☆「新しい『国立大学法人』像について(中間報告)」に対する意見書(静岡大学教職員組合)
200110.29静岡大学教職員組合
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静岡大学教職員組合は、文科省調査検討委員会の「新しい『国立大学法人』像につ
いて(中間報告)」に対する意見書を次のようにまとめ、文科省に送りました。
T「基本的な考え方」について
「国立大学の法人化を検討する場合に、まず前提とされるべき基本的な考え方」
は、法治国家である以上、憲法第23条、第26条、教育基本法前文から第3条ま
で、学校教育法第52条であるべきである。言うまでもなく、これらの条項は、「滝
川事件」、「森戸事件」等、戦前の忌まわしい体験への真摯な反省から、作られたも
のである。以下、「中間報告」の問題点をあげ、批判してゆきたい。
前提1:「大学改革の推進」
知を支える教育・基礎研究・人文社会系研究はその「外部経済性」の故に競争原
理や市場メカニズムの最も機能しない領域である。本年度ノーベル経済学賞を受賞し
たJ.スティグリッツが述べるように「基礎研究は他の公共財と同様に、私的市場では
過小供給になる。」従って、国の財政的支援は不可欠である。競争原理を導入して活
性化するのは特定の応用分野のみであろう。
前提2:「大学の使命」はすでに上記諸法に高らかに謳われており、それをどう実
現してゆくかに、大学の課題がある。が、『中間報告』では、最後の段落で、それま
での段落で述べられたこととはなんの論理的繋がりもなく、唐突に、納税者が登場し
ている。ここでは、国民の税金も投資家の資金も同一のレヴェルで捉えられ、経済効
果として把握しうるような、透明性と説明責任とが問題になっている。
前提3:「自主性・自立性」
「閣議決定で確認され」るまでもなく、大学の自治は「憲法上保障されている学
問の自由に由来」(30ページ)している。その時々の内閣の個性に左右されるべき
ものであってはならない。しかし、『中間報告』は「最終的に国が責任を負うべき大
学」という表現で、最終決定権は国という主張を暗黙裡に前提としてしまっている。
その枠のなかでしか再三出てくる「自主性・自立性」は考えられておらず、以下の
「組織業務」、「目標評価」、「人事制度」等にも、一貫してその考えが展開されて
いる。
以上3つの前提に重大な疑義がある。それを前提とした以下の全体の議論がおかし
くなるのは当然である。
視点1:「世界水準の教育研究の展開をめざした個性豊かな大学」
「世界水準の教育研究の展開」と「個性豊かな大学」とは異なった視点である。世
界水準の教育研究とはどのようにだれが評価するのか?また、出来るのか?ノーベル
賞の数を競うことが研究の本来的な質からいって、本末転倒であることは野依名大教
授の指摘を待つまでもない。
視点2:「国民や社会へのアカウンタビリティを重視」することに異論のあろう筈
はない。我々も「大学運営全般にわたって、透明性の確保と社会への積極的な情報の
提供に務める」ことを大学当局に要求してゆきたい。しかし、それは「大学運営に…
学外の専門家や有識者が参画」することによって保障されるのであろうか?まして
や、大学の財政基盤が貧困なまま、学外有識者の参画が、第三者評価に基づく競争原
理や競争的資金配分と結合するのであれば、それは社会の特定グループの利益に国民
の公共財を悪用する道を開くことになる。大学のあり方にかんする批判は理性的な議
論の場で行われるべきであって、財政的ペナルティ等の「強制的手法」に依拠すべき
ではない。
「教育研究の世界に、第三者評価に基づく競争原理を導入」することが可能か?
「厳正かつ客観的な第三者評価のシステム」はどうやって確立・保証されるのか?。
しかもそれが公的資金の競争的配分を担うのであれば不可能としか言いようがない。
視点3:「経営責任の明確化」と「機動的・戦略的な大学運営」とは別問題であ
る。ここでも民間的手法の導入という経営のあり方が「トップダウンによる意思決定
の仕組み」に矮小化されている。大学の担う学術研究と、利益極大化をめざし市場競
争を展開する民間企業との違いが意識されてもいない。目的やそれが機能する前提条
件が異なる以上、民間経営に有効な手法だからといって、ストレートにそれを大学に
移植することは出来ない。
U「組織業務 」
視点1:「ダイナミックで機動的な運営」はそれ自体として反対するべきものでは
ない。が、民主的な手続きと民主的な議論が保障されないと、学問の自由が侵される
虞がある。我々は「教育研究活動以外の教員の負担を軽減」することに賛成である
が、それは決して、民主主義の手続きと引き替えであってはならない。民主主義は、
時として「ダイナミックで機動的」な運営の妨げともなりうるが、「ダイナミックで
機動的」なことよりも価値として遙かに上位にある。
視点2:「学外者の参画」は、ある意味で、歓迎すべき提言である。だれが、どの
ような権限で参画するのかが明確でなくてはならない。「有識者」とはだれなのか?
視点3:「各大学の個性や工夫が活かせる柔軟な組織編成と多彩な活動の展開」を
妨げてきた要因は何か?その原因を追求することなくして、構造改革はありえない。
以上、「検討の視点」そのものの「見識」に疑義がある以上、トータルとして提言
の「組織業務」に反対せざるをえない。しかしながら、今日の大学運営については、
我々も改善すべき余地があると認識している。が、それは大学の構成員である教員・
事務職員、学生らによる徹底した熟議を経てのみ実現できるものである。
学長: アメリカの大統領は民主的な手続きをへて選ばれているからこそ「強い
リーダーシップ」を発揮しうる。それでも議会のチェック機能は働く。民主的に選出
されないリーダーの「強いリーダーシップ」は独裁以外のなにものでもない。まして
や、「法人の長としての学長が不適任とされる場合には」「文部科学大臣が…解任で
きる」(W人事制度、2制度設計の方針、30ページ)のであれば、戦前への逆行で
しかない。民主的に選ばれた学長が不適任であれば、民主的にリコールするのが常識
と思われる。
教育研究に内在する固有の特質とその多様性から、歴史的に大学の自治は形成され
てきた。学長には大学自治体の長にふさわしい資質が求められており合議体の長とし
てのリーダーシップが求められている。
監事: 「視点2」で触れたように、「高い見識を有する学外者」とはだれを指す
のか大いに疑義があるが、「監査」役の職務内容・権限も定かではない。言われてい
ることは「基本的には各教員による教育研究の個々の内容は直接の対象としない」で
ある。つまり「個々の研究の内容」以外の教育研究事項は監査の対象になるというこ
とである。「基本的な考え方」の「前提」に、学問の自由も大学の自治も謳われてい
ない事実に鑑みると、「監査」役は「国が策定するグランドデザイン」(V 目標評
価、2「制度設計の方針」)のお目付役と思われる。
V 目標評価
視点1:「明確な理念」をもつ以前に「国のグランドデザインを踏まえる」ことが
義務づけられている。が、その時々の国策に従うことは大学の使命であってはならな
い。
視点2:「教育研究の質の向上」が「第三者評価によ」って得られるとは思われな
い。細分化された現代の学問を評価しうる第三者とはだれか? 先に触れたように、
教育研究の質の評価が至難の業である所以は、それが同一の単線上にないからであ
る。それ故にこそ「競争」の論理にもなじまないのである。「競争的環境」は、例え
ば、品質の良い洗剤を産むが、ノーベル賞学者は、はたして「競争的環境」の所産で
あろうか?
視点3:情報公開は積極的に推進すべきである。今までの大学は余りにも「世間」
にたいして閉鎖的であった。が、「国立大学評価委員会」は、だれが、何を基準に、
何を評価するのか?
以上、「検討の視点」そのものの「見識」に疑義がある以上、提言の「目標評価」
にトータルとして反対せざるをえない。しかも、この「視点」には、どういう学生を
育て、将来の日本を担わせてゆくかという視点が完全に欠如している。驚くべき大学
像といわなければならない。
グランドデザイン: 国がグランドデザインや政策目標を、現在行われているよう
なスタイルで策定することには根本的に反対である。「グランドデザイン」の内容が
不透明であるが、もしそれが、その時どきの政策ではなく、国としてもつべき大きな
指針ということであれば、研究・教育の両面にわたって広く民主的に決められるべき
である。もちろん、その前提となるものは、憲法・教育基本法の精神でなくてはなら
ない。
長期目標: 国策たる「グランドデザインを踏まえ」、かつ「自主的に」目標を策
定する、とはどういうことか?
中期目標・中期計画:「中期目標については」、文部科学大臣がこれを「策定す
る」。その「達成度」の「評価」を「文部科学省及び文部科学省におく国立大学評価
委員会」が下す、のであれば、大学の自治はおろか、当『中間報告』に何度も出てく
る大学の「自主性・自立性」さえ実現できない。
W 人事制度
視点1:高等教育機関は自発性・創造性を維持・高揚させなくてはならない。その
点からして教職員の雇用の不安に繋がりかねないものは極力避けなくてはならない。
その意味では「公務員型」が望ましい。
視点2: 「業績に対する厳正な評価システムの導入」それ自体に異議はない。
が、先にも触れたように、はたしてそれが現実に可能か、だれが評価するのか、に隘
路がある。その困難性が、「インセンティブ・システムを給与制度に導入する」こと
が必ずしも「個々の教員の有する潜在的能力を発揮させる」ことに結びつかない理由
である。「厳正な評価システム」のないまま、「インセンティブ・システムを導入」
すれば、知の荒廃のみならず、職場の混乱を産む。
「U 組織業務」の項でも触れたが、「不適任」な学長を主務大臣が解任できる仕
組みは、当『中間報告』のいう大学の「自主性・自立性」をさえ、侵しかねない。
視点3: 「国際競争に対応し得る教員の多様性・流動性の拡大と適任者の幅広い登
用」が、「学長選考の過程に社会(学外者)の意見を反映させる仕組み」を導入する
こととどう結びつくのか、疑問である。知のありよう、学の質によっては、本来的
に、国際競争への対応になじまないものが、当然、ある。学外者の意見を学長選考の
過程に反映させることとは何の関係もない。
以上、「視点」全体に疑義がある以上、提言の「人事制度」に反対せざるをえな
い。
「身分」:戦前の痛苦な反省の上に、「教育公務員特例法」は成立している。いつ
成果になって現れるか分からない基礎研究を何十年も安心して続けられる環境こそ
が、結果として、今日のハイテク日本の礎となっている。
「監事」:「少なくとも1名は…学外者から登用する」(「U組織業務」、9ペー
ジ)「監事は…文部科学大臣が任命、解任」するのであれば、再三いわれている大学
の「自主性・自立性」のほうはどうやって「担保する」のか?
以上、『中間報告』の要旨は、大学に、先ず「グランドデザイン」(国策)で大枠
を嵌め、次いで「中期目標」で縛り、その国策路線のお目付役として「監事」を配
し、その達成度を「国立大学評価委員会」が判定する、という仕組みになっている。
この場合の大学間競争は文部科学省への忠誠度という単線上にあるから評価は可能で
ある。去る大戦後、その多大な犠牲者の血で購った学問の自由と大学の自治は完全に
侵されている。 また、個々の大学人にたいしては競争を煽り、それが業績を伸ばす
という哲学に立っている。真にもって時代の風潮を鋭敏に反映している、と言わなく
てはならない。が、時代は変わる。内閣も替わる。が、「学問の自由」に変更があっ
てはならない。それをどう全うするかというベクトルで大学も常に「構造改革」を志
さなくてはならない。現内閣総理大臣の「米百俵」哲学の意味を、我々は深く銘記し
てゆきたい。
X 財務会計制度
1「検討の視点」の問題点
「法人化を契機に、財務会計のあり方を通じて国立大学がどのように変わるのか、
どのような大学になるのか」は、「大学の特性を踏まえた会計基準」を実際につくる
のかどうかにかかってくる。しかるに、「中間報告」における、「既に『独立行政法
人会計基準』が策定されているが、これを参考としつつ、大学の特性を踏まえた取扱
いとすべきである」という記述は、独自の会計基準を作るのでなく「独立行政法人会
計基準」に準拠するとの宣言にほかならない。
たしかに「各大学の自己努力による剰余金は、あらかじめ中期計画で認められた使
途に充当」できるようになるなど、細かな改善点が提起されてはいる。しかし、これ
で「大学の特性を踏まえた会計基準」が担保されるわけではない。国立大学法人とし
て、「独立行政法人会計基準」に準拠した財務会計制度を導入することになると、国
立大学法人は単に「国立大学評価委員会(仮称)」・「大学評価・学位授与機構」によ
る研究教育業績評価だけでなく、財務情報による業務実績の評価をうけることにな
る。具体的には独立行政法人会計に独特な財務諸表の一つとして、『行政サービス実
施コスト計算書』の作成・公表が義務付けられる。それによって大学にかかったコス
トが数値化され、大学が提供するサービスと比較秤量されることになる。そもそも大
学が学生に提供する教育サービスの成果を、単年度ごとに数値化してみたところで、
恣意的に選んだ指標ごとに、目先の数字の高さを競うだけで終わってしまう。大学が
提供するサービスを、独立行政法人一般のそれと同様に扱うことはできない。他方、
サービスにかかったコスト計算の面においては、例えば大学の敷地を時価で計上する
のか、取得時の原価で計上するのかなどによって、コスト額は大きく変わってしま
う。最初から「こんな僅かなサービスのために、これだけのコストをかけている」と
いう結果がでるような仕掛けが作られてしまいかねないのである。
こうした会計制度は、大学評価(大学間の競争)の材料を提供するだけではない。
学内での業績評価・予算配分の格差づけの道具になる。学部単位での財務情報による
業績評価、さらには学科単位、研究室単位(研究集団単位)のセグメント評価制度と
して展開していくことになろう。個々の単位毎に予算額の格差が拡大し、共通予算負
担をめぐる学内の確執が強まるのは避けられない。
無駄とも見えるところこそ「大学らしさ」である。どこに無駄があるかをあぶり出
し、そこのリストラを裏付けるような会計システムが大学に導入されるなら、そのと
たんに大学は落ち着いて教育研究に打ち込むゆとりある姿勢を失ってしまう。独立行
政法人会計基準を前提にする限り、こうした弊害から逃れることはできない。
2 「運営交付金」
基盤経費的なものとして安定した額が交付されるかのように思われてきた「標準運
営交付金」であるが、算定の基礎は「学生数等客観的な指標」とされており、客観的
な指標の中に、教育研究業績評価や上で述べた財務業績評価が反映することになりか
ねない。ここさえも「弾力的」=不安定になるなら、大学の教育研究を大きく疎外す
ることになる。
付則各論(1)「U 組織業務」
1 「検討の視点」について
中間報告は検討の視点として、@「学長・学部長を中心とするダイナミックで機動
的な運営体制の確立」、A「学外者の参画による社会に開かれた運営システムの実
現」、B「各大学の個性や工夫が生かせる柔軟な組織編成と多彩な活動の展開」をあ
げる。
国立大学法人の組織業務の在り方を考える場合、私たちは、その視点として、第1
に、学問の自由、大学の自治の原則を基本とすべきであると考える。すなわち、法人
格をもつということが、高等教育研究機関である大学の特性を十分に踏まえた大学の
自立性・民主性・自律性をいっそう高めることに資するという視点である。
第2に、学術研究の創造的発展と高等教育の拡充に資する組織編成とその活性化と
いう視点が重要である。第3に、主権者である国民のための大学として国民に開かれ
た運営システムを実現するという視点である。
以上の観点からすると、中間報告の「検討の視点」は、学長をトップとするピラ
ミッド型の集権的組織編成への傾斜が著しいように思われる。また「社会に開かれた
運営システムの実現」においては、「学外からの有識者や専門家」の参画のみが無限
定にことさら強調されている。
2 「法人の基本」、根拠法等について
国立大学を独立行政法人通則法の枠組みのもとで法人化することには反対である。
したがって、国立大学を法人化するにしても、次のことが明確にされるべきである。
第1に、国立大学法人の根拠法である「国立大学法人法」(または「国立大学
法」)は独立行政法人通則法の「個別法」、「特例法」あるいは「調整法」に当たる
ものではなく、それ自身、独立した法律であることを明確にすること。
第2に、国立大学は国を設置者とする旨を国立大学法人法に明記するとともに、そ
の国立大学を運営する主体が国立大学法人であることをあわせて明記すべきである。
第3に、法人化後の国立大学に共通する一般的な目的規定を法律で規定すべきと考
える。その場合、独立行政法人通則法2条の定める「独立行政法人」および「特定独
立行政法人」の存在目的、性格づけは国立大学にふさわしいものでなく、教育研究機
関である大学の特質と大学の自治の原則をおりこんだ目的規定にすべきであると考え
る。この点について、中間報告はいまだに具体的提言を示していないことは問題であ
る。
3 「運営組織」について
(1) 私たちは、大学の運営組織の基本原則は、教学と経営の一体的かつ円滑な意
思決 定システムの構築であると考える。中間報告は、それを単なる配慮事項にして
いるが、基本原則として、明確に位置づけられるべきである。
(2) 役員(学長、副学長、監事)について
@ 中間報告は学長が法人の代表であることのほか、「強いリ−ダ−シップと経
営手腕の発揮」、「最終的な意思決定」を強調している。学長が法人の代表となるこ
とについては賛成であるが、いくつかの前提条件なしに、過度に「強いリ−ダ−シッ
プと経営手腕の発揮」のみを強調することは、大学が、一般の行政組織や企業組織と
異なる特質をもつ教育研究体であることを軽視ないし無視する結果となるおそれ大で
ある。教育研究に内在する固有の特質とその多様性から、歴史的に「大学の自治」が
形成されてきたのであり、学長には「大学自治体」の長にふさわしい資質が求められ
おり、そのことを前提として、学長には合議体の長としてのリ−ダ−シップの発揮が
求められているのである。
A 監事の業務監査について、中間報告は、「基本的には各教員による教育研究
の個々の内容は直接の対象としないことが適当である」と述べる。このことは「個々
の内容」以外の教育研究事項をも監査の対象とすることを意味するものと思われる。
そのような監事の業務監査の範囲については、学問の自由を尊重する観点からの限定
が不可欠である。 B 中間報告は国立大学法人に副学長等の役員を置くこととし
ているが、副学長以外の役員としては、大学における基礎基本組織である学部等の重
要性からして、部局長も役員とするべきである。
C学外者を大学のどの運営組織に、どのような身分・立場で、どの程度の比率で
参画させるかは、中間報告が示すように重要な論点である。
私たちは、大学の意思決定機関を構成する者は、その職務の重要性と責任の重さか
らして、大学構成員(常勤の職にある者)でなければならないと考える。学外の有識
者が非常勤職として、大学の運営にかかわることのできる機関は諮問機関としての性
格をもつものに限定されるべきである。したがって、役員である副学長等および審議
決定機関である評議会等の構成員はすべて大学構成員(常勤の職にある者)をもって
当てるべきである。
(3) 大学の運営システムについて
@ 中間報告は、役員以外の運営組織の在り方について、@経営面での大学の裁
量を効果的に活用しうる組織とすること、A国の直接的な関与を制限する代わりに学
外者の積極的参画を図ること、Bダイナミックで機動的な意思決定を可能とする仕組
みを取り入れることを強調する。
私たちは、大学の組織運営の基本原則を次のように考える。
第1に、大学の自治の原則にのっとり、民主的な大学運営を基本とすること。
第2に、評議会を大学の教学・経営にわたる最高意思決定機関として位置づけ、教
育研究の基本組織に置かれる教授会の意思を尊重して、大学法人の意思決定を行うこ
とを基本とすること。
第3に、正規の執行機関として役員会を置き、その役員会は経営事項について法人
としての責任をもつこととし、その役員の任命は大学構成員による民主的手続を経て
選出されるものとすること。
第4に、評議会と教授会は、それぞれが分任する教育研究および管理運営事項につ
いて、審議決定し、その執行責任を負うこと。
第5に、国民に開かれた大学として、国民の意見が大学運営に直接反映されるよう
な多様なシステムを設けること。
A 以上のような考えからすると、中間報告が示す各案に以下のような問題があ
る。 A案は、評議員会を経営・教学の両面にわたる審議機関として位置づけ、そこ
に「相当程度」の学外者を入れることとしている。また、「相当程度の学外者が教学
に責任を負う」としている。学外者は非常勤職を想定しているものと思われるが、先
に述べたように、非常勤の学外者に大学としての意思決定およびその執行についての
責任を負わせることは不適切であり、学外者の参画は、諮問機関に限定されるべきで
ある。
B案は、経営と教学について、運営協議会と評議会が分任して、審議することと
し、教員は経営責任を負わないとしている。教学事項は経営事項と密接な関わりを
もっているにもかかわらず、経営事項についての審議に教員が参加するシステムが欠
けることは重大な問題である。運営協議会に「相当程度の学外者」が参画することの
問題は先に述べたことと同じである。
C案は、正規の役員会を置き、そこに教学・経営の両面にわたる重要事項につい
て、正式の権限を与えることとしており、しかもその役員会に「相当程度の学外者」
を入れることとしている。役員会主導の大学運営となり、評議会の役割および地位が
いちじるしく低下することになり問題である。
B私たちは、今日の大学の組織運営について改善・改革すべきところがあると認
識しているが、それは大学の構成員である教員、事務職員、学生による徹底した熟議
を経てのみ達成できるものと確信している。中間報告には、そのような観点が欠如し
ていることも大きな問題である。
各論2「W 人事制度」
中間報告は、国立大学の独立法人化後の人事制度に関する検討の視点として、 @
教員の多彩な活動を可能とする人事システムの弾力化、A成果・業績に対す る厳正
な評価システムの導入とインセンテイブの付与、B国際競争に対応し得る 教員の多
様性・流動性の拡大と適任者の幅広い登用を掲げるが、その制度設計 の方針として
掲げられている具体的な提案については、以下のような問題があ ると考える。
1 教職員の身分
中間報告は、教職員の身分の「公務員型」と「非公務員型」の選択について
「個別の制度設計を積み上げた最終結果として判断することが適当である」と 述べ
るが、中間報告「2・制度設計の基本(1)法人の基本」で、大学の設置 者として
「国を設置者とする」としており、これは、通則法に存在しないもの であり、私立
大学と異なる国立大学の存在意義を認め、学校教育法上、国が設 置者とするという
考慮をしたものと考えられ、そうであるなら法制上も「公務 員型」とするのが適切
である。また、中間報告では、「非公務員型」に関して 人事システムの柔軟化に資
するとの強調が行われているが、高等教育機関とし て、その自発性・創造性を高め
るという観点から考えてみても、これが教職員 の雇用の不安をもたらすものにつな
がりかねず、かえって高等教育機関として の使命を果たし得ない結果となろう。さ
らに、中間報告が言うように、兼業・ 兼職の弾力化は、もっぱら教員に関する事項
であり、「公務員型」を採用した としても、十分な対応は可能であるし、これだけ
をもって、「非公務員型」を 採用すべき根拠とはなりえない。
さらに、中間報告は教育公務員特例法になんら触れていないが、教育公務員 特例
法は、学問の自由の保障と大学自治の尊重という観点から、大学教員の人 事に関し
ては、採用・昇任・分限・懲戒・服務等に関して各大学で自主的に行 うことを制度
的に保障しており、独立行政法人化によりその適用が除外される とすると、最近、
私立大学で経営悪化を背景とした教職員の解雇や各種人事問 題に関して起きている
各種紛争と同様な状況に国立大学も晒されかねないとも いえ、高等教育機関として
の責務を果たすうえでも、教育公務員特例法を維持 すべきであると考える。
2 選考・任免
中間報告がいう人事において、教員の有する潜在的な能力を発揮させるイン セン
テイブ・システムの制度の工夫は、その導入が経営効率の観点からのみ図ら れるべ
きでなく、合理的・客観的な具体的評価システムが確立され、公平性・ 透明性・納
得性によって構成員の支持を受けて実施されるべき性格のものであ る。
学長の選考方法については、学長は法人の長とされているが、特別職であっ て、
国公法・教育公務員特例法の適用がないので、「公務員型」をとる場合で も学長の
人事について準拠すべき原則を定めるべきであり、現在の学長選挙制 度の維持を基
本に据えるべきである。学長の選任について、中間報告は経営能 力の重視を強調す
るが、独立行政法人化後の国立大学の運営にあたっては、教 学の責任者としての見
識についてもこれまで以上に重視すべきであり、大学の 自治という観点からも、有
権者による直接選挙による選出を維持すべきである。
学部長等の人事について、中間報告は学長が任免するとするが、大学の教育 研究
の基礎としての学部の意義を考えれば、学部の合意形成を担う人材をもっ て充てる
べきであり、学部構成員による選考が適切である。
教員の任免に関して、中間報告は、任期制に関して積極的導入を強調してい る
が、すでに「大学の教員等の任期に関する法律」が、先端的な研究領域に見 られる
ように流動性がとくに必要とされる領域や、すでに研究者の労働市場が 形成されて
いる分野を念頭に、職種を絞って、当該大学の判断で導入する選択 的限定的な任期
制であること等を考慮すると、任期制については、教員の生活 基盤を著しく不安定
にしかねず、長期的視野に立った研究を困難にするもので もあり、高等教育機関と
しての使命を果たすためには、その導入は限定的であ るべきであり、中間報告の姿
勢は受け入れがたい。
教員以外の職員人事について、中間報告は、職種の画一的区分を超えて多様 な職
種を自由に設定すべきであると提言するが、職員の流動性を高めること自 体につい
ては否定しえないものの、職員の意思を尊重した制度整備と運用をす べきである。
3 給与
中間報告は、給与に関して、年俸制の導入等、成果主義賃金の導入を強調す る
が、すでに民間で実施されている成果主義賃金制度の運用実態を見ても、労 働に対
する正当な評価は非常に困難であり、給与をめぐる紛争が多数惹起する ことが予想
され、教職員に不安を徒に与えかねない。現在教員の実績を具体的 に評価する方法
は確立されているとはいえないことからしても、慎重な制度整 備を伴わない成果主
義賃金の早急な導入は問題がある。
4 服務・勤務時間
中間報告は、教職員の服務、勤務時間等について各大学で決定することを前提 に
共通の指針を定めることを提言するが、各大学の教職員の意見を反映したもの とす
ることが必要である。
中間報告で、兼職・兼業の規制緩和を主張する部分は、業務の別法人へのアウ ト
ソーシングの文脈において述べられているように窺われるが、兼職・兼業の規 制緩
和についてこのようなバーターとして捉えられるべきではない。
中間報告は、多様な勤務形態(ワークシエアリング)や裁量労働制の導入を提 言
す
るが、民間での導入で指摘されているような労働強化や賃金削減を主たる目 的とし
て行われる性格のものであってはならず、かりにそのような勤務体制を導 入すると
しても、教職員の意見を十分に反映させて実施すべきであり、また教職 員の給与面
での待遇についても十分な配慮がなされるべきである。
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