独行法反対首都圏ネットワーク


次世代の育成と高等教育−権利としての教育一
2001.6.5 [he-forum 2023] 次世代の育成と高等教育−権利としての教育一


学術の動向 2001.5

特集 学術的活動のための次世代育成


次世代の育成と高等教育 −−権利としての教育一ー

野上修市


高等教育をめぐる問題状況と改革の視点


今日、世界的な現象として、高等教育のあり方を再検討すべきであるという議論が起きている。その背景には、高等教育機関への進学率の著しい増加に伴い、高等教育の見直しが必要であり、かつまた、経済の行き詰まりを克服し、社会の発展を持続させるためには、高等教育のあり方がきわめて重要なカギを握っているという認識がある。この点、わが国においても、同様である。


新しい理論・知識・技術をもった若者の存在が、一国の文化的・経済的発展にとって、不可欠な要素であることはいうまでもない。しかしながら、わが困の高等教育の現状は、他困にぞの例をみないほど、解決すべき大きな問題をかかえているといわねばならない。とりわけ、現在の大学には、不本意入学・学力低下‘学習意欲の喪失・不登校・学費支払不能・定員割れなどの諸問題かあるため、高等教育の改革を抜本的に断行しない限り、大学をめぐる教育病理の現実は一層深刻なものになろう。その意味で、わが国において、新しい学術的活動の担い手を育成することは、きわめて困難な問題であるといえる。


いずれにしても、大学に生じているこのような病理現象は、多かれ少なかれ、中等教育レベルでも現れている。だとすると、人間の成長発達段階に即して行われる初等教青(基礎教育)一中等教育(準備教育)一高等教育(専門教育)のあり方をトータルに間い正すという視点からの教育改革への取り組みが望まれるところである。


次世代育成のための教育のあり方


高等教育は、初等教育から始まり、中等教育との連携を適じて、生涯にわたり継続する教育過程の一部であると考える必要がある。次世代青成との関係で、三つの教育過程のあり方を述べると、以下のように指摘することができる。


初等教育は、子どもたちが、将来どのような人生設計をデザインしようとも、それに対応できる基礎的な学力を身につけさせることを、第一の任務と考えるべきである。そのため、教育内容は世界観・人生観などの自己形成に寄与するようなものでなければならない。と同時に、子どもたちの人間的成長・発達を促すような統一性・系統性をもった学習内容が描共される必要がある。教育と学問研究とは別個であるという考えのもとに、今日、初等教青の内容が学問研究の成果から切り離された形で構築されていることは、大いに改められなければならない。


戦前の中等教育は、ごくわずかな選ばれた若者のための教育であった。今日では、100%に近い著者が、中等教育のセンターである高校に進学している。その意昧で、中等教育は、高等教育へ進学する者のための準備教育と考えられている。しかしながら、これまでの中等教育の現実は、学校間格差の中で、過熱な受験戦争にかりたてられ、多くの若者は人間的な感動をもち得ず、豊かな創造的思考力も発揮できずにきた。子どもの時代から大人の時代にまたがる中等教育は、参政権の付与の問題とも関わって、幅広い学習能力を発達させる任務を有しているといえよう。したがって、中等教育の内容は、第1に、すべての若者が主権者として成長するにふさわしい教育実践を提供するものでなければならない。第2に、すべての若者が創造カに満ちた主体的な人間に成長し、社会の進歩を促す民主主義の発展に貢献できるよう、自主的な学習の機会を準備する必要がある。


 戦後教育改革の中で、もっとも基本的に重要な意義をもったのは、学校体系の改革であった。とりわけ、高等教育レベルの改革は、初等・中等レベルの改革に比較すると、一段と画期的なものであった。というのも、6・3・3・4制の新学制のもとで、大学は学制の最終段階を意味し、これによって、16年間にわたる学校教育が完成するとみなされることになったからである。そして、大学の使命と役割について、学校教育法は、52条において、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的・道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」と定め、大学が学術のセンターであることを明確にしている。


 大学が「学術の中心」になるということは、一方で、大学以外にもさまざまな学術機関(国・公・私立の研究所や民間の学術団体など)が存在しても、大学は中心的な学術機関としての役割を果たすことが期待されているとともに、他方で、大学の教育・研究機能が国家目的に従属することを否定し、「学問の自由」・「大学の自治」のもとに、自主的に遂行されることを意味している。
「広く知識を授ける」とは、一面において、多くの国民に対し高等教育の機会の拡大を保障し、もって大学の知的教育機能を明らかにするとともに、他面、知識ぞれ自体が専門的なものに限定されるのではなく、広く一般教養的な内容を含むべきことを意味すると解される。そして、「深く専門の学芸を教授研究」するというのは、専門的な学問・研究の遂行とその教授が大学に要請されるという意味であり、また、「知的、道徳的及び応用的能力を展開させる」ということは、大学の教育目的が学生の人格完成にあるとともに、知的・道徳的・応用的能力の三位一体的展開が大学の本来的教育機能であることを示している。

 こうしてみると、学術的活動に従事する次世代の育成教育は、多くの場合、大学に託されていると考えることができる。大学の改革が強く求められる所以は、ここにある。というのも、大学がかかえている教育病理現象は中学・高校にも現れており、大学が初等・中等教有のあり方を歪める役割を果たしているからである。この点、ユネスコ高等教育世界会議(1998年10月9日)が採択した「21世紀に向けての高等教育世界宣言 展望と行動一」(以下、ユネスコ宣言という)の中で意義づけられた高等教育のあり方に関する内容には、きわめて注目すべきものがあるといわねばならない。


 ユネスコ宣言(日本科学者会議・東京高等教育研究所訳)は、その前文において、あらゆるレベルの教育は、「人権と民主主義、持続可能な開発及び平和の基本的な柱である」と述べたうえで、財政・進学・就学条件の公正化・教員の能力開発の改善・技術訓練・教育と研究および開発の質の向上と維持・教育内容の適正化・卒業生の雇用問題など、21世紀を目前に控えて直面する諸問題の解決には、高等教育の役割は決定的に重要であるとし、また、学生たちが21世紀のグローバルな知識社会」に参加し、高等教育を受ける中心に位置づけられねばならないと強調している。こうした考え方は、わが国の憲法(26条)および教育基本法〈前文・1条)の根本原則に直結していると受け止めることができよう。


 つづいて、同宣言は、本文の「高等教育の使命と役割」という項目において、高等教育の中心的使命と価健は、社会の発展と改善に貢献することにあるとしたうえで、高等教育および生涯学習の機会ならびに専門的知識の提供を教育面と研究面で行うとしている。こうした教育目標の背景には、学生・市民の社会への能動的参加を促すために必要な内発的能カの形成を図り、人権・民主主義・平和の尊重をめざす教育を行うことによって、若者に民主主義的布民の育成に不可欠な諸価値を教えようとする考えがある。さらに、高等教育機関とその学生には、倫理的・科学的・学術的実践を通じて、社会・経済・文化・政治問題について、「批判的かつ先見的な役割」を果たす責任があるとも指摘している。


 「高等教育の新たな展望の形成」という項目の中では、高等教育を受ける機会の平等が強調され、とりわけ女性の就学率の上昇を図るとともに、高等教育および社会の政策決定過程への女性の積極的参加を高める必要性を説いている。そして、高等教育への平等参加は、「他のすべての段階の教育、とくに中等教育との連携の強化から、そして必要ならば再調整から始めなければならない。高等教育機関は、幼児教育および初等教育から始まり、生涯を通じて継続する継ぎ目のない制度の一部として考えられなければならない」と指摘しているのである。高等教育が社会釣要請にどのように応えるべきかという問題についても、きわめて重要な示唆に富む言及を行っている。すなわち、高等教育の社会への奉仕という役割は、「とくに貧困や不寛容、暴力、非識字、飢餓、環境汚染および疾病の根絶を目的とした活動」として現れ、究極的には、「暴カと搾取のない新しい社会の創造を目指さなければならない」と結論づけている。


 以上のようなユネスコ宣言の中で論及された高等教育の使命・役割・展望に関する内容は、わが国の大学審議会答申「21世紀の大学像と今後の改革方策について 競争的環境の中で個性が輝く大学 」(1998年)および「グローバル化時代に求められる高等教育の在り方について」(1999年)が提言した高等教育の教育目標や社会的貴任の内容とは決定的に異なるものである。また、財界から大学教育のあり方に対する注文として、しばしば登場する新時代に求められる多様な人間像の内容(「人間性豊かな構想力のある人材」・「独創性・創造性のある人材」「問題発見・解決能力を有する人材」・「グローバリーゼーションに対応できる人材」・「リーダーシッブを有する人材」)とも、大きな違いがある。


次世代育成のための方策


 高等教育は、一国の教育過程の一部であるから、単にその改革で、21世紀における学術的活動の担い手を育成できるものではない。その意味では、高等教育の改革だけで次世代の育成ができると考えてはならない。しかしながら、高等教育の改革は、次世代育成のための不可欠な取り組みであることもまた、確かな事実である。以下、そのような立場から若干の方策を指摘してみよう。


 まず第1に、すべての教育制度の内容を、人権・民主主義・社会の進歩と平和を造り出すという考えのもとに再構築し、学生を高等教育を受ける主体として位置づけることが必要である。つまり、高等教育機関は、学生にあらゆる社会事象を分析させ、その打開策を探究し、そうすることが社会的責任であるというように、広い知識と深い動機をもつ布民に育て上げねばならないということである。


 第2に、高等教育機関の教員は、もっばら知識の切り売りを行うのではなく、学生に学ぶことのよろこびを与え、いかにしたらそのパワーを発揮できるかという可能性を教えることに、自らの役割の重点をシフトする必要がある。そのためには、教員は、つねに世界において活用・推進されている新しい高等教育の展望とぞの理論的枠組みを取り入れ、教育内容の刷新を図ることが大切である。創造的で批判的な分析を学生本位に行うことにより、学生が単に記憶力だけではなく、理解力・創造力を高め、新しい視点と新たな実務能力を修得するよう努めなければならない。創造的で批判的な分析とは、伝統的ないし既存の知識と技術を先端的な科学枝術と結びつけながら、新しい種類の教育・学習教材を含む革新的な教育方法を展開することであると理解する必要があろう。


 最後は、学生が民主主義社会に参加し、社会的責任意識をもって、自己の能力を十分に発揮できる雇用の機会を用意する必要があるということである。これは、単に求職者であることに留まらず、起業家として活躍する場が学生に与えられなければならな いことを意床している。高等教育は、新しい職業の創出に貢献することによって、著者に新たな刺激を与える魅力ある教育過程となるのである。


野上 修市(のがみ しゆういち 1936年生)

日本学術会議第2部会員、社会法学研究連絡委貫会委員長、教育体系の再構築
特別委員会委員、明治大学法学部教授
専門=憲法学、教育法学


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