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独行法反対首都圏ネットワーク                               

☆愛教大有志の意見書の提出
  200110.29 .[he-forum 2780] 愛教大有志の意見書の提出
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愛知教育大学独法化反対有志の会(稲毛 正彦、岩崎 公弥、沢 武文、菅沼 

教生、竹内 謙彰、寺中 久男、坪井 由実、藤井 啓之、松田 正久)で以下
の意見書を文部科学省に提出しました。なお、期日が迫っていたため、今日の昼
休みに集まったメンバーだけの名前で提出しましたが、賛同者はもっと多数であ
ることを付け加えておきます。また意見書には、1999年12月の有志の署名(241
名)による「「国立大学の独立行政法人化に反対する愛知教育大学教員の声明」
も添付しましたがここでは省略しておきます。


愛知教育大学理科教育講座

松田 正久
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調査検討会議「新しい「国立大学法人」像について」への意見
愛知教育大学「独法化」反対有志の会


 国大協「設置形態検討特別委員会は「国立大学法人化についての基本的考え方」の中で、「大学は、なによりもまず、高等教育機関であり、大学における教
育の質の向上は研究の質の向上があってはじめて期待できるものである。その意
味で、大学における研究と教育は密接に関連しているといえる。ところで、学術
研究は、ときの政治社会状況に左右されない自由な発想や、これまで真理・常識
とされてきたことを疑うところから出発する。いわば、既成の価値体系・価値観
から自由であることが、学術研究の本質である。憲法が保障する学問の自由は、
直接的には、国家から自由であることを意味するが、その背後には、こうした学
術研究の本質がある。そして、大学は、学術研究の中枢機関でもある。したがっ
て、大学は、既成の価値体系・価値観に拘束される存在であってはならない。い
わゆる大学の自治が要請される実質的根拠は、この点にある。」と明確に述べている。
 私たちはこのような観点に立って、調査検討会議「新しい「国立大学法人」像
について(中間報告)」について以下のような意見をまとめたので、報告します。なお、私たち、愛知教育大学教員有志は、国立大学の独法化の動きに対して、1999年12月に「国立大学の独立行政法人化に反対する声明」を明らかにしま
した。また2000年2月には「国立大学の独立行政法人化に対する愛知教育大学教授会の見解」が教授会で成立しています。

1)「国立大学法人」は実質的に通則法による独立行政法人化である。
中間報告によると、大学は「国のグランドデザイン、大学の長期目標、中期目標、中期計画、第三者評価とそれに基づく運営交付金の配分」のような流れの中
で運営されることとなり、「中期目標、評価、運営交付金の配分」という独立行
政法人の運営方式がそのまま当てはめられている。しかも、大学が中期目標を定
める際に、国の「グランドデザイン等を踏まえ」、「文部科学大臣は(中略)中
期目標を策定する」となっており、政府による大学の管理が一層強化されるよう
になることは明らかである。中間報告の「基本的な考え方」において大学の「自
主性、自律性」を尊重するとしているが、実際には大学の自主性、自律性に配慮
した制度設計とは程遠いものである。
2)「国立大学法人」は国民の教育権を侵害する。

 日本の高等教育に対する公的支出の割合は、他の欧米諸国に比べて極めて貧弱
であるが、中間報告では、高等教育の全般的な財政支援の向上については配慮が
なされていない。しかも、「競争的環境の醸成」と「第三者評価に基づく資源配
分」を行うとしており、不十分な財政支出をめぐり、「競争的環境」のもとで、
大学間で争奪戦を展開させようとするものであり、大学間の教育研究条件の格差
が今以上に拡大し、大学教育の荒廃が危惧される。このような「競争的環境」を
目指す教育政策のもとでは、基礎的な研究や直ちに経済的利益に結びつかない分
野の教育研究が軽視され、我が国の大学システムに計り知れない打撃を与えるも
のである。「国際競争力ある大学づくり」という競争原理至上主義を根本的に改
めるべきである。
 また、「学生納付金については、(中略)国がその範囲を示し、各大学がその
範囲内で具体的な額を設定する」としており、大学間の学費の格差と授業料の
らなる高騰に道を開くものであり、学生・院生が等しく教育を受ける権利を奪う
ことになる。またこれは、大学の重要な構成員である学生・院生を」高等教育サ
ービスの受け手としてのみ位置付けるものである。学問をともに創造・継承してい
く権利主体としての認識が本報告ではまったく欠けている。
3)「独法化」は大学の自治及び学問の自由を侵害し、高等教育・基礎研究を停
滞させる。
 中間報告では教育公務員特例法への言及は一切無く、教員選考にあたっては学
長や部局長も「大きな役割を果たすべき」とされる。部局長の選考も部局選出で
はなく学長による任命制となる。また、学長選出にあたっても、学外者の関与、
投票参加者の限定などが謳われている。このような人事制度の下で、「学長・学
部長を中心とするダイナミックで機動的な運営体制」が取られれば、学外者の強
い関与のもとで選出された学長をリーダーとするトップダウンの組織運営とな
り、これまでの大学自治は瓦解するであろう。大学の本質は真理の探究であり、
その使命は社会全体の利益のために研究教育を行い、学問研究の成果に基づいて
社会全体に奉仕することであるが、中間報告に従えば、大学における学問研究
が、「アカウンタビリティ」の名のもとで、「国のグランドデザイン」の実現に
奉仕する手段へと変質させられることになる。
 また、中間報告のように、各大学が中期目標・計画を作成する考えを「一部の
意見」として扱い、文部科学大臣が中期目標を策定するなどとするしくみは、到
底容認できない。各大学が中期目標(案)を提案し、文部科学大臣は「これを十分
に尊重しつつ」各大学の中期目標を策定するという中間報告の案は、これまでの
教育大学室による教員養成系大学・学部に対する「指導」を「中期目標策定権
限」にまで強化することになり、今次改革の依拠する「大学改革の推進」にも大
学の「自主性・自律性」という基本的な考え方にも全く反している。
 さらに、中期目標は「各大学が自主的に作成した長期目標を実現するための一
つのステップ」で「一定期間内の達成目標」とされている。この期間は「大学に
おけるカリキュラム編成の実態や修業年限等を考慮し、6年を原則」としてい
る。しかし、本来大学での研究は、未知の学術的価値を発見するために行われる
ものである。それは自由な発想に始まり、試行錯誤を繰り返しながら進行するも
のであり、一定年限の中で結果を産み出すものばかりではない。6年という短い
期間での研究目標を指示され、計画を立てそれに従って研究を行うことは、大学
現場の研究の在り方にはなじまないものであり、独創的な研究や地道さを求めら
れる研究の芽がつみ取られてしまう怖れがある。
4)「国立大学法人」では、大学および教職員の身分と待遇における格差・差別
が拡大する。
 競争原理と効率化の導入により、各法人単位での給与制度が採用され、任期
の導入により教職員の間にその身分や待遇に対して不安定性と差別・格差を持ち
込むことになり組織としての一体性が阻害される。
 大学の「自主性自律性」の観点に立てば、監事については、文部科学省などか
らの登用を排除すべきである。法人化後の能力給制度と一体となって、監事に膨
大な給与・賞与が支払われることになり、これこそが、国民の公務員批判の中心
である特殊法人への天下りになることを危惧する。
 また、中間報告では、「勤務時間管理」として、「教育研究に従事する教員の
特殊性に鑑み」「多様な勤務形態(たとえば週3日勤務制などのワークシェアリ
ング)や「裁量労働制」も「認めることが可能」など、安上がりな労働力、つま
り研究をするなら週3日以外のところでやれといわんばかりのことができるよう
なことも書かれている。経営的自立を目指す上で、常勤的雇用から教員をはずす
ことを正当化するためとおもわれても仕方のない無謀な提案である。教員は人材
派遣会社から派遣されるという教育機関として本末転倒のことが起こりかねな
い。これらは高等教育機関としての大学の自殺行為以外の何物でもない。
以上、4点にわたり私たちの意見を表明します。
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