独行法反対首都圏ネットワーク


大学評価問題の混乱
2001.4.3 [he-forum 1786] じゅあ03/30


財団法人大学基準協会

じゅあ 第26号 平成13年3月30日発行 編集・発行 財団法人大学基準協会


巻頭言

大学評価問題の混乱


松尾 稔

本協会副会長、名古屋大学総長


 ここ7,8年前から、「自己点検・自己評価」が各大学で競って行われ、(若干の自画自賛も含めた)大冊の現状報告書とも言うべきものが続々と発行された。加えて、一昨年の大学審議会の答申、大学評価・学位授与機構の発足、(現実味を帯び出した)国立大学の法人格の取得問題との関係で、最近は「評価やAccountability」などの言葉や文字に触れない日はないほどである。本協会の「じゅあNO.23」にも北原保雄副会長が巻頭言で書いておられる。こういう状況の中で、私が再び「評価」を巻頭言で取り上げることは、読者の嫌気や食傷を生む危険がある。とは言え、「じゅあ」は基準協会のニュース・レターだし、協会の最大の使命は「評価」だから、一種の混乱状態にある現在、この問題に一言触れざるを得ないのである。以後には、同様のことが他の人たちによっても語られていることを承知の上で、前からの自分の考えのごく一部を自分の言葉で書いてみる。
 大学基準協会は、国公私立を問わず、大学人が自主・自発的に互いの大学をピア・レヴュウし合い、大学の内容と地位向上を図り、ひいては日本及び世界の学術の発展に寄与すべく設立され、50年以上維持されている歴史と伝統を持つ団体である。そこにこの4月から、国の第三者評価機関「大学評価・学位授与機構」が豁然と現れ、脱兎のごとく活動を開始した。この機構は新参者とは言え、厳然たる国の機関であり、一つの財団法人にすぎぬ本協会にとっては、安閑としておれぬ脅威である。資金的にも人材の招集能力も、勝負にならぬほどに国の方が優位である。この脅威の思いは、国立大学も等しく共有するところだ。個々の国立大学はもちろん、公私立大学を包含した「基準協会」すらもが、国による無言の統制や意向に、いやいやながら(と言えば格好が良いが)、作り笑顔で以て従ってきた歴史を思い起こす必要がある。
 基準協会や国立大学協会を非難しているのではない。両者に所属する私自身も含め、国の機構の動向を息を潜めて窺っているのが事実だ。しかし、今回こそは、のっぴきならぬコトの起こりを待つより積極的に動くべきではないか。原点に戻り、自己の協会の在り方を実行性をもって主張し、国の機構に対するスタンスを明確にし、影響力を発揮すべきではないか。この点においては、基準協会の方が、国大協より一歩先んじていると思うが、いずれにしても、そのためには、両者共、厳しく自己改革を進め、本来持っていた筈の権威と発言力を取り戻さなければならない。「評価」のためには、自大学(自学部、自学科、自己)が、社会的に存在を許されている(とするならば)、その存在価値と理由は何か、あるのならその使命と目標と財務的裏付けは何か、社会へ発信できるのか、と自大学の教官に問う毎日である。


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