IDE 2001年9月号「取材ノートから」p78-79
▽泥縄
「今年の概算要求のヒアリングは様変わり。大変です。遠山プランに対する対応について,厳しく聞かれました」。ある国立大学の学長からこんなぼやきを聞いたのは,7月上旬のことだった。その直後から,同様の声をあちらこちらで聞くことになる。
「ヒアリングで遠山プランヘの対応を聞かれると知り,あわてて部局長会議を開いたが,妙案がない」「ヒアリングでは開口一番,お隣の大学とはいかがですか,と聞かれた」「今回の回答では不満なので,もう一度考え直して来てほしいと言われた」・・・。国立大学では,この種の話がごろごろしている。「学長が,あるパーティで同席した文部科学省幹部に「お宅も単独では生き残るのは大変だ』といわれ,学内がパニック状態だ」という大学もあれば,「(近くにある)○○大学の学長が,うちの学長に妙に馴れ馴れしく接触してきている」といった噂が広まる大学もある。
6月に公表された「大学(国立大学)の構造改革の方針」(通称遠山プラン)で,全国の国立大学では激震が続いている。とくに概算要求ヒアリングで文部科学省が見せた態度に,大学関係者は驚きを隠せなかった。予想以上のぺ一スで事態が進行していることを思い知らされたからである。文科省内部からも「高等教育局はずいぶん高飛車な態度で,ヒアリングを始めたようだね」という声が聞こえてくるほどだ。
日本の大学が現在のままで良いと思っている人は少ないだろうし,国立大学改革の必要性を否定する人もいないだろう。とくに少子化の時代を迎え,戦後一貫して続いてきた拡大路線を見直すすのは当然である。違和感を覚える部分はあるにせよ,遠山プラン自体にはそれなりの妥当性があると思っていた。
だが,ヒアリングの話を聞いて,「ちょっと待てよ」という思いが強まっている。国立大学側の状況認識不足と言われればそれまでかもしれないが,遠山プランから1カ月もたたないのに,個々の大学に再編・統合のプランを示せと言うのは,あまりにも拙速,あまりにも強引ではないだろうか。スクラップ・アンド・ビルドを経て最終的に国立大学は何校ぐらいが望ましいのか,教職員の人員削減はどの程度伴うのか,地方移管はどのような手続きを踏むのか.・・・再編・統合の具体的なルールや目標は,何一つ具体的に示されていないのである。
国立大学の構造改革は,日本の高等教育の構造改革でもある。唐突に示された遠山プラン自体が,さほど深い政策的検討を経てまとめられたものではないとされるのに,短兵急に個々の大学に再編方針を求めていくのはいかがなものだろうか。おそらく各大学は大慌てで独自の方針をまとめ文科省に報告するだろう。それを寄せ集めたものが,21世紀の日本の高等教育の枠組みということにでもなったら,話はあまりに泥縄である。」
(日本経済新聞社編集委員 横山晋一郎)
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