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国立大学の法人化についての鹿児島大学理学部長の見解


国立大学の法人化についての鹿児島大学理学部長の見解
平成13年6月20日(水)

はじめに}

政府は、民間でやれるところから国は手を引き「市場原理」をとりいれた行政改革を始めました。しかし、このような新自由主義の行政改革は、イギリスやニュージランドなどで既に試みられ、それは反省されつつあります。
これに伴なう制度改革では、必ずしも国が直接行なう必要のない、事業の内、企画部門と実施部門に分離できる事業を対象とし、実施部門を外部化して独立行政法人とする。この行政法人の運営の基本その他の制度の基本となる共通の事項を定めたのが、独立行政法人通則法です。
この制度設計から、分かるように通則法は大学に適用することを考えないでつくられたものであり、それを無理遣りに大学に適用しようとしてもろもろの問題が起きています。
大学に必要なのは政府から干渉を受けることなく自立した運営ができる「真の法人格」です。通則法によれば独立法人という名前とは裏腹に大学は政府の統制下に置かれ、採算のとれない基礎科学は衰退の危機に面し、学問の自由は侵される危険性があります。
名前だけが「国立大学法人」でも、その内容が通則法と同じ趣旨であれば、問題は同じです。また、最近突然出された、文部科学省の「大学の構造改革の方針」は地方大学の切り捨てにつながる危険性をもつ極めて重大なものです。それを十分な議論もせずに、文部科学省の行政指導として強行しようとしています。国家百年の計を誤ることがないように、ここに声明を発表します。

基本的認識と問題点}

国の責務と大学の役割}

国の役割として公共財の提供があり、国は国民に教育を受ける権利を保障し(憲法第26条)、かつ市場原理によっては成立し難い基礎学問を維持・発展させる責任があります。大学は、高等教育を担い、文化を継承発展させると共に批判的・予見的役割を社会から期待されています。この役割を果すためには、「学問の自由」が不可欠でありそれは「憲法第23条」で保証されています。そして大学は、国民さらには人類の未来の社会に歴史的責任をもたなければなりません。

大学の法人化

ヨーロッパの大学法人は、国から独立し、自主性と自治運営を尊重した法人であり、通則法のように政府による目標の指示や計画認可といった行政法人ではありません。法律をつくる前の独立行政法人制度の趣旨では「事前関与・統制を極力廃し、主務大臣の監督、関与その他の国の関与を最小限のものとする」としていますが、この理念と通則法の内容は逆になっています。

目標評価について

中期目標の設定や計画の策定は、その大学の内在的な論理によって真に必要であれば、その大学が自主的に行えばよい。法的に義務づけることは大学を時の政府に従属させることになり、また無駄な事務量が増大します。そもそも、目標を定め計画し、その実行結果を評価するというのは、事前に結果が予測できるものについてのことであり、およそ創造とは縁のないものです。それは、先進国を目標として、効率よく追いつくときの方策であり、開発途上国の発想です。大学で行う教育や研究は、中期的な観点からの効率主義にそぐいません。ニュージランドでは1984年から行政改革が行われ、教育・研究にも市場原理が導入された。その結果、基礎科学に優秀な学生がこなくなり、すぐに給料が得られる商学部や観光学科に学生が殺到している。国立大学は法人化(企業化)され、教育は商業化されつつある。その結果、採算のあがらない基礎科学(数学、物理など)は大きなダメージをうけ、頭脳流出がおきています。評価については、評価基準は絶対的なものではなく、見方により異なり、時代とともに変化するものです。21世紀は安定した持続社会が求められ、そこは、多様なものが共存できる社会であり、競争を勝ち抜いたものが支配する社会であってはならないでしょう。

文教政策の失敗は許されない}

通則法で行政法人化されると、官の悪いところと、民の悪いところが合わさったものになり、手続きが煩雑となり、多量の文書が行き来するようになる心配があります。これでは、第3セクターの過ちを繰り返すことになります。失敗したら引き返すという話がありますが、文教政策の失敗の後遺症は何十年にもわたるので、過ちは犯せません。大学は通則法による法人化によって、文部科学行政の単なる実施機関(国策大学)になってはなりません。

深刻な最近の情勢}

文部科学省の「大学の構造改革の方針」

最近(6月11日)開催された「経済財政諮問会議」では文部科学省が策定した「大学構造改革」が文部科学大臣から説明されました。同一の資料が6月14日の「国立大学長会議」に配布され、大臣が説明しました。それによると、国公私「トップ30」大学に重点投資し、国立大学を削減し、自治体への移管さらには、民営化への再編を計画しています。これは、会議の名称がいみじくも示しているように、国と地方自治体を合わせて約600兆円ほどの(国民一人当たり約500万円)債務を抱えている財政の立て直しに対する文部科学省としての対応案です。財政難の中でこそ、教育に投資すべきことは、小泉首相が、引用した長岡藩の米百俵の故事のとうりであるはずです。
先進国では、国の存亡に関わることとして、高等教育は国が責任をもって行うことは、当然のことであり、高等教育に国費を使うべきかどうかが議論になるのは日本だけだといわれています。日本は科学技術創造立国を国是として、「科学技術基本法」を制定しています。そこでは、「科学技術の振興は国の責務とし、大学等における研究活動の活性化を図るよう努めるとともに、研究者等の自主性の尊重その他の大学等における研究の特性に配慮しなければならない」としています。
また、自由民主党の政務調査会の「提言:これからの国立大学の在り方」(平成12年5月)においても「国立大学を国立大学法人に移行した後も、国土の均衡ある発展の観点から、地方の国立大学が地域の産業、文化の振興などに果たしてきた役割を十分評価し、その維持発展を図るべきである」としています。

学部長会議声明など

理学部に関係するものからいくつかを紹介します。


国立大学理学部長会議

平成11年11月に、 国立大学理学部長会議が「危うし!日本の基礎科学---国立大学の独立行政法人化を憂う---」という声明を発表しました。現在の科学技術を支えているのは50年あるいは100年以上前の基礎科学の成果です。基礎科学は、息の長い研究の推進が可能な環境下で、自由な発想のもとで自律的に追究されることによってのみ大きな成果が期待できます。そして、大学が行政法人化されると、日本の基礎科学が衰退するであろうことは、火を見るより明らかであると主張しています。

千葉大学理学部の見解

平成13年6月に、見解を発表しています。趣旨は上記の国立大学理学部長会議と同じです。また本年5月21日の国大協設置形態検討特別委員会に出された文書のうち「国立大学法人化の1つの枠組」は通則法大学と言うべきものであるとして批判しています。また、理系はこれまで国立大学が主体的に担ってきたことをデータに基づいて分析しています。そして、環境問題など中立的立場で公平に考察を行う場合に理学部が主要な役割を果していることを説明し、特に地方国立大学の理学部教官がこの役割を担い、数多くの意義ある成果を挙げてきたことを述べています。

国立大学農学部系部長会議

平成13年6月に、「大学にふさわしい制度設計を」という声明を出しています。農学は、地域に密着した教育研究を推進してきた国立大学の他分野と同様に、さまざまな課題において地域性を重視してきたとし、過度な競争的環境によって均衡のとれた従来の農学教育研究が弱体化することを、危惧すると表明しています。

高等教育の世界宣言}

1998年に採択されたユネスコの「21世紀に向けた高等教育に関する世界宣言」の前文に次の言葉があります。「現代、価値観の深刻な危機を経験している我々の社会が、単なる経済的考慮(economic consideration)を超えて、道徳性と精神性をより深く持ちうるように、高等教育それ自身が挑戦を受けている」。つまり、日本が経済大国をいかに維持するかという観点からのみの大学改革を行ってはなりません。
また、第16条の見出しは、「「頭脳流出」から「頭脳増加」へ」であり、そこに次の記述があります「発展途上国では、その国を進歩させるに必要な、高水準の専門家が掠奪され続けているので「頭脳流出」はいまだ停止していない」。世界を日本に置き換えてみると、地方から都市に「頭脳」が流出していることに対応している。この格差を是正する方策を講じなければ歪な社会を招来するでしょう。

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