独行法反対首都圏ネットワーク |
「国際評価は公正か―自虐的な日本人の大学評価」
2001.8.7 [he-forum 2353] 「国際評価は公正か―自虐的な日本人の大学評価」.
喜多村和之「国際評価は公正か―自虐的な日本人の大学評価」
「(前略)
こうした日本企業の日本の大学不信をさらに裏付ける結果になっているのが、スイスの経営開発国際研究所(IMD)が毎年発表する『世界競争力白書』(World Competitiveness Yearbook(二〇〇一年度版))の調査結果である。IMDは、各国の有識者にその国の大学は経済競争の必要性にどこまで応えていると思うかというアンケート調査を行った。この設問に対して日本人の有識者からの回答は否定的なものが多く、四九カ国中四九位と最下位にランクされた。この結果は日本にも報道され、国内に広範なショックをもたらし、国会でも問題にされるとともに、特に産業界やマスメディアからの大学バッシングに発展した。
こういう問題が起きるときは、批判は大学や文科省や教育関係者だけに向けられる傾向がある。教育関係者が第一義的な責任を負うべき当事者であることは甘受するが、教育関係者のみを責めて自分ひとり正しいとする批判には納得がいかないものを感ぜざるをえない。そのような評価が出てくるのは、単に教育の側だけでなく、予算や資源、産業の問題との関係など、幾多の根深い原因があると考えられるからである。
たとえば日本の大学よりは外国の大学に資金を提供しているのは、日本の大企業であり、日本の大学教育は現代の競争社会の必要性を満たしていないとIMD調査に答えているのも、主として日本の大企業のエグゼクティブたちである。IMDでは世界中のトップおよびミドルのエグゼクティブにアンケートを送り、三六七八人の回答者の結果から各国の評価結果をはじき出してランキングした。それはしばしば誤解されているように、世界の識者による日本の大学評価ではなく、日本人による日本の大学評価なのである。このうち何人のどんな日本人が回答したのかは明らかではないが、四九カ国中全体で四〇〇〇人にも満たない全回答者数からみて、ごく一握りの日本人の回答から評価がはじき出されていることは間違いないであろう。つまりこの調査のデータの代表性や統計的根拠については、おおいに疑義の余地があるのである。
それにもかかわらず、いったん発表されれば、その評価結果はひとり歩きをしだし、マスメディアに取り上げられれば殆どの人は根拠を問うことなく信用してしまう傾向が強い。テレビに出て日本の大学が世界最低の順位とはショックだなどと発言している産業界の代表がいたが、実は日本人が自分で自分の国の大学評価を低める回答をした結果なのである。
こういう例が出てくると、産業界をはじめとしてすぐ教育関係者に批判や非難が集中する。しかし、カネは出さないがクチだけは出すというのでは、大学も学問も育たない。産業界が行うべきことは、日本の大学教育を最初から自虐的に否定してみせることではなく、日本の大学を長い目で育てていくという視点をもつことではないだろうか。いかにグローバリゼーションが進行しても、日本の企業がまず必要不可欠としているのは、日本の学校や大学で育成された人材のはずである。「青田買い」や企業の都合で大学教育を混乱させたり、大学には学生の選別だけをしてもらえばよいので、教育機能など期待しないなどといって、学生の在学中の学習や経験を評価しようとしない時代遅れの慣行を続けるのではなく、むしろ教育や研究でがんばっている大学や学生に財政的な援助を通じて、長い目で日本の教育と研究の進展に助力してくれることではないだろうか。そのほうが産業界にとって結果的に利益になるはずである。
(後略)」