『山陰中央新報』社説 2001年10月5日付

  国立大法人化/中途半端な自主性の確保

 文部科学省が検討していた国立大学法人化の中間報告が公表された。予算や 組織などに関する国の規制を大幅に緩和、大学の裁量を大幅に広げる一方、評 価に基づく資源配分を徹底するなど経営責任を明確化する−という骨格だ。
 行政機関の一部として、カネや人、教育研究組織などさまざまな面で、国が 大学をがちがちに縛りつけていた事前規制を緩め、日常の運営は大学に任せよ うというものだ。大学の自主性、自律性が広がるなら、歓迎したい。
 だが報告では、評価結果をどう資源配分につなげるかなど肝心の点が不明確 だ。各大学の中期計画を文部科学相が認可するとしている点なども含め、運用 次第では逆に国のコントロールが強まりかねないところもある。目指すべきは 「大学の自主性・自律性拡大」で、これをどう具体的に担保するか。最終報告 までに制度運用の中身まで踏み込んだ提示を求めたい。
 国立大学は、国による「統制」と、その裏返しの「庇護(ひご)」の中でずっ とぬるま湯につかり、自己変革のエネルギーと社会に対する緊張感を失ってき た。改革は、徹底して大学に任せ、大学が責任を取る仕組みをつくることから 始めなければならない。
 今回の論議は、行革論議で浮上した「独立行政法人」に国立大学をはめ込も うとしたところから始まった。独法化すれば、定員法の枠から外れることから、 公務員定数削減の数合わせに大学を使おうというものであった。
 だが、行政の企画立案機能と実施機能を分離、企画立案を本省が、独立行政 法人が実施を担当し効率化を図るという枠組みは、自ら企画立案する大学にな じまない。
 報告が「行革の視点を超えて検討」し、修正を加えたのは一定の前進だが、 まだまだ部分的で、中途半端だ。大臣が各大学の中期目標を策定するとしたり、 中期計画を認可するとするなど、依然、独立行政法人の大枠がはまっているこ とに変わりはない。
 国立大学を政府の下請けにしてはならない。枠組みそのものの組み替えを求 めたい。  評価結果の資源配分への反映も気になる点だ。教育研究については、第三者 機関の大学評価・学位授与機構の評価を尊重するとしているが、それを各大学 の交付金にどう反映するかは、文科相が任命した委員で構成される国立大評価 委員会の判断だ。
 資源配分と評価のリンクは、一歩間違うと、国によるコントロールに直結す る。国の統制から自由でなければ、独創的研究は育たない。国の関与について の歯止めを、目に見える形で示す必要がある。
 大学への学外者の参加も今回の目玉のひとつだ。報告は、学外者の参加方法 についてもいくつかの案を示している。  閉ざされた大学を開くのは結構だが、国が開き方まで決めるようなやり方は 疑問だ。学外者を、どういう立場でどれくらい参加させるかは、大学自身の主 体性に任せるべきだ。
 ともあれ、大学の裁量は大幅に広がり、大学の自己責任が厳しく問われるこ とになる。管理も経営も、大学が主役になる。既得権を守るだけの自治ではも う済まない。
 学内のあつれきを調整できる「大学自治」を確立しなければ大学に未来はな い。与えられた自治でなく、自分たちでつくり上げる自治を目指さなければな らない。


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国立大法人化/中途半端な自主性の確保
200110.6 : [he-forum 2666] 山陰中央新報社説10/05.