独行法反対首都圏ネットワーク

(文献紹介)<五十年目の大学評価>.
2001. 9.2 [he-forum 2463] (文献紹介)<五十年目の大学評価>

(文献紹介)

白井厚 編「大学とアジア太平洋戦争ーー戦争史研究と体験の歴史化」
日本経済評論社 1996.12.8
ISBN 4-8188-0903-9
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818809039/hon-22/249-5420018-2114769

白井 厚 「大学ーー風にそよぐ葦の歴史」(*1)
p2-33 抜粋(*2)

□ 貨物駅にて p2
□ 責任の諸相 p3
□ 学者の言論 p6
□ 国家権力と大学自治 p8

大学というものを全般的に考えたときに、次のような点を考慮する必要があると思います。大学は言うまでもなく高等教育機関です。そしてまた研究機関です。そこにおいては、高度な教育を行う、それから高度な研究を行う。そして大学は、国際的な性格をもっています。ヨーロッパではボローニャ大学がいちばん古いと言われてますが、そこにはヨーロッパの各地から、学者について学間を学びたいという青年たちが集まってくる。今日の地名で言えば、ドイツからも来ればフランス、イギリス、スペインからも来る。方々から集まってくる。そこでは国籍の如何は問題にならない。言葉はラテン語という国際語がちやんとありました。学問する人間は必ずラテン語をやる。ですからカルチェ・ラタンというような言葉が今でも残ってます。学問というもの、真理というもの、それは国籍を持たないと考えられました。

大学の目的は、こういった教育・研究を通じて、長期的に人類の将来の幸福に貢献するものであると考えられます。このへんが国の政府の目的とは違うわけです。国の政府ですと、関心は個人の権力やナショナル・インタレストであります。今の政権がいつまで続くか、次の議会をどうやって乗り切るか、今度の戦争をどうやって勝かというような問題でありまして、常に短期的な利害というものを考えなければならない。しかし大学はそういう目的に奉仕するのではなく、長い将来にわたって人類の幸福ということを考えなければならない。大学の目的と国家の目的は違う。基本的に矛盾します。・・・・

□ 大日本帝国の虚偽性 p10
□ 一億少国民レヴェル p12
□ 国家主義の大学 p14
□ 大学の抵抗と弾圧 p19
□ 風にそよぐ教授たち p22

・・・大学というのは、まさにその意味で申しますと、風にそよぐ葦であったと思います。これは大学として考えるかあるいは大学の構成員である教授たちとして考えるかによってもまた違ってくるでしょう。大学の責任者となりますと、大学というのはとにかく、帝国大学も私立大学も大学令によって規制されているわけですし、国が戦争をやっているというのに協力しないわけにはまいりません。少なくとも協力するポーズはとらなければならない。「学徒出陣」に反対することなどもちろんできない。したがって「皇国の興廃はまさに諸君の双肩にかかっている」というようなことを学生にいわなければならないのは、
当時としては当然でありましょう。しかし個人としての教授はどうなのか。もう少し自由な立場でありうるわけです。・・・

ドイツでも日本でもそうなんですが、国家権力は最初は共産主義、マルクス主義、それから治安維持法ではアナキズムも、実際には力はないけれども、自の敵にしておりました。それから社会主義、労働運動、ディモクラスィ、自由主義、それから英米文化一般、日本の場合ですとキリスト教、さらには真理を追求しようとする学問自体、そういうものに次々と弾圧の手が及んでくる。そこにおける大学の教授たちをみてまいりますと、いろいろありまして、率先協力する者もかなりおります。

・・・・日本人は特別な、優秀な天孫民族であって、その民族は従わぬ者たちを征服し、従う者たちを指導する、そういう責任をもつという考え方が、大学のなかで堂々と説かれるということになりました。

・・・伊藤正徳さんは、世界の軍事学の大勢をよく知っていたのではないかと思います。もちろん戦争反対ではないんですが、必ずしも戦争賛美ではない。むしろチクチクと、このままでいけば日本は危ないということも言ってみたり、日本の軍事戦略はどこがおかしいということまで言ってみたり、学生にはたいへんに人気があったようでが、そんな講義も戦争協力の一種でありましょう。

□ 教授と発言と論文 p25

この当時書かれた教授の論文テーマを、こういうことをやっては気の毒ですけれども、戦争中にどの教授がどういう論文を書いたのか、私のゼミでずっとリストアップしてみました。それでみますと唖然とするようなものがたくさんある。・・・

・・・教師のほうも、初めのうちは余裕がありますから、相当皮肉を言ったり、この戦争は負けるとか、日本とアメリカとの経済力の差は1対20とか、そういうことをちらほら言うんですけれども、やがてそういうことも言えなくなってくる。そして「学徒出陣」へ……。
「学徒出陣」の時に教師たちが何を言ったのかということもいろいろあって、ここにリストがありますが、たとえば一橋大学(当時は東京産業大)の高島善哉さん、早稲田大学の煙山専太郎さん、慶応義塾でいえば板倉卓造さん。それから意外に右翼的な人たちも、いよいよ「学徒出陣」というときに、「君ら命を大事にしろ。決して血気にはやって命を粗末にしてはならん」「必ず生きて帰ってこい」というようなことを言った。このようなことがいろいろ伝えられております。

・・・自分がもしこのとき大学で教えていたならなんて言えただろうか。よくここまで言ったなというふうに感動することもありますし、戦後偉そうなこと言っているけれども、なんだ当時は、というふうに思うこともありますし、万感尽きることなしというところです。

□ 五十年目の大学評価 p27

大学というのは高等教育機関ですね。去年のわだつみ会の八・一五の集まりの時だったかと思いますが、当時の日本人がみんなお国のために夢中になって戦争に協力をしていた。・・・それに対する疑問をもった人は非常に少ない。それは教育の効果である、という話があった。しかしそのときにどなたかが、しかし大学の教育としては失敗ではないかと発言されて、私はなるほどなと思いました。

大学だけを特別視するのはおかしいけれども、もっとも批判的な精神を涵養するところが大学であろうと思います。その大学の学生も教授たちも、戦争目的に対する批判的な見解というものはほとんどもたなかった。もったごく少数の人は牢獄に入れられた。しかしそれ以外の人はほとんどもたなかった。あるいはもとうとしなかったという、その精神状況というものは、大学としては自滅ではなかったんだろうか。だから大学ははたして大学だったのだろうかということです。小学校なら国定教科書で教えるわけですから、やむをえないと思います。しかし大学には国定教科書はありませんし、まがりなりにも学問の自由とか言えるような時代に、しかも意外に敗戦の間際までけっこう自由にしやべっていた人もいる。学生などもけっこう自由に動きまわっていた例も幾つもありました。そういうときに積極的にこの戦争目的に対する疑問がほとんどどこからも提起されなかったということは、大学としての自滅ではないだろうか。そこで、記億に残る大学教員の発言リストをつくったのは、50年目の大学評価ではないかというふうに思っています。
・・・・大学を出たあとで、なにかクリティカルな状況のもとにおいて、大学で教わったこと、大学で考えたこと、歴史を見る眼、世界を見る眼、事実を確かめる眼、批判的精神を思い出し、それが自分の人生の指針になるような、そういうことを大学で学ぶことができたということになれば、非常に大きな意味があるのではないかと思います。

その一つは、まさに戦争であったと思います。戦場に出たときに、敵と闘う時に、捕虜を扱う時に、現地の住民と接する時に、戦争に負けた時に、大学で学んだことが、教師の一言一言がどういう形でもって生きてくるのか、ものを考える場合にどういう意味をもってくるのか。授業を聴いたことによって戦場でも生命の尊厳を知り真理の探求を忘れないならば、その教師や大学に対しては高い評価を与えられうるであろう。大学の教師としては、そういうことを一つの目標とすべきではないかと思っております。
そうしますと、アンケートをとってみますと、いろいろ面白いんですね。・・・・軍隊に入ったときに、軍隊というのは絶対服従の厳然たる階級制度であって、初めはこれは立派だと思っていたが、そのばかばかしさというのは、やがてみんな痛感する。そのときの批判の武器は、「天は人の上に人を造らず」という言葉です。・・・・また「独立自尊」という言葉がありました。・・・たとえば「不戦兵士の会」の小島清文さんは慶応の出身ですが、彼は敗戦でフィリピンの山の中をさまよう。・・・・そのときに小島さんは「独立自尊、独立自尊」と念仏のように唱えて歩いたというんです。たしかに「独立自尊」という言葉はふしぎな力をもっていて、人間がさらに生き続けよう、獣のように死ぬのではない道を、自分で最後の最後まで努力して追求していこうという意志を力づける糧になったということはあり得ると思います。
そういう言葉は、時間がないのでご紹介できませんけれども、それ以外の大学教授たちの口からしばしば洩れておりまして、大学でいい教師に巡り合って、そういう言葉を頼りにして苦難の道をなんとか生き残る、あるいは生き残れなかったかもわかりませんが、しかしとにかく人間として最後の最後まで、真理を求め、誇りを捨てずに生きる努力を続けていったとすれば、大学教育というものの一つの恩恵であるのかもわかりません。大学だけが教育ではありませんけれども、私は五十年目の大学評価として、今日そういうことも考えてみたいと思っております。

□ 大学の責任と反省

・・・政治に対する批判とか、真理の探求とか国際情勢の分析とか、そういう本来大学がやるべき使命を完全に放棄してしまった責任、そういうものをいったいどう考えるのであろうか。このことが戦後行うべき大学の一つの仕事ではなかったかと思います。
・・・戦後二、三十年ぐらいで、落ち着いたところで大学は大学としての戦争責任というものを自分で整理をする作業をやるべきではなかったか。今となっては若干遅きに失した。しかし今からでも、やらないよりはましかもしれません。大学によっては、かつては右翼の大学として有名だった大学が、非常に反省して、がらりと内容を入れ替えて、平和のために、戦争を二度と起こさないために努力している大学もあります。全然そういうことを考えない大学もあります。大学の評価というのは、いろんな点でなしうることだと思いますけれども、過去を正確に調査して、誤りを二度とくり返さない、そういう決意をもつ、そのための手段をもつ、そういう大学が、将来ともに生き残るべき優れた大学ではないだろうか。逆に言いますと、そういうことを一切行うつもりがない大学は、世の名声にも関わらず、学生の偏差値にもかかわらず、大学としては、真理を追求すべき社会的責任をもつ大学としては失格ではないかと思います。戦争責任の前に社会的責任があります。・・・・

 (*1) 1994年8月15日、飯田橋の家の光会館ホールで開かれた日本戦没学生記念会〔わだつみ会〕主催の講演会記録。「きみと語りたい、私の8・15−−日本人それぞれの戦争責任−ー」という共通テーマの中で、大学の責任を論した。同年2月発行の『わだつみのこえ』No99に録音記録を掲載。)
(*2) もう少し詳しい抜粋:
http://fcs.math.sci.hokudai.ac.jp/dgh/01/901-shirai.html


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