独行法反対首都圏ネットワーク |
☆東職、9.27中間報告に対する見解,
2001 .10.3 [he-forum 2652] 東職、9.27中間報告に対する見解など
東京大学職員組合(東職)です。
文科省調査検討会議「9.27中間報告」が非常に重要であるとの認識から、東職は10月2日の執行委員会で下記の見解をまとめ、発表することとしました。 また、10月29日に予定されている国大協臨時総会に向けて、東職は下記のとりくみを行うこととしました。
(1)10.29東大集会の開催
(2)10.29東大集会実行委員会の立ち上げ
(3)10.29国大協臨時総会要請行動
集会、要請行動の具体的内容は未定ではありますが、全国の教職組とも連携しつつ、とりくんでいきたいと思います。
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文部科学省調査検討会議
「新しい『国立大学法人』像について(中間報告)」に対する見解
2001年10月2日
東京大学職員組合
はじめに
文部科学省の調査検討会議は9月27日、「新しい『国立大学法人』像について」と題した中間報告を発表した。この報告は調査検討会議における1年余の議論の結果であるが、結論的に言えば、私たちにとって、この中間報告の内容はとうてい受け入れ難いものである。中間報告は大部であり、内容は多岐にわたるが、ここでは5点に絞って私たちの批判的見解を表明しておきたい。
1.独立行政法人制度=通則法による制度設計である
「国立大学の独立行政法人化」が検討され始めて以来、大学には「通則法とは異なる制度設計」が必須と言われ続けてきた。しかし今回の中間報告は、結局のところ独立行政法人の制度=通則法が隅々まで貫徹されていると言わざるを得ない。
中間報告を簡潔に整理すれば、「国のグランドデザイン(政策目標)-->大学の長期目標-->中期目標-->中期計画-->評価-->資源配分(組織の改廃も含まれるであろう)」という流れであり、これは通則法のサイクルそのものである。しかも、基本はそれぞれの段階で文科相の策定や認可によって決定される。これでは大学はとうてい「自主的・自律的」な組織とはなりえない。国や政府による大学管理が一層強化されるのは明らかである。大学は自治的組織としての基本を失う。
2.学外者による大学管理・統制への道を開く
中間報告では大学の管理運営について主として2つの方式が挙げられているが、どれも学外者の関与を大幅に認める点では一致している。また、経営と教学とを分離し、学内教員による議論や意思決定は教学面に限定しようとする意図が見て取れる。あるいは「相当程度の学外の有識者」の参加する「役員会」に大学の経営・教学両面に関する意思決定権を与え、評議会の権限を剥奪しようとしている。そもそも教学だけでなく、「経営」(=大学の管理・運営)も「大学の自治」にとっては重要な柱であり、「自主的・自律的」な教育研究を保障する要でもある。
報告の言う「社会に開かれた運営システム」(「組織業務」の視点2)という「視点」からの「学外者」の参加は、大学を、産業界へ奉仕する機関(人材輩出、新産業創出)や大量の官僚の天下り先へと導きかねない。大学運営の中枢を企業の経営者や官僚が握り、大学を管理、統制する道を開いてはならない。
3.「学問の自由」「大学自治」は瓦解する
大学は、学問の自由も大学の自治も奪われようとしている。
中間報告では1カ所だけ「学問の自由に由来する「大学の自治」」との言及(p32)があり、教員等の人事を大学自身で決めることが自治の基本とされてはいる。しかし、教育公務員特例法への言及は一切無く、教員人事は各大学ごとの方針に委ねられる部分が大きい。学問の自由と大学の自治の法的保証をなくそうとしている所に主要な問題点がある。また、教員選考にあたっては学長や部局長も「大きな役割を果たすべき」とされ、部局長の選考も部局選出ではなく学長による任免制となる。
一方、報告では学長の選考基準・手続は「外部の有識者」が参画して検討すべきとされ、さらに、従来の教員による直接投票は排除され、投票が行なわれる場合でも、外部者の関与、投票参加者の限定などが唄われている。つまり学長を構成員が自律的に選出する仕組みが否定されている。
こうした教員人事制度と「学長・学部長を中心とするダイナミックで機動的な運営体制」(「組織業務」視点1)とを重ねてみれば、これまでの部局自治は成立せず、学外者の強い関与のもとで選出された学長をリーダーとするトップダウンの組織運営となろう。それはもはやボトムアップを基本とする自治的な組織ではありえない。また中間報告の冒頭にある「検討の前提」や「視点」に照らせば、国から相対的に独立して行われるべき学問研究が、「国のグランドデザイン(政策目標)」の実現に奉仕する手段へと変質することにもなろう。
4.「多様な職種を自由に設定」すれば、職場は荒廃
中間報告の「人事制度」(p36-37)では、「各大学の実状に即した多様な職種を自由に設定できる」とされ、いわゆる能力主義的な給与体系が教職員にインセンティブを与えるとしている。しかし、こうした方策で教職員が本当に「高いモラールを維持」できるのだろうか。
中間報告は、現状の大学における問題点を調査・検討し、その上で改善策を提起するという姿勢に欠けている。事務職員や技術職員について、「専門性に基づく処遇」を提唱しているが、それが現状分析にどの程度基づいているのか疑問である。
現在でもポスドク関連の非常勤職員をはじめ様々な職種が出てきており、現場では少なからぬ混乱がある。その上、事務や技術職員にまで「多様な職種」を個々の大学で自由に導入したり、外部資金による任期制教職員を雇用したりすれば、益々「使い捨て的」な人達が増大しかねない。労働者としての権利や身分保障などで問題が多発する可能性は大きい。また、教職員のインセンティブを給与面だけの改革で高めようということも、大学という場の特殊性を省みない、安易な発想である。業績主義賃金は個々人を競争させ、管理統制する手法の導入であり、職場の荒廃を促進させる危険が強い。
5.競争原理と第三者評価で教育研究は衰退
地方国立大学長28名によって9月11日に発表された提言は、「競争原理は、本質的に、個人的にも組織的にも秘密主義・孤立主義に導くものであり、...知的公開と知的協力はきわめて困難となる」と述べている。調査検討会議は、「国際競争力ある大学づくり」などという競争原理を至上とする立場を根本的に改めるべきである。
また、中間報告で言及される「第三者評価」は幾重にもなっている。(総務省の評価委員会、文科省の国立大学評価委員会、大学評価・学位授与機構、等々)報告の通りに法人化されれば、教育研究の現場では「第三者評価」への対応で忙殺されることになろう。評価のための教育研究という倒錯した事態に陥ることは、「世界水準の教育研究の展開」(検討の視点1)はおろか、誰にとっても益の無いことは明らかではないだろうか。
おわりに
今回出された中間報告は、昨年の「自民党提言」を下敷きにしており、大学を国の政策目標を実現するための有力な機関として位置づけ、6月11日に提出された「大学構造改革方針(遠山プラン)」に見られる、大学を経済政策の道具に変えようとするものである。
中間報告の描く大学では、21世紀を担うべき大学像からは遠ざかり、「自主性・自律性」に欠けた、国家と経済界のコントロール下の大学とならざるを得ない。もはやそれは、自治的に教育研究を行う大学とは言えないであろう。大学を、こうした組織へと変質させてはならない。 学問の自由と大学の自治を守るために、大学で働き、教育と研究を担い、支える全ての人は、今こそ決然と立ち上がる時である。
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