独行法反対首都圏ネットワーク


体験的21世紀の大学戦略 佐々木毅
2001.5.13 [he-forum 1915] 東京新聞05/13


『東京新聞』2001年5月13日付


時代を読む

佐々木毅


  体験的21世紀の大学戦略


  学長になって驚いたことの一つは、海外出張の多さである。そこには大学間交流といったものにかかわる出張とは違った兆候が見られる。この兆候は国際的に大学間のグローバルスタンダードづくりの試みと関係がある。種々の会合への招待にしても出席にしても、当該大学がある種のスタンダードに達していると「見られている」ことが条件である。この基準をあえて単純化して言えば、充実した研究環境と多数の大学院生(特に博士課程の)を抱えた研究型大学かどうかにほかならない。
  過日のアメリカ大学協会に出席した日本の大学は三大学であり、私がたまたま理事長を務めているアジア研究型大学協会への加盟大学は十七大学(うち日本は六大学)である。また、環太平洋大学協会への加盟大学は三十四大学(うち日本は四大学)である。アメリカ大学協会の組織にはこうした研究型大学志向が明白に見られ、それが世界に広がりつつあるということかもしれない。また、欧州統合の進展する中で欧州諸国の大学についても同種のスタンダードが登場してくるに違いない。ここには大学を国内的な視野、ましてや、入試の偏差値などで見るのとかなり違った視点が見られる。
  日本でも大学のことが多く報道されるようになった。大学がさまざまな新しい知恵を絞り、工夫をしていることは毎日報道されている。また、国立大学については独立行政法人化問題が話題になっている。大学の持つ知恵を産業界に役立ててもらう努力も今までよりは確かに加速している。
  しかし、こうした日本国内での大学をめぐる議論と先に述べた確立しつつあるグローバルスタンダードとの関係は、残念ながらあまりはっきりしない。グローバルスタンダードに合致する大学を国公私立を含め、いくつ維持するか、実現するかというのが政策上の戦略目標に当たるとするならば、報道されているほとんどの事柄はいわゆる局部的戦術の問題である。しかも、それらをあたかも唯一、最大の問題であるかのように考えているところに、基本的な危うさが感じられる。

  研究型大学というモデルは知力・学力を必要とするとともに、巨額の資金の投入によって初めて可能になる。資源の投入を怠りながら、知恵や工夫でなんとかしようとしてもそれには決定的な限界がある。日本政府が高等教育に極めて少ない資源しか投入してこなかったことは歴然とした事実である。日本のそれが国内総生産(GDP)比で〇・五%にとどまり、アメリカの一・五%とは雲泥の差があり、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で最低の水準である。
  目下の厳しい財政状態を背景に、それを大幅に増額するどころか、これすら削り込もうというのであれば、二十一世紀に大学戦略はおよそ立ち得ないと言わざるを得ない。戦術を無視する怠惰を弁護するものではないが、このことははっきり言っておく必要がある。(東大学長)



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