独行法反対首都圏ネットワーク


文部科学省調査検討会作業業委員からも異論
2001.5.9 [he-forum 1898] 作業委員からも異論


独行法反対首都圏ネット事務局です。


4月16日にhe-fprum1823,1824の「組織業務委員会の状況と作業委員の立場」は、文 部省調査検討会作業委員からも異論が出されているという点で重要な情報であります。

今回、全文をテキストで改めて紹介いたします。
出典は国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議「組織業務委員会」(第9 回)(平成13年3月21日)配付資料、です。


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組織業務委員会の状況と作業委員の立場         3 月21 日
1.はじめに
 1-1. 2 月28 日の委員会では、法人化の場合における運営組織の案について種々の発言があり、そのなかには批判的なものが多く見られた。作業委員としてはそのことを真剣に受け止める。
 1-2. ただ、経営教学分離を強く主張する発言(それと関連する文脈で部局の問題や外部からの参画の問題を取り上げるものを含む)がかなりあったことは、調査検討会議と組織業務委員会のこれまでの経緯にてらし、とまどいを覚える。
2.根本的に議論する場合の要点
 2-1. 国立大学制度をどうするかは、白地で考えると、現状固守から大々的変革(理事会システム等の導入、私立学校化その他各種の“民営化”)まで、何種類もの可能性がありうる。それらはすべて議論に値するが、議論するとすれば以下の点が重要。
 2-2. まず、現在の国立大学がその果たすべき使命を適切に果たしていない部分があるか、あるとすればそれはいかなる点か、その原因は何かを、データに即してまじめに議論すべきである。このことは、委員間での認識の隔たりがかなり大きいように見えるだけに、特に必要である。きちんとした診断なしに手術をしてはいけない。
 2-3. 現状とその問題点を分析したうえで、それに対する方策を検討する。その際には、国立大学(法人)の業務と他の社会諸組織の業務とはどこが同じでどこが違うのか、それに対応してその運営ないし経営の理念はいかなるものであるべきかを議論しなければならない。とりわけ、大学が時代の要請を的確に捉える能力を具えることは必要であるが、教育研究の百年の計を歪めること、角を矯めて牛を殺すことがあってはならない。
3.調査検討会議の趣旨
 3-1. 経営教学分離を進める方向で国立大学の現行運営組織原理を変えることがいかなる意味をもつか、その是非をどう考えるかは、以上の論点について深く議論しなければ何とも言えない問題である。
 3-2. そのような議論をする場は今回の調査検討会議の中には設けられておらず、また実際にも、きちんとした資料にもとづく議論がされたことはない。それというのも、この会議は、独立行政法人制度の創設をふまえて文部科学省が示した、国立大学の独立行政法人化という一つの方向について、限られた時間の中で具体的に調査検討することを目的とするものだからである。
 3-3. 運営組織に関する作業委員案も、そのような前提のもとで作られたものである。
4.根本的な議論をするための前提
 4-1. これに対し、そうした問題の脈絡に囚われないもっと広い土俵で、経営教学分離の推進の方向や民営化の方向での種々の発想も含めて自由に議論しようというのであれば、調査検討会議ではそのための準備はされていないので、最初からやりなおす必要がある。
 4-2. 日本の高等教育・学術研究のあり方についての根本的な議論は必要である。しかし、上述の視点と手順を欠いた性急な議論が、必要な準備なしに調査検討会議で展開されることは、国家・国民にとって不幸なことであると考える。
 
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別案についての作業委員の立場              3 月21 日

 大学の運営組織について、作業委員の案の他に、従来の評議会と別の新たな審議機 関として,学内者と学外者少数のものからなる運営協議会や経営評議会を設ける案がある。 また大学組織とは別に理事会を設ける案もりうる(「未定稿」、参照)。これらを一括して 別案と呼ぶことにし、別案について問題と考えるところを記す。
1 基本的前提
 1-1 学問の発展、高等教育の充実は、国や社会の発展に不可欠であること。
・学問が廃れ、あるいは高等教育機会が縮減されるなら、社会の発展は阻害され「国は滅びる」。
・学問研究・高等教育にかかるお金は国・社会が当然に負担すべきコスト。
   →大学を設置し維持していくことは国の責務(=国立大学という存在の必然性)。
   (なお、私立大学に対する国の補助が憲法上正当化できるのも、この観点から)。
・金を出す以上口も出すべきか?
→学術・芸術には金は出すが口は出さない、という欧米の伝統(=「文化」)。
1-2 「口を出さない」のは学問の本質からの要請であること。
・学問はこれまでの「真理」「常識」「価値観」を疑うところから出発する。
   →既成の価値観や社会通念(真理・常識)から「自由」であるべき(→「学問の自
由」
・大学は、学問研究の中枢機関。既成の価値観や社会通念に拘束されてはならない。
→既成の価値体系を前提に成り立っている国や社会(「スポンサー」)に縛られない
ことが必要(→「大学の自治」)。
・大学における研究と教育は不可分一体。研究における質の向上がなければ、教育の質の向上もありえない。
 1-3 「社会の要請」にこたえるとは、「いまある状態での社会」に直接役立つこと のみを意味しないこと。
・学問研究・教育は、社会の発展や人類の福祉の向上に役立たねばならない。
→大学が社会の要請にこたえるべきことは当然。
・ただし、既成の価値観や社会通念に拘束されてはならない。
→大学は、「いまある状態での社会」から一定の距離感をもつことも必要。
・「いまある状態での社会」に直接的に役立つ成果のみを大学に求めるなら、学問は停滞、社会の発展も阻害される。
2 大学の運営組織のあり方
2-1 大学の運営組織のあり方は、「いまある状態での社会」から一定の距離を保ちつつ社会の要請に応えることを可能にするものでなければならない。
・研究・教育にたずさわる者の自律的運営を基本に、しかし、それが独善ないし既得権益保持に陥らないようにする仕組みが必要。
・公の負担で運営される以上、研究教育目的以外に使うなどの不正を防止し監視する仕組みは当然必要。ただし、それ以上の口出しは、学問の本質に反する。
 2-2 大学運営は、研究・教育と不可分。
・大学運営の中枢に位置する者は、学問・教育に通じている者であることが必要。
→たとえば、各部局への適正な予算配分や定員配置は、当該部局で行われる研究・
教育の内容を十分に理解していなければ不可能。
・多様化する学問領域のすべてに通じている万能者はいない。
→万能ではありえない学長のリーダーシップは、さまざまな学問分野のそれぞれに通じている複数の者の補佐があって初めて発揮されうる。
・経済合理性のみを大学運営の指針とすることはできない。一見無駄にみえる研究にも意味があるし、成果がみえるまで時間がかかる場合も多い。
3 「運営協議会(審議会)」・「理事会」案の是非
 3-1 大学運営の中枢への学外者の参与について
・大学運営の基本にかかわる部分に学外者を参与させるについては、学外者の資質が重要なポイントとなる。
・学問・教育に十分通じていない学外者が大きな発言力をもつ場合には、大学の研究・教育体制は破壊される。
・学外者が「いまある状態での社会」の価値観や社会通念を前提に大学運営の基本を決めてしまうなら、学問の進歩は止まり、社会の発展を阻害し「国を滅ぼす」。
・学外者が、研究・教育に十分通じ実績もある者であれば、学外者の参与も考えられないわけではない。
→欧米のような「文化」が未成熟な日本に、そのような学外者の人材がどれほどいるか?
・理事会方式は、文部科学大臣指名の理事長が大学のトップに立つ点で、制度上も事実上も、大学の自治の直接的な侵害になる。
→かりに国立大学に理事会方式をあてはめるとするなら、理事会は、@その大学を
束ねて運営していく能力をもち、A政府・政治家に対して独立で(大学の自治)、B
特定企業等の財政支援者にも従属しないことが要求されるが、現在の日本の国立大学をとりまく人的・政治的・財政的状況のもとで、学内選考によらない政府任命の理事長を置くこととすれば、上記要求に反する事態が生ずることは避けられないのではないか?
 3-2 経営と教学の意思決定プロセスの分離について。
・大学運営と研究教育の不可分性に反する。
・権限関係が複雑多元的となり効率的運営や迅速な意思決定ということに反する。
・理事会方式の場合、組織上も経営・教学が分離され、明らかに二重権力となる。
・いずれの場合も、「経営」部門と「教学」部門の意思が対立したら、大学は機能不全に陥る。
 3-3 変革の「論じ方」について。
・目標評価・実績の事後評価に加えて外部者の運営参加を強制するのは、自己責任の拡大や規制緩和という、そもそもの出発点に反する。
・国としての高等教育ビジョンの欠如、実利指向で学問を尊重しない社会、という根本問題に手をつけないままの「大改革」。
→いまの国立大学の、どこがどう具体的に問題なのか、それを解決するためにどうしたらいいのかを明確にしないままに、「学外者の参与」をいう危なさ。
→失敗だったと分かったとき誰がどう責任をとるのか?


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