国大協総会に提出された意見書(2通)
2001.6.21 [he-forum 2175,2177] 国大協総会提案文書2通
he-forum 各位 6/21/01
山形大学理学部 品川敦紀
6月12-13日の国大協総会では、長尾会長の提案した法人化の考え方と枠組みが了承されたとの報道がなされていますが、山形大学評議会に提出された資料と学長の説明では、どうも長尾会長の記者会見とは実態が異なっていたようです。
成澤学長は、あの文書はまさしく受け取っただけであり、承認したものではないと理解しているようです。なお、情報に依れば、福島大学長もその様な理解のようです。
また、当日は、静岡大学長佐藤博明氏他21名から「「国立大学法人化についての基本的考え方」および「国立大学法人化の枠組」について一意見一」の文書、鹿児島大学長田中弘光氏他20名から「国立大学法人化についての疑問と提案」の文書、林良博国立大学農学系学部長会議会長から「国立大学法人化についての検討に関する要望」の文書、野村新大分大学長から九州地区国立大学長による「「国立大学法人化についての基本的考え方」及び「国立大学法人化の1つのありうる枠組み」についての意見並びに要望について」の文書が提出され、配布されたそうです。
後者2文書はすでに本メーリングリストにて紹介されていますので、前2文書を下記にご紹介申し上げます。
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国立大学協会 設置形態検討特別委員会 平成13年6月12日
委員長 長尾 真 殿
静岡大学長 佐藤博明 他 21名
「国立大学法人化についての基本的考え方」および「国立大学法人化の枠組」について 一意見一
国立大学ののぞましい設置形態のあり方について、貴特別委員会がこの間、精力的なご検討を重ねてこられたことに敬意を表し、感謝申し上げます。
文部科学省のもとに置かれた調査検討会議での検討状況もあわせて、国立大学の新しい設置形態をめぐる論議が、いよいよ中間段階のまとめに向けて、所要の整理が進んでいるように思われます。それだけに、私たちは、最終段階での判断を誤らないためにも、いま次第にその輪郭を明らかにしつつある制度設計の内容について、可能なかぎり、みずから適切な吟味を加え、理解を深める努力が必要と考えます。
ついては、上記二つの文書が、来る6月12目がらの第108回総会に提案されるにあたり、以下の諸点について、若干の疑義も含めあらかじめ意見を申し上げることと致します。
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I. 「国立大学法人化についての基本釣考え方」(以下、「基本的考え方」)について
国立大学の法人化を考えるにあたり、「通則法」に対する国大協の基本的なスタンスを確認した上で、法人化が、大学の自律性を拡大し個性化をすすめ、教育・研究の質を高める契機となりうるとした、前文の認識は十分、理解できます。
そして、1. 高等教育および学術研究に対する国の責務、2. 大学の自主性・自律性、3. 社会に開かれた大学、を法人化問題を考え、検討するに当っての基本点としたところも極めて当をえたものと考えます。
その上で、「基本的考え方」に示されているものの中で、とくに共通認識として共有すべき点を確認し、あわせて若干気がかり・疑問と思われる点を、以下に述ぺておきます。
(1)(1ぺ一ジ中段・1.の2行目以下)「・・・、とくに高等教育に対する国の財政的責任は、[グローバルな科学技術革新]に適切に対応するためにも、堅持され・・・」について
(上の斜体[ ]部分は、5月21日以後、同30日までの間で、最初の原案に加筆したもの) ここで《気がかり》な点は、何故「とくに高等教育に対する国の財政的責任」として斜体部分が、特化される形であえて強調され、挿入されているのかです。基礎系や文系分野の目からすれば、「高等教育」に対して国の負うべき責任を、このように、とくに<科学技術革新>対応に求める発想には違和感を覚えます。
「高等教育」について言えば、むしろ次代を担う有為な人材を育成し、国や地域社会の文化や教育、福祉の発展・充実のためにこそ、財政的にも国が責任を負うべきはずのものと考えるからです。いささか問題を矮小化されているという印象です。
(2)(1ぺージの2.および3ぺージ中段)「大学の自主性・自律性」について
「基本的考え方」の前文および2.としての当該箇所、とりわけ3ぺージ中段でのこの点の展開・説示は、国立大学の法人化問題を考えるにあたって、最も重要な基本的認識と考えます。この点は、大学人の見識と矜持を明確かつ格調高く説示されたものとして高く評価し、敬意を表します。とくに、大学の自主性・自律性が、「高等教育および学術研究の本質」に根ざしたものであり、しかもそれを一層「保障し拡大」しうるという意味で、法人化問題も検討に値するとした点は、それにつづく制度設計のあり方に関わる具体的な論議の中で、終始、貫ぬかれるべき基本的な論理であり、共通認識として堅持されるべきものでもあります。
それに伴ない、「自律的かつ効率的な意思決定と執行」を可能とする、管理運営の自主的な体制を確立する形等での「自己責任」の拡大も当然であります。
(3)(3〜4ぺージ)「3. 社会に開かれた大学」について
いわゆる「開かれた大学」は、今日、大学が社会の公共財として、そこでの研究成果を社会に還元し、教育機能を社会に開放する形で、負託に応えるものとして当然のことです。国立大学が今後、新しい設置形態のもとでも、ひきつづき公の財政的負担において運営されることから、適切な形で説明責任を果たすべきことはもちろん、さらには大学組織の新設・改編等について「国ないし国民の同意」と一定の「関与」を必要とすることは否定しえないところです。そのための「制度的仕組み」として、より相応しい形で、学外有識者が大学運営に参画しうる、所要の措置を講じることも必要でありましょう。
しかし、その際とくに留意すべきは、過度の「関与」によって、前述の「大学の自主性・自律性」を失わせ、さらには大学の「生命」ともいうべき自由で独創的な研究と教育活動を萎縮させることにならないことです。大学法人の具体的な制度設計を構想するにあたっては、その点への配慮が十分に払われなければならないと考えます。
また国土の均衡のとれた発展という観点からすれば、日頃、大学の教育研究の成果と機能をもって、さまざまな形で地域社会への貢献に努め、密接な連携関係を築いている地方大学が、法人化によってその力を衰退させることのないよう、制度設計上、所要の措置が工夫されるべく、そのことを基本点に据える必要があると考えます。
II. 「国立大学法人化の枠組」〈以下、「枠組」)について
国立大学法人の具体的な制度設計にあたっては、なにより先の「基本的考え方」に示された理念、とりわけ「高等教育および学術研究の本質」に根ざす大学の自主性・自律性が、各般にわたって貫かれ、堅持されることが肝要です。国立大学の法人化が、大学の自主性・自律性の保障と拡大に資するものとした認識こそが、制度設計のあり方を検討するにあたって欠くことのできない立脚点と考えるからです。以下、「枠組」における制度設計の構成と内容について、上記の「大学の自主性・自律性の保障と拡大」の観点から、また一層の理解を深める上で必要と考えた、その他の部分も含めて意見を述べることとします。
i. 法人の基本および組織・業務
(1)(1ぺージ)4)「法人化の方法」
「国立大学法人法」(または「国立大学法」or「・・特例法」)によって直接に法人化するとしているが、立法形態として「直接に」という場合、「通則法」との関係をどうみるのか。また具体的な制度設計の枠組み等への「通則法」のしばり(準拠)の関係は?
(2)(2ぺージ)12)「学長の選考」
大学の自主性・自律性の証しとして、また経営と教学を一体と考えた時、学長の選考を評議会が行なうことは当然として、この項後段でいう「外部者の意見」の反映の仕方は、あくまで間接的な形に止めるべきである。( 20)運営諮問会議の諮問事項と関連)
(3)(2ぺージ)16)「法人化に伴う権限・責任」および17)「役員組織」 17)で、「法人の業務について企画し執行にあたる」執行機関とされている役員会が、16)では、カッコ内に例示されている事項の決定「権限」をも有する形になっている。「・・役員組織(役員会)で担うものとする」という表現とともに、「企画・執行」と「権限・責任」の関係を明確にしておくべきである。
(4)(3ぺージ)27)「研究教育組織の新設・改廃」
ii「目標・計画」(5ぺージ) 3)の項とも関連して、大学の基本的業務(教育研究等)に関わる目標・計画の策定方法と手続きは、予算措置が伴う事項の場合にあっても、大学の自主性・自律性が十分、尊重され保障されるよう配慮されなければならない。
(5〕(3ぺージ)28)および29)「・・改廃」
それぞれの本文の内容からすれば、28)は「・・新設・改廃」であり、29)は「・・再編改組」とすべきかと思うが。
(6)(4ぺージ)別記一「運営諮問会議または評議会の改組」
学外有識者の運営参画の意義(・〜・)は、十分理解できるが、その構成および所掌事項等については、大学の意思決定と執行上、肝心の大学の自主性・自律性が損なわれることのないよう配慮した定めとすべきである。
ii 目標・評価
(1)(5ぺージ)3)「中期目標・中期計画の策定」
中期目標・計画をどう策定するかは、大学業務の意思決定と執行の根幹に関わる問題であることから、その方法と手続きについても、国の過度な関与によって、実質的に大学の自主性・自律性が損なわれないよう配慮すべきである。少なくとも教育研究の内容については、大臣が審査・認可する中期目標・中期計画から除外しなければならない。
(2)(5ぺージ)7)「目標・計画の記載方針」
中期計画は、国民に対する説明責任を果たす上での、必要最小限の事項にとどめるべきであり、とくに「・・数値目標や目標時期を含む具体的な内容」の記載は必要ない。
(3)(5ぺージ)9)「目標・計画の記載事項」
「競争的経費の項目」を記載事項としておきながら、「大学の業務運営の根幹として継続的に維持していくべき事項」であるはずの「基盤的教育研究経費」が除かれていることと、それが 11)で「・・一括して記載する」とされていることの意味が分かりにくい。
(4)(6ぺージ)19)「大学の自己点検評価」
「・・運営諮問会議等の評価を」とあるが、2ぺージの20)では「評価に関する事項」は諮問事項としてあるだけで、運営諮問会議がみずから評価を行なうことはどこにもうたっていない。
(5)(6ぺージ)20)「評価結果の予算配分への反映」
評価結果は「政策的」運営費交付金に反映されるとしているが、ここで対応関係にたつ評価要素は何かが、反映の方法・手続きとともに明確にされなければならない。少なくとも教育については、イギリスの制度におけるごとく、評価によって予算の傾斜配分を行わない。また大学評価機構の行なう」評価情報や財務諸表上の会計情報との反映関係は?
(6)(6ぺージ)22)「基盤的教育研究経費の算定」
「外形標準的」に定めるとしているが、「外形標準」にも評価が加わるのか?また同じく「外形標準的」に定めるとする、9ぺージ6)での「基盤的運営費交付金jとの異同と、同 7)で具体的に掲げられている「算定要素」との関係は?
iii. 人事制度
(1)〈7ぺージ)3)「職員の身分」
「非公務員型」の可能性を示唆しているが、そうした場合、1)および2)での「基本」にそって、4)以降の諸項目にわたる人事制度の変更がどう整合的に行なわれうるのか?
(2)(8ぺージ)18)「給与体系」
「成果・業績」の評価を基調とした給与体系の場合、その前提として、評価が明確に成され難い中長期の研究分野や教育評価の適切な反映の方法・システムが確立されなければならない。その場合の評価主体は、学内か外部一機構、主務省等一かも問題。
iv. 財務・会計
(1)(9ぺージ)7)「運営費交付金の構成」
「政策的運営費交付金」の範疇と算定要素・方法が不明である。運営費交付金の構造からして、なにより傾向的減額こよる恒常的飢餓と財政基盤の不安定性が懸念される。
(2)(9ぺージ)11)「財務制度原則」 とくに後段の「・・成果・業績を反映したインセンティブを持つ人事給与体系の実現」を財務制度の原則とすることの意味が分かりにくい。
(3)(10ぺージ)15)「特別会計借入債務返済」
大学法人が「借入債務」を「使途特定自己収入」によって返済するということと、後段の「・・臨床部門を含めた人的、財務的措置が図られる仕組み」との関係は?
(4)(10ぺージ)17)「会計基準」
「・・教育研究機能の特殊性」を踏まえた、国立大学法人固有の会計基準をつくることは当然としても、それと同時に「各法人ごとの・・弾力的な扱いができる会計基準」をつくることが可能なのだろうか。それを会計原則、財務諸表およびその処理方法等においてどう具体化するのかが問題である。
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国立大学法人化についての疑問と提案
平成13年6月12日
鹿児島大学長 田中 弘光
他 20名
今般、設置形態検討特別委員会における中間報告が「国立大学法人化についての基本釣考え方」と「国立大学法人化の1つのありうる枠組」として第13回同委員会に提出され、後者はさらに「国立大学法人化の枠組」と名称変更された上で私たちに配布されました。
「基本的な考え方」と「枠組」の間には乖離があり、具体的に機能するのは後者の方であると思いますので、ここでは「国立大学法人化の枠組」の問題点について3点疑問と提案を述べたいと思います。
(1)「国立大学法人化の枠組」は、細かな字句の修正を除き、基本的な点で独立行政法人通則法と変わりがないように思われます。これでは、昨年106回国立大学協会総会で合意された「独立行政法人通則法を国立大学にそのままの形で適用することには強く反対するという姿勢は維持され、今後も堅持されるだろう」(注1)という合意事項そのものをみずから撤回することにならないでしょうか。この点は社会に対してどのように説明したらよろしいのでしょうか。政治的圧力等の問題もあるかと思いますが、その前に大学人として大学本来のあり方を正々堂々と主張すべきであると考えます。昨年の合意の中には「国立大学協会の意向を強く反映させるための努力を行う用意がある」(注2)という事項もあったのです。
(2)特に重要なのは、大学の自主性・自律性と予算配分との関係に関わる部分です。
この点に関して欧米各国では「大学に対する資金交付に当たって、政府の干渉を抑制するため」(注3)さまざまな方策が構じられております。「政府による目標の指示、実行計画の認可、変更命令というような「独立行政法人」的手法を採っている例」(注4)はありません。たとえばイギリスの場合、目標や計画に関する書類は「高等教育機関が独自に作成するものであって、ファンディンク機関が評価したり、認可、承認等するものではない」(注5)とのことであります。目標や計画は企画立案機能に関わることであり、企画立案は大事の主体性に任すべき事柄と考えられているからであります。
このような事情を勘案するとき、目標や計画は「事前チェック」からはずすのが大学にふさわしいと考えます。またその方が、行政改革の基本精神である「事後チェック」〈自主性を増すために考案された手法)という考え方にも合致するのではないでしょうか。さらに、中期目標の指示、中期計画の認可、教育研究の評価、運営費交付金の交付という一連のやり取りが生み出す膨大で煩雑な事務量の発生を回避することもでき、「効率性の追求」という行革の目的にも合致することになるでしょう。この場合、評価は大学の「事業」全体に事後的になされることになります。
(3)また予算配分の現状に関して、次のような事情があることも念頭に置ぐべきであると考えます。国立大学法人化の有力な導火線となった「単年度会計の弊害」という問題は一部の有力な大学に年度末近く膨大な予算が投下されるため、その年度内に使い切れない事態に直面して発生してきたものです。またこの間いわゆる「種別化」も着々と進められてまいりました。
さて、このように一方では「種別化」を押し進めつつ、他方では全国立大学を「同一の」制度設計の中に納め、「斉一的に」競争下に置くというのは深い矛盾ではないでしょうか。きわめて不公平と考えざるをえません。経済産業研究所長青木昌彦氏は「いわゆる教育・研究機関の改革は、国として一つの政策が提示され、それに沿って斉一的に行われるというようなものではあり得ないだろう」(注6)と言っておられますが、上述のような「種別化」が国の高等教育政策の基本的方針となりつつある現在、私どもは国立大学のいわゆる「種別」にふさわしい設置形態を正面から検討していくべきであると考えます。
(注1)「国立大学協会」(平成12年6月14日)における確認事項のI(注2)同確認事項の3(注3)「大学の設置形態と管理・財務に関する国際比較研究」(国立学校財務センター)3頁。(注4)同3頁。(注5)同36頁。(注6)「大学改革課題と争点」(青木昌彦他編、2001年2月)「まえがき」4頁。
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