独行法反対首都圏ネットワーク


国立大学の独立行政法人化問題についての理学部の考え方及び見解
2001.6.11 [he-forum 2093。2094]  国立大学の独立行政法人化問題についての理学部の考え方及び見解(千葉大HP)

独行法反対首都圏ネット事務局です。

千葉大学理学部のホームページに下記の文書が記載されていますので、ご紹介いたし ます。
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国立大学の独立行政法人化問題についての理学部の考え方


標記の問題は、単に国立大学のみに留まらず、将来の日本の高等教育全体に関わる、極めて重要な問題である。 千葉大学においては、5月17日開催の評議会で、この問題を検討するために学長特別補佐(渉外担当)を委員長とする対策委員会を設置し、議論を行うことが決定された。昨今の諸情勢を考慮するとき、早急に実り多き議論が行われることを期待している。

 理学部においては、1999年9月以来、この問題について議論を重ねてきたが、積極的に具体的行動をとるまでには至っていなかった。しかし本年5月24日開催の理学部教授会において、我々なりに現在の情勢を分析し、問題点を指摘することを早急に行うべきであるとの結論になった。そこで教育・研究体制検討委員会において議論を行い、同問題に対する理学部の考え方をとりまとめている。現在のところ、理学部教授会構成員すべての了解をとる時間的余裕がないので、とりあえず現時点での有志の案を、http://www.s.chiba-u.ac.jp/dokuho4/kenkai.html に掲げておく。近日中に理学部教授会としての見解を、正式にホームページに掲載する予定である。関係諸兄姉のご意見を賜れば幸いである。

  平成13年6月11日

                       千葉大学理学部長 田栗 正章

* この件についてのご意見等は、下記 Address 宛にお願いします。
    E-mail : taguri@math.s.chiba-u.ac.jp

<http://www.s.chiba-u.ac.jp/dokuho4.html>


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国立大学の独立行政法人化問題に関する
千葉大学理学部の見解 (Version 3=未完)


0.はじめに

 千葉大学理学部では、国立大学の独立行政法人化(独法化と略)問題については、当初から多大なる関心を払い、多くの議論を積み重ねてきた。この問題が具体的な形で提起された1999年9月には、いち早く千葉大学理学部有志の見解をまとめ、広く理学部ホームページ等においても公開し(http://www.s.chiba-u.ac.jp/dokuho1.html)。
 そしてその後も、独法化の持つ意味・問題点・将来像等について、可能な限り公平かつ注意深く考えてきた。
 本理学部が国立大学の独法化問題を極めて重要な問題と考えている理由は、それが単に国立大学のみの問題では決してなく、日本の高等教育全体の未来に密接に関わりをもっているからである。特に理学のような基礎科学の教育研究にとっては、独法化が致命的打撃を与えかねず、日本の高等教育のみならず、科学技術創造立国を目指す日本社会全体にとって、取り返しのつかない結果を招きかねないとの、大いなる危惧を持っている。
 最近、国立大学の独法化についての国立大学協会(国大協と略)案と、文部科学省(文科省と略)案が、相次いで提出された。さらに政界等においては、国立大学の民営化についても議論が行われており、日本の高等教育は今まさに岐路に立たされようとしている。
 このような極めて重要な時期に、手をこまねいてただ事態を看過することは、大学人として到底許されるべきことではなく、次世代の若者達に対する我々の責務を全うすることはできないと考える。そこで千葉大学理学部教授会は、この問題に対する見解をまとめ、これを広く社会に公表することを決議した。
 以下では、まず国立大学の独法化問題に関するこれまでの経過を概観し、いくつかの問題点を指摘する。次に最近出された国大協設置形態検討特別委員会案について、我々の見解をまとめる。そして最後に、国立大学の民営化論についても言及し、それが如何に重大な影響を及ぼすかを指摘する。

1.国立大学の独法化問題の経過

1.1 基本的見地・出発点と国大協、文科省での議論
 まず、国立大学の独法化問題に関する、千葉大学理学部の基本的見地および出発点について、簡単にまとめておく。また、国大協と文科省における検討についても簡単に触れておく。


1.2 5月以降の経過
 本年5月以降、国立大学の独法化問題は急展開の様相を呈してきた。そこでここでは、多少詳しくその経過をまとめておく。


1.3 検討の対象と視点<BR>  ここでは、5月21日国大協設置形態検討特別委員会に提出された専門委員会連絡会議の2文書と、それを修正して理事会に提出された2文書(『基本的考え方』と『枠組』)との比較を簡単に行い、検討を行うべき対象文書と検討の視点を与える。
 まず両者を比較すると、「国立大学法人化のありうる1つの枠組」の標題が「国立大学法人化の枠組」と断定的になっている以外に、本質的内容においてはほぼ同じである。前者が作業過程文書であることも考慮し、次節以降で検討する文書としては、修正後の『基本的考え方』と『枠組』とする。また 5月31日付文科省文書は国大協2文書との関係で議論すべきであろう。さらに6月1日の記者発表用の資料『要旨』については、極めて注意深く、その含意する意図を検討しなければならないと考える。
 以上の検討に際しての我々の基本的視点は、上記1.1節で述べた「基本的見地・出発点」であり、また第0節で述べた基本的考え方である。
2.「国立大学法人化についての基本的考え方」について
 ここでは、国大協設置形態検討特別委員会の文書「国立大学法人化についての基本的考え方」(『基本的考え方』)に対する、本理学部の意見・問題点の指摘等を行う。以下では、同文書の各項に対応させて記述する。

  1. 「高等教育・学術研究に対する国の責務」について:この部分については、基本 的視点として評価できる。
  2. 「大学の自主性・自律性」について:憲法が保障する学問の自由と、それを支える 大学の自治についての基本的見地については、的確に述べられている。
  3. 「社会に開かれた大学」について:このことは、一般論としては、正しいと受け 取られよう。しかしながら、昨今の政治的文脈のなかでは、「社会 = 政界・官界・財界」であり、「社会 に開かれた大学」とは、「政官財界の代表の要請に応える大学」と解釈され、大学の自治を否定するために 用いられている傾向がある。従って、この項については、厳密かつ分析的な検討が必要である。本来「社会 に開かれた大学」とは、大学の管理・運営に学外者を参画させるということでは決してなく、逆に自治の精 神に満ちた大学内から社会に向けて旺盛に学問研究成果を発信するという意味に捉えるのが健全であろう。
3.「国立大学法人化の枠組」について

3.1 全体的評価
 この「国立大学法人化の枠組」(『枠組』)は、本来、上記の『基本的考え方』を具体化すべきものと考えられるが、実際には以下に示すように、『基本的考え方』の「高等教育・学術研究に対する国の責務」「大学の自主性・自律性」で述べられた理念とは、相いれない内容が含まれているように思われる。このため、『基本的考え方』で、通則法による独法化には反対すると宣言しながら、実際の『枠組』は、"通則法大学"とでも言うべき独法化の設計図となっているかのように見える。
3.2 主要な問題点
  1. 「法人の基本および組織・業務」について
    (1) 学長の任務として、11)に「...学長は業務を掌り(最終意志決定を含む)...」とあるが、三権分立の思想からみても、最高意志決定機関は評議会であり、学長は行政(管理運営)上の責任者と考えるのが妥当であろう。したがって、この括弧内の語句は削除されるべきものと考える。なお、現行の学校教育法では、「学長は校務を掌り、所属職員を統督する」(58条)となっている。
    (2) 21)において評議会を、24)において教授会を、それぞれ審議機関としている。これは、学長の権限として11)で「最終意志決定を含む」と述べたことと対応しており、評議会と教授会の権限の大幅な縮小、後退を意味している。なお、現行の国立学校設置法7条3項、4項で、それぞれ評議会、教授会が審議する機関とされていることをもって、この『枠組』を正当化することはできない。なぜなら、現行の学校教育法では学長、学部長(部局長)は最高意思決定者とはされておらず、従って、国立学校設置法でいう「審議」には、「審議し決定する」機能があると見るべきであろう。実際、現在は、そのように機能している。
    (3) 学長選考方法は、12)において「外部者の意見を反映させる」とある。『基本的考え方』において、学問の自由を保証するために大学の自治の必要性を述べながら、「外部者の意見を反映させる」ことを要求するのは論理矛盾ではなかろうか。自治とは、文字通り自ら治めることである。
    (4) 13)において役員組織に、19)において運営諮問会議に、また第2方式によって評議会に、それぞれ学外者を入れることが可能であるようにされている。このように大学の管理運営の中枢機構に学外者を入れることによって、上記同様、大学の自治を自ら放棄しようとしている。
    (5) 7)の法人の業務において、「その個性に応じて、分野や大学院・学部の別に応じた教育研究の業務を行う」とある。各大学が自らの考えに基づいて「個性」を発揮すべきことは当然であろうが、「個性に応じて」との大義名分の下に、実質的な大学の種別化が行われるとすれば、これは大学の自治にとって大問題である。「個性」とは他者が与えるものではなく、自らが作り出すものである。
    以上のように、『基本的考え方』に示された大学の自治の原則は、『枠組』において重大な侵害を受けている。
  2. 「目標・評価」について
    (1) 通則法そのままの中期目標・中期計画が登場し、3)において色々代替案を出してはいるものの、中期目標・中期計画が文部科学大臣の認可事項であることを明記している。これは、『基本的考え方』にいう学問の自由に確実に背馳するものである。同時に、特に理学のような基礎学問においては、「教育・研究をじっくり深く行う」という学問的特質からも容認できない。このことは、1999年の国立32大学理学部長会議声明において明快に指摘されているが、極めて重要な点であるので、少し長いが再掲しておく。「(前略)...以上の例からも明らかなように,基礎科学は,息の長い研究の推進が可能な環境下で、自由な発想の元で自立的に追求されることによってのみ大きな成果を期待できる学問領域であり,その成果は数十年後あるいはもっと後の社会を支える中核技術を生み出す可能性を持つものです。したがって,基礎科学は短期的な「効率」の視点,あるいは単一の指標によって評価することが極めて困難な学問領域であると言えます。独立行政法人通則法によれば,各独立法人は3年以上5年以内の期間についての「中期計画」を定め,その計画の達成度を評価委員会が評価することになっています。万一,このような短期間での成果を評価することで行政の効率化を図ろうとする通則法に従って,国立大学の独立行政法人化が行われるようなことになれば,理学部及び関連大学院における教育・研究は息の根を止められ,明治初年以来の営々たる努力の結果,ようやく多くの分野で世界をリードするまでになった日本の基礎科学が衰退するであろうことは,火を見るより明らかです。日本の基礎科学が衰退すれば,グローバリゼーションが進んでいる基礎科学において,わが国が国際的責任を果たさないことになります。... (後略)」
    (2) 20)で「評価結果の予算配分への反映」を提示しているが、国大協は評価結果と予算配分のリンケージには繰り返し反対してきたはずである。基盤的な校費による経常的経費の保証と、科研費等による自由な公募形式の予算充実こそを計るべきである。確実に人類の進歩に寄与してきた基礎学問の教育・研究は、数年間などという短い期間で評価できるものではなく、提示されているような短絡的な評価・予算分配は、基礎学問を衰退させる危険性が大きい。
  3. 「人事制度」について
    (1) 3)に教職員の身分として、「非公務員型の可能性も含め...」とある。これは、後述のように大学構成機関の分離と民営化への準備となる危険がある。
    (2) 教育公務員特例法は、大学の自治を法的に保証するものとして設定され、かつまたそれなりに有効に機能してきた。4)では、それに代わるべき法の設計もせずに「精神、考え方を取り入れた制度」を語っているのみである。これでは大学の自治の法的保証は著しく後退することが予想され、したがって賛成できない。
    (3) 15)で「教員の任期制・公募制」が提示されているが、任期制と公募制は全く異なった事柄である。公募制には積極的な面を含んでおり、次第に浸透しつつあるといってよい。当千葉大学理学部においても、多くの人事は公募制であり、優秀な人材の招聘に寄与している。しかし一部の大学・部局において実施されている任期制については、導入後数年が経とうとしているが、現在では任期制は「人事交流の活性化」としてではなく、「研究者の使い捨て」として機能している恐れがある。そのため、有能な若い教育研究者の養成がかえって阻害されているとの指摘も多い。任期制導入については、各部局において慎重に検討すべきであろう。
  4. 「財務・会計」について
    もっとも重要な部分の1つではあるが、全体として不鮮明である。
4.「国立大学の法人化についての要旨」
 「国立大学の法人化についての要旨」(『要旨』)は、『基本的考え方』と『枠組』という2つの基本文書の要旨を、記者会見で紹介するとして作成されたものである。しかし、本文書中の「改革の枠組みの要点」には第1から第7までの項目があるが、到底2基本文書の"要点"とは見なせないと考える。
 まず第1に注目されるのは、2基本文書から内容上逸脱・背反している箇所が見受けられることである。たとえば、第4項「学外有識者の役割を強化する方向で大幅に見直す」における「強化する方向で大幅に」という表現は、『基本的考え方』を逸脱している。第6項「競争的環境を導入する」は、『基本的考え方』にも『枠組』にもない。これらは、同文書末尾に添えられている「国立大学が自ら、競争的環境を実現し、大学の運営に社会の意見が反映される組織に作り変え、・・・。これは社会の意見を反映する仕組を持たない独立行政法人通則法にくらべて、はるかに良い制度になっている。」という自画自賛とでも言うべき"まとめ"と対応している。しかし、これは、『基本的考え方』に残されていた学問の自由と、それを保証する大学の自治の理念を放棄するものであり、特別委員会が示した積極的な面=『基本的考え方』という文書を破棄するにも等しいと考える。
 さらに、第2に、「非公務員型の可能性の検討」が、冒頭第1項に示されているのも異様である。この点に関して注目すべきことは、記者会見前日である5月31日付文科省調査検討会議文書「組織業務に関する考え方の方向(案)」中の(4)(業務の範囲)と(他の法人への出資)との関連である。これについては、「大学法人から分離することにより効率的な運営や弾力的な事業展開が期待できるものについては、各大学が国の許可を得て別法人に移管することを可能にする。大学の本業である教育、研究の民営化も「一般論としてはあり得る」(同省幹部)としている。法人の形態は移管する業務の性質に応じて、株式会社や公益法人、学校法人などにする。この際、民間企業の出資を認めるほか、複数の国立大学法人の出資も可能とする方針だ。」(日本経済新聞05/31)という内容の分析が、各報道機関から提出されている。すなわち、現在、大学を構成している機関である附属病院、附属学校、演習林、図書館、付置研等の分離と別法人化を可能とするのが、5月31日付文科省調査検討会議文書「組織業務に関する考え方の方向(案)」なのである。これは小泉首相らの唱える大学民営化への対応策として文科省が提示したものであり、分離・別法人化した機関には、やがて民営化、"身売り"、廃止などが待っていよう。この文脈でみると、『要旨』における「要点」の冒頭で、「非公務員型の可能性の検討」が提示されたのは、大学内機関の分離・別法人化を容易にするための方策を強調するためではないのかとの疑念が生じる。だとするならば、これは事実上大学の分解と民営化に道を開くものであり、独立行政法人の枠さえ取り払われたことになる。
 最後に指摘したいのは、『要旨』提出過程の異常さである。上記のように特別委員会の議論を逸脱した内容の文書が、委員長の判断で報道陣に配布されたこと、当の特別委員会委員には5日後の6日にようやく送付され、全国立大学には依然として配布されていないこと、など、これらは民主主義的ルールに反すると言わざるを得ない。
5.国大協総会においては歴史に耐えうる厳密な議論を期待する

以上で述べたように、現在提示されている国立大学の独立行政法人化制度には、数多くの問題点・疑問がある。日本の教育制度・学習内容については、その内容・決定過程等に関して、過去にも幾多の問題があった。ここではそれらを指摘するとともに、今回の国立大学の独法化についての有識者の懸念の一端を与え、来るべき国大協総会等での見識ある議論に対する期待を述べる。

(1) 日本の学校教育に関して、これまでの制度・内容を、最近になって変更しようとしているものに、「ゆとり教育の見直し」と、「大学入試センター試験における5教科7科目制の導入」がある。これらは、中央教育審議会・大学審議会の答申等に基づき、旧文部省の指導の下に実施されてきた政策を、事実上撤回しようとするものと考える。しかしこれらの問題については、多くの大学関係者が、その実施当初から警鐘を鳴らし続けてきたものであり、その懸念通りの現実になっている。ここで最も強調したい点は、問題が生じた場合に、かつての中教審・大学審・文部省の如何なるメンバーも、どのような責任も取ろうとしないことである。今回の国立大学の独法化・民営化の問題についても、多くの大学関係者がその問題点を指摘しているが、それらの意見を採用せずに独法化・民営化の制度を導入し、その結果我々が指摘した通りの現実になった場合には、誰が、どのような形で責任をとろうと言うのであろうか。国立大学の独法化・民営化は、日本の高等教育・研究の長期に亘る将来に、極めて重大な影響を与える問題であり、もし道を見誤れば、その被害は過去の失敗とは比較にならないほど大きい。
(2) 本年4月から実際に独立行政法人に移行した元国立研究所、元国立博物館などにおいても、かなり深刻な問題点が指摘されている。一例を挙げると、「論文や特許の数だけが重視されると、長期的な研究への挑戦が減りかねない。」(4月20日付朝日新聞)や、「初めに行革ありきで、広範な議論のやりとりも無く進められた準備はいかにも拙速だったと今更ながらにして思う。」(5月6日付朝日新聞)などがある。
(3) この制度は大学の発展ではなく、その淘汰を求めているのではないかとの懸念を抱かせる。たとえば、大学評価機構に「大学関係者のみならず幅広い関係者を参画させる」ことによる帰結として、「大学における学問の自由が無くなる」危険性が大きいと考える。現在検討が進められている「目標-->評価-->目標-->...」という制度設計自体には、以上述べたような根本的な懸念があり、賛成できない。

さて、千葉大学理学部では、3年前から次のような文章を含む有志の声明を出して、日本の国民に向かって警鐘を鳴らして来た。

日本から国立大学が無くなるとすれば、それは現在までの日本の
高等教育における最大の転換であると考えます。その是非は歴史の
審判に待たねばなりませんが、その時代に大学に在職している者の
責任は、極めて重大であると考えます。            

しかしながら、現在までのところ、国立大学の独法化に関しては、上記声明で危惧した通りの方向に、まさに進もうとしている。日本の高等教育・研究の将来に思いをはせるとき、我々はこの事態を看過することは絶対に許されないと考える。

来る6月12日、13日の国立大学協会総会およびそれ以降の行動においては、各国立大学長が、自らの見識に基づいて、歴史的審判に耐えうる厳密なる議論を展開し、その結論について歴史的責任を全うする覚悟で臨まれることを期待する。

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付   記


★ 国立大学の民営化について

 6月2日付朝日新聞、東京新聞などによると、長尾国大協会長が、「(国立大学の)民営化を視野に入れて議論をしていない。」と述べたと伝えられている。
 これを、『国立大学の民営化には反対』と理解すれば、我々の考えも全くその通りである。万一、国立大学が民営化されたならば、日本全体の高等教育・研究に非常に大きな損失を招くことになろう。
 そもそも「国立大学の民営化」のような、日本の未来を左右する社会的大問題は、大学人は勿論、国民各層の意見を十分に聞き取り、慎重な論議を積み重ねながら考えていくべきものであり、政治主導の論理は極めて不条理であると考える。特に、大学の教育研究に携わっている教職員の意見は、最大限に尊重されるべきであろう。
 ここで、この問題に関わる2つの事項について、理学系の例を用いて考える。

@ 私立大学における理学系学部について
まず、現在の私立大学において、「理学部」または「理工学部」等の理学系学部の数 [割合]と、学生定員[割合]を調べてみると、次のようになる。

  私立大学の総数, 総学生定員      479校   416,356名
  「理学部」のある大学数, 総学生定員   13校[2.7%]   4,695名[1.1%]
  「理工学部」のある大学数, 総学生定員  19校[4.0%]   約3,453名[0.8%]
                              (理学系学生定員)

 上記以外に、「その他の理学系学部」があると見なせる大学が5校[1.0%]あり、その総学生定員は約865名[0.2%]程度である。これから分かるように、公的財政支援の乏しい私立大学においては、理学系のような設備のかかる基礎科学の教育・研究は、経営の観点からは非常に大きな制約があり、極めて脆弱となっている現状がはっきりと読みとれる。
 現在まで、理学系基礎科学の教育・研究を主体的に担ってきたのは、国立大学の理学系学部であり、もし国立大学が民営化されれば、日本の理系基礎科学の衰退は、火を見るより明らかであろう。このことは、科学技術創造立国を標榜している日本にとっては、致命的であると考えられる。
A 環境問題に関する国立大学の役割次に、国立大学の理学系学部が果たしてきた役割の内で、今後極めて重要になると思われる環境問題に関わる貢献の例を考えてみる。最近では、環境問題についてのNGOの活動が大きく取り上げられ、評価されるようになった。しかし環境に関わる個々の問題に対して、中立的立場で公平に考察を行うためには、非常に専門的な知識が要求される場合がほとんどであり、中でも理学系の学問知識が要求されることが、とりわけ多い。この際重要な点は、さまざまな立場や利害・権益関係に左右されることなく、学問的立場から自由に議論の材料を提供できるシステムを構築しておくことであり、この点だけは絶対に確保しておく必要があろう。今までは、主として地方国立大学の理学部教官がこの役割を担い、数多くの意義ある成果を挙げてきた。しかし、もし国立大学が民営化されるとすれば、このような見識ある、自由な発言ができなくなる可能性が大きいのではないかと危惧する。

 以上2つの例からも分かるように、国立大学の民営化は、将来の日本の社会を危機に陥れる大いなる危険性を有していると考える。我々は、国立大学は絶対に民営化すべきではないと考える。

「国立大学の民営化」には、全力をもって反対します。


文責 田栗 正章(理学部長)
伊勢崎修弘(理学部評議員)
金子 克美(理学部評議員)
大日方 昂(大学院自然科学研究科長)
越谷 重夫(教育研究体制検討委員長)
伊藤 谷生(教育研究体制検討委










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