独行法反対首都圏ネットワーク


【大学統合】やむにやまれず、でも
2001 .9.9 [he-forum 2519] 高知新聞社説09/09

『高知新聞』社説 2001年9月9日付

【大学統合】やむにやまれず、でも

 高知大学と高知医科大学が、統合することで合意した。二〇〇三年十月の「新大学」発足をめどに、今後具体的な協議に入る。
 国立大学の大掛かりなリストラを迫る国の動きに背押しされた結果の選択で、やむにやまれず握手する相手を探しつけたという実情がある。
 しかし、統合に踏み出す以上は、互いの利害を超え、まさに「新生」と呼べるだけの地域基幹大学像をつくり上げなければならない。それなしに地域と学生の支持も国の了解も得られないはずだ。

 非独立法人?

 統合の動きは全国各地で表面化しつつある。国立大学は今や一大激変期を迎えたと言ってよい。
 文部科学省は今年六月に大学の構造改革の方針、いわゆる「遠山プラン」を示した。国立大学の大胆な再編、民間的経営手法と競争原理の導入を打ち出し、大学削減では「一県一国立大」にもこだわらないとする。その強い姿勢の背後には、小泉首相の意向がある。
 この「遠山プラン」は、国立大学の独立行政法人化方針を踏まえた改革だが、国立という設置形態を改めようとするのは、明治以来百二十年を超える大学制度史でもなかったことだ。
 大学は既に、少子化で「厳冬期」に入りつつある。私学がいち早く身構え、経営のリストラや特色づくりなどに努めているのに対し、国立組では改革を口にしつつ、親方日の丸体質の殻を破れない大学も多い。
 高知大でも学内論議を積み重ねてきたが、その取り組みに対する県内各層の評価は概して芳しくない。
 国立大学が「大学の自治」を盾に独立行政法人化の波をはね返せないのは、それだけの力量が伴っていない証左だろう。その意味で今回の改革は、とかく硬直的で閉塞(へいそく)した国立大学の体質を改める好機と受け止めねばなるまい。

 だが、独立法人化は要注意だ。

 これは橋本行革の公務員削減が原点になっている。百十五万人いる国家公務員の中で、国立大教職員十三万五千人の存在は、確かに腫(は)れぼったく映る。
 しかし、主目的が財政主導の「口減らし」というのでは能動的なエネルギーを生まない。省庁再編もそうだったが、数字いじりの改革手法では真の改革につながらない。
 大学運営に国家統制が色濃く残るのも懸念される。法人化計画では、文科相からの中期目標指示を受けて各大学は中期計画を提出しなければならないが、計画の達成度によって予算配分が決まるという仕組みだ。
 文科省が給与まで一括管理するなど国立大学は今でも自立性が乏しいのに、これではなおのこと縛りをきつくすることにならないか。学問の自由を侵す在り方だと、「非独立法人化」と呼ぶ方が当たっている。

 またも地方軽視

 地方に対する国のまなざしが弱いのも気になる。
 法人化の狙いは競争力の向上にあるというが、産業界と近接し、教員吸引力など有形無形の価値が蓄積された主要都市部の大学と、そうでない弱小基盤の地方大学とを、同じ土俵で戦わせるのは乱暴にすぎる。
 競争原理や財政の論法をそっくり教育の場に押し込めば、地方はいずれ都市に供給する人材さえ失おう。
 財政的見地からは、むしろ日本の高等教育に注ぎ込む公的投資の低水準ぶりを改めるべきだろう。国内総生産(GDP)に占める大学・大学院教育予算の支出額は、欧米先進諸国の1−1.5%に対し、日本は0.5%ほどでしかない。
 大学改革に限らず、とりあえず壊してみるというのは、小泉式構造改革のほとんどに共通する手法だ。理念置き去りのリストラで最も打撃を被るのは地方である。
 そんな状況下で突き動かされた高知大・高知医大統合構想だけに、成否を見定めることは難しい。「県内一減」の成果だけで地方軽視の風圧が収まるという保証もない。
 地域に根差した大学の行方は、もはや大学単体の判断領域を超えていよう。地域住民全体で共有すべき課題になった。


目次に戻る

東職ホームページに戻る