西日本新聞9月30日<直言曲言>
地方国立大学の”志”
国立大法人化のあり方について、文部科学省の調査検討会議による中間報告がまとまった。規制緩和によって大学の活性化を目指すのが骨子だが、その陰で大学に対する文科省の管理も微妙に強まっている。
例えば、大学ごとの中期目標に基づいて、第三者機関が大学の業績を”査定”し、その結果に沿って文科省が交付金を増減させる。国が財布のひもを絞ったり緩めたりするのだ。管理とは違うが、企業からの委託研究費など、外部資金の受け入れも奨励している。
気になるのはこういう”改革”が、大学の本来の役割を果たすのに支障にならないか、という点だ。地域において国立大が果たすべき役割とは何かを考えるとき、九州には誇るべき先例がある。水俣病の病像解明を果たした熊本大医学部である。
水俣病の表面化以来、総力を挙げて原因究明に取り組み、紆余(うよ)曲折しながらも有機水銀説にたどりついた。それは原因企業チッソをかばう当時の通産省=国にとって、決して面白くない研究だったに違いない。しかし熊本大医学部は種々の圧力に耐えつつ、有機水銀説の正しさを実証し、胎児性患者の存在をも明らかにした。
この間、ある東京の有名大学の教授などは、自分からチッソに持ちかけて研究費をもらい、有機水銀説を否定する研究結果を発表して事態を混乱させた。
原因究明の最大の原動力となったのは、熊本大が地域の人々に対して抱いていた責任感だろう。また企業に対して距離を置ける国立大の特性が、プラスに働いた面もあったのではないか。
そう考えていくと、国の管理が強まり、企業との距離も縮まる大学改革の方向性には、不安を感じざるを得ない。高い志を持つ大学人は今もたくさんいる。大学改革は、その志を邪魔しないものであってほしい。(永)