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国立大改革案/自ら変わる姿勢が必要だ
2001.6.25 [he-forum 2193] 河北新報社説06/24

『河北新報』社説2001年6月24日付

国立大改革案/自ら変わる姿勢が必要だ


 国立大が重大な転機に立たされている。文部科学省が統廃合を含む思い切った改革案を提示し、国立大側に鋭く実現を迫ったためである。改革案は日本の役所としては極めて異例の急進的とも言える内容で、遅々として進まない大学改革に対する同省のいらだちを色濃く反映した格好だ。 案は三つの柱から成っている。(1)大胆な統廃合(2)民間経営手法の導入(3)資金の重点配分−である。このうち(2)については、かねて議論されてきた独立行政法人化を念頭に置いたもので、国立大学協会(国大協)も大筋で移行方針を決めている。
 しかし、他の2点は先日の国立大学長会議で初めて示され、出席した学長らを面食らわせた。しかも、文科省側は「脅しをさせていただく」と過激な表現まで用い、各大学の自主改革努力を促している。これはただごとではない。
 (1)の大胆な統廃合と(3)の資金の重点配分は密接に絡んでいる。文科省は、公立、私立を含む30の大学に資金を集中したい意向とされる。裏返せば、30の枠から漏れた大学は事実上、国から見放されることになる。
 4年制大学は国立が99、公立が72、私立が478、合計649ある(昨年5月現在)。仮に文科省案が実現すると、実質的に生き残れる大学は実に20分の1以下という激烈な競争になる。文科省はなぜ、こんなに刺激的な改革案を出したのか。
 一つには、言うまでもなく少子化を背景とした学生数の減少がある。私立大を中心に、学生獲得競争が既に始まっている。国立大といえどもらち外ではいられない。にもかかわらず、大学側の自主改革への動きは鈍く、主体的な変革への取り組みとしては、22日に統合を決めた東京水産大と東京商船大の例がある程度だ。
 二つには、学問ないしは学生の質的向上が思うように図られず、このままでは国際競争から取り残されかねない、という危機感がある。技術立国を標ぼうするわが国にとって、大学はそのバックグラウンドとなる重要な組織だからである。
 確かに、山形大や富山大、金沢大などで相次いで発覚した入試問題採点ミスを見ても分かるように、国立大の運営が著しく緊張感を欠き、ある種の制度疲労に陥っていることは事実だろう。当事者能力という点から判断しても、大きな疑問を呈さざるを得ない。
 文科省の改革案は、こうした現状を打破するためのカンフル剤としての効果を狙ったと考えるのが常識的な見方ではないか。ショックを与えて奮起を促す必要があるほど、国立大が深刻な機能不全に陥っている、ということなのかもしれない。
 小泉内閣の「聖域なき構造改革」を引き合いに出すまでもなく、三本の柱は総論では首肯できる。問題は、どのような基準で統廃合を進めるのか、重点大学をどうやって絞り込むのか、にある。
 旧帝大や知名度の高い大学が優先され、無名でもユニークな教育研究をしている所、地道に地域と連携している所などが切り捨てられてはならない。そのためにも、国立大が自ら変わろうとする姿勢を鮮明に打ち出すことが、当面の緊急課題ではないか。

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