を損なう欠点を修正するだけでは全く無意味であり、格
段の積極的意義がなければ、制度変更に膨大な大学の諸資源を費やし、日本の高等教
育と学術研究を長期間混乱させ停滞さかねない法人化を正当化することはできないだ
ろう。



1.不毛な「大学改革」を繰り返してはいけない


   大学審議会答申を受けて1990年代に進行した「大学改革」、特に設置基準の大
綱化と大学院重点化、に対応するために、国立大学の教育・研究現場の全域が行政的
活動に忙殺された。しかし、それが一段落したいま冷静に見わたすとき、労力に値す
る実質的成果は見いだしがたく、むしろ「大学改革」は、高等教育予算の大学間格差
増大、居場所のない大学院生の増大、若手研究者の就職難、全学教育の弱体化等々、
国立大学の全体に深刻な歪みを発生させた。これらの歪みの是正問題は、大学社会の
重い負担となっているだけでなく、苦い「大学改革」経験全体が、大学社会の志気を
低めた。


 政官の都合で浮上した「国立大学法人化政策」を「大学改革」の機会として活用せ

よと言われても、派手な「大学改革」の不毛さを身にしみて体験した教育と研究の現
場は、強い嫌悪感と不信感に襲われるだけで、諦念、あるいは決意した無関心以外の
反応を見いだすことは難しい。


   「国立大学法人」化は不毛な「大学改革」と本質的に違うところがあるのだろうか。


2.「国立大学法人」にポジティブな意義は認められない


 中間報告の内容の大半は、独立行政法人通則法と整合的な組織設計で占められてい

る。文部科学省のレジュメでは、独立行政法人との相違点として、(1)「学外役員
制度」など学外者の運営参画を制度化(2)客観的で信頼性の高い独自の評価システ
ムを導入(3)学長選考や目標設定で大学の特性・自主性を考慮の3点が挙げられて
いる。大学にとって「国立大学法人」化に意義があるとすれば、独立行政法人との相
違点の中に、それを探さなければならないはずである、なぜならば、教育・研究にと
って有害な不安定性を構造的に持つ独立行政法人制度は大学にとってポジティブな意
義を持ちようがないからである。


 ところが、相違点(1)は、「社会」の要望を大学運営に確実に反映させること以

外の目的があるとは思えない。確かに、大学を活性化させる契機ともなる社会との接
触の機会が乏しかったことは日本の大学の欠点であった。しかし、大学を社会に隷属
させるようなことをすれば、大学は十全には機能しなくなることは自明のことで、社
会と大学の接触そのものも意味を失っていくであろう。


 相違点(2)は、独立行政法人の欠陥を修正しようとするものに過ぎない。しか
も、修正の効果は極めて疑わしい。大学教育や学術研究のような「遅効性効果」を重
視する活動に対して、資源配分に直結できる適切なリアルタイム評価システムは発見
されていないし、原理的に考えても発見できるとは思えない。存在もせず発見も危ぶ
まれる「客観的で信頼性の高い評価システム」を導入しなければまともに機能しない
「国立大学法人」は、設計段階から独立行政法人と同様の致命的な欠陥を内包してい
る。


   相違点(3)も、独立行政法人の欠陥の修正を目的とするだけである。しかも、学
長選考では学外者の意見を多様に反映させるシステムが盛り込まれており、目標設定
でも最終的には文部科学大臣が策定することになっており、どこに大学の特性や自主
性が考慮されているのか理解に苦しむ。


 以上のように、中間報告における独立行政法人の修正点は、欠陥の是正を目的とす
るもの、あるいは、学外からの大学制御手段を整備することを目的とするものに限ら
れており、法人化を大学自身にとって意義あるものにすることを目的とした修正を見
つけることができない。


   さらに悪いことに、財政削減を容易にする財務的構造を持つ点では、独立行政法人
と国立大学法人との違いはない。実際、今月の10日に開催された「財務省 財政制
度等審議会 財政制度分科会 歳出合理化部会及び財政構造改革部会第3回合同部
会」において、財務的には独立行政法人と国立大学法人との違いはない、という財務
省の見解が述べられているだけでなく、「国立大学法人化」を、あくまで高等教育予
算削減のために活用しようとする財務省の決意が示されている。


3.「国立大学法人」化の大学社会への影響


 中間報告の描く以上のような「国立大学法人」に国立大学を移行させれば、どうな
るだろうか。有害無益な法人化のための膨大な行政的雑事に翻弄されて大学社会の活
力と志気がさらに衰えるだろう。大学関係の国家予算が全体として大幅に縮小される
であろう。大学構成員の自律的な活動に無数の掣肘が加えられるようになり、内発的
な創意工夫を産みだす落ち着いた情熱は教育と研究の現場から失われていくだろう。
こうして、日本の大学システム全体が地盤沈下し、重点投資されるであろう少数の大
学も、それから逃れることは難しいであろう。


4.日本社会が必要としている大学改革


 日本社会がいま必要としている大学改革は、大学を国や企業や大学経営者にとって
扱いやすい大学に作り変えることではない。大学で学ぶ学生、大学で教育と研究に携
わる者の意欲を高めることであり、教育基本法に明記されているように、国民全体に
対して直接に責任を負った教育が大学で行われるようにすることである。


 そのためには、国家予算配分の役割を利用した行政指導により大学の自発性と自律
性が抑えられている状況を打破することが急務である。たとえば、国民的議論を喚起
して「高等教育予算法」を超党派で立法し、国公私立の大学全体に財政的な余裕を与
えることができれば理想的であろう。あるいは、欧米諸国で多く行なわれているよう
に、大学予算配分作業を行政から独立させることなども有効であろう。


 こういった施策が行われれば、大学は、真の自律性を獲得し、独自の知見と知的資
源を活かして国民全体に対する直接的な責任を果たすことができるようになるだけで
なく、国公私の大学全体が、財政的な余裕を背景として、喜びのある競争を展開し互
いに刺激しあって、各大学の独自の個性を伸ばし進化し続け、大学社会が百花繚乱の
野となって活性化するに違いない。また、高等教育費が下がることにより小子化にも
歯止めがかかるようになり、日本社会は再び未来に希望を持ちはじめ、真の活気を持
つようになるだろう。


 結語 「国立大学の独立行政法人化は不可能」を結論として頂きたい


 中間報告が描く「国立大学法人」化は日本社会が必要としている大学改革とは方向
が逆である。この中間報告の内容を見れば、独立行政法人制度を利用して大学自身を
良くすることは不可能であることが証明されているだけでなく、大学の機能を損なう
独立行政法人の欠陥の修正不可能性も証明されている。


 「国立大学の独立行政法人化は不可能である」を最終報告の結論として頂きたい。



(2001年10月29日)

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