『毎日新聞』2001年10月14日付

 21世紀の視点

 大学改革 国際的視野で/迫る統廃合、市場競争の波

 中嶋嶺雄

 議論ばかりが空転して社会と歴史の変化に対応できない日本の大学が、いよ いよ大転換を迫られている。特に国立大学に対しては、「聖域なき構造改革」 の大学版ともいえる「大学(国立大学)の構造改革の方針」(いわゆる「遠山 プラン」)が去る六月中旬に提示され、国立大学はいま大きな衝撃と混乱の中 にある。
 そのような折しも、文部科学省の調査検討会議は「新しい『国立大学法人』 像について」の中間報告を九月下旬に発表した。今回の中間報告は「遠山プラ ン」に刺激されたこともあって、当初の案よりも大きく前進している。
 もっとも、大学運営に関しては経営・教学両面に学外の有識者を求めるA案 (評議会案)、B案(運営協議会案)、C案(役員会案)が並列されたまま、肝 心の教職員の身分についても公務員型と非公務員型が併記されているなど、ま だ重要な詰めを残している。しかし、「全学的な視点に立ったトップダウンに よる意識決定の仕組みを確立することが重要だ」として、「経営責任の明確化 による機動的・戦略的な大学運営の実現」を図ろうとする姿勢が示されたこと は、「大学自治」「学部自治」を隠れ蓑にして一般社会では当然のことを怠っ てきた国立大学も、ようやくこの段階にまできたことを示している。特に印象 深いのは、国立大学の現場の怠慢と意識決定の硬直性を下支えしてきた教育公 務員特例法についての言及が今回の中間報告では一切消えていることである。 私自身、国・公立大学の教員だけをあまりにも過保護に身分保証する教育公務 員特例法の撤廃を機会あるごとに主張してきただけに、この点には大いに満足 している。しかし、公務員型を採用した場合にも、この国際化時代に国立大学 の学長には日本人しか就任できないという「知の鎖国」は、ぜひとも打破すべ きであろう。
 日本の大学が依然として「日本人が日本人に日本語で教える」体制である限 り、日本国内では「トップ三〇」が決まったとしても、国際的な競争力をもつ 大学にはなり得ない。一方ではすでにMIT(米マサチューセッツ工科大)がこ の四月から授業を無料公開してインターネットで遠隔授業を行っている効果が アジアの有数な大学に波及しつつあり、他方ではUMAP(アジア太平洋大学交流 機構)が開発した単位互換のスキーム(UCTS)がアジア太平洋地域に徐々に普 及して、大学間の壁が国際的にも低くなろうとしている。
 このような二一世紀の大学像を展望すると、日本の大学で四年間学んでも外 国語(とくに英語)の運用能力さえ身につかず、国際社会で活躍する余地も小 さいとなると、優秀な高校生は日本の大学を通過せずに直接欧米やアジアの有 数な大学に進学することになるであろう。これは日本の大学の空洞化にほかな らず、少子化に伴う定員割れや財政難による大学倒産の危機ばかりか、国際的 な市場競争の波が押し寄せてきていることの証左なのだ。
 今後わが国の大学は好むと好まざるとにかかわらず、統合や再編、さらには 廃校への道を歩まざるを得ないであろう。その際にも、大学の中身が旧態依然 としたままでは、組織上の統合や再編がいくら行われても、将来的にはまった く意味をもたない。私自身が責任の一端を負った東工大、一橋大、東京医歯大、 東京外大の「四大学連合」は、統合して総合大学化するのではなく、単科大学 の個性を活かして機動的に連携し、国際競争力をもった日本の代表的な高等教 育機関になることを目指したものであって、その後も連携への具体化が進捗し てはいるが、その場合でも国際水準に合致する改革が伴わなければ、意味を失 うであろう。
 国立大学の法人化が私学の経営を脅かすといった論議や私学助成の今後のあ り方に危機を抱く向きもあるけれど、将来的には、設置者や納税者にとっての 負担が重い公立大学をも巻き込んだ国・公・私一体の再編・統合も必要になる のではないか。  要は日本の大学が全体として輝くことであり、この千載一遇の機会を逃せば、 単に大学の衰退のみならず、日本全体の沈没にも繋りかねない。


目次に戻る

東職ホームページに戻る
独行法反対首都圏ネットワーク


☆大学改革 国際的視野で/迫る統廃合、市場競争の波 
2001.10.15  [he-forum 2687] 毎日新聞10/14.