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文献紹介「競争社会をこえて」
2001.3.31 [he-forum 1779] 文献紹介「競争社会をこえて」
he-forum ML 会員各位
著者は、アメリカでは無意識に信じられている競争についての4つの考え「競争は避けられないものである」「競争はより生産的なものである」「競争はより楽しいものである」「競争が人格を形成してくれる」が神話に過ぎないと分析し、競争的社会構造を批判し、競争を協力的なものに変える方向を模索しています。以下は、アメリカの競争的な社会構造を協力的な構造に変革することが極めて困難であることを指摘している個所です。この本の趣旨からすれば多少副次的な内容ではありますが、今の日本にも大いに当てはまる普遍性のある内容ですので、紹介します。
なお、今の日本の状況に当てはめるには、冒頭の「現代の社会を競争的でなくしていけるかどうかは、最終的には、構造的な競争をなくしていけるかどうかにかかっている。」を、「現代日本の人々の受動性をなくしていけるかどうかは、最終的には、日本社会の村社会的構造をなくしていけるかどうかにかかっている。」と読み替える必要があると思います(他の読み替えも色々可能と思いますが)。
最後の項5は、独立行政法人化反対者に当てはまると思う人も居るかもしれませんが、大学の村社会的構造を保つための「目くらましの改革」が国大独立行政法人化だと考えるべきではないかと思われます。
辻下 徹
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p323 どのようにして社会の変化を阻止するのか
現代の社会を競争的でなくしていけるかどうかは、最終的には、構造的な競争をなくしていけるかどうかにかかっている。残念ながら、どのような構造的な変化をもたらす場合にも、ものすごい抵抗が予想されるわけであり、それをのりこえていくことがもとめられる。どのようにしたら変化をおしすすめていくことができるのかということよりも、どのようにしたら変化を阻止できるのかということについて述べるほうがずっと容易である。そこで、そのような気持ちをもっている人びとのために、現状を永続させていくための簡単な方法を五つあげてみよう。
1 視野を限定してしまうこと
アメリカでは、これまで長年にわたって、社会の問題と個人の問題がかかえる構造的な原因が無視されてきたということについては、第7章でふれておいた。たとえば、自分たちが心理的な不安をかかえていても、パーソナリティの発達をうながしていく社会的な威力とはなんの関係もないようにとりつくろってしまうために、そのような威力がおとろえずに生きのっていくことに手をかしてしまうのである。その結果、介入が行われる場合には、すべて個人のレベルで行われるべきだとされてしまうのである。たとえば、...(有毒な廃棄物の不法投棄から政府高官の収賄まで)それぞれの組織がおかす犯罪の例をまるで真空のなかでおこったことのようにあつかいつづけるならば、こうした行為をまねくことになったシステムをまんまと生きのびさせてしまいかねないのである。
2 順応すること
現状をそのまま維持していく最良の方法は、ひとりひとりの人間が現状のもとめる要求に確実におうじるようにするということである。...制度の枠内において、既存のルールにしたがって成功しなければならないのである。うまくやるということは、適合するということであり、適合するということは、自分が適合している構造を強化することになってしまうのである。
3 自分自身について考えること
..自分のことだけに関心をもつように限定してしまえばしまうほど、ますますよりおおきなシステムを維持していくのに手をかすことになる。...自分のことはきちんとやり、そのほかの世の中のことはなりゆきにまかせておけばいいのだ。現存する構造を永続化させていくのに、これほどうまい手があるだろうか。たしかに、個人が成長することが社会の変化につながっていく可能性があるのだと論じる人たちもいるだろう。しかし、人間の潜在的な能力を開発しようとする動きがあったとしても、たいていの場合は、この問題にとりくむことをもとめたりはしないだろう。というのは、社会の変化は、人間の潜在的な能力を開発しようとするその目標や手法とはなんの関係もないからである。
4 「現実的」であること
さいわいなことに、よりおおきなシステムを擁護する必要はなにもない。ぎゃくに、システムを非難する人に共感を示しながら同意することもできるのである。しかし、システムを非難する人に同意する場合にも、同時に、肩をすくめてみせることが決定的に重要なのである。おおきな状況の流れにたいしてどうしようもないものだということを強調するためには、「好むと好まざるとにかかわらず」とか、「それがまさに現実なのだ」といったことばをどんどんつかうべきなのである。いうまでもなく、このように無力であることを強調するのは、じつはたいへんな力を発揮する。というのは、このように無力であることを強調すれば、事態が、まさに現在のままの状態に放置しておかれるのは確実だからである。...
ときには、現状に甘んじてしたがうことをこばんだり、変化をおこすには無力であることを認めたがらない批判者がいるものだ。そういう人間には、ただちに「理想主義者」というレッテルをはってやるべきである。理想をもつということが、なにか敬意をはらうべき意味あいをもっているように聞こえるとすれば、それは幻想である。理想主義者というのは、「世の中をあるがままに」理解しない人のことだと考えてかまわないだろう(「世の中」=「現在の社会」、「あるがままに」=「これからもずっとそうである」という意味なのだ)。こうしたレッテルは、その批判者が現実や「人間性」をあやまって理解しているということに気づかせてくれるし、批判者のいうことをまじめにとりあげる必要がないこともうけあってくれるのである。反対に、「実利主義的な」人びとは、いつも、現実にあたえられているものの枠内でなんとかしなければならないのだということを承知している。いずれにしろ、代替モデルがほんとうに実現可能なものならば、とっくにそれを利用しているはずなのである。
現実主義にうったえるならば、批判者の立場がもちあわせている(したがって、現状がもちあわせている)価値観をめぐるやっかいな議論を避けることができるという利点がある。批判者の見解を「善意なのはわかるが、実現不可能なものだ」として簡単にかたづけることができるとすれば、どうしてこの問題でわざわざ思いなやまなければならないのだろうか。批判者が提案していることがただしいかどうかなどといいだすと、スローダウンさせることにしかならない。ノックアウトしてしまうためには、実際に有効かどうかにうったえてみることである。相手の人間にたいして考えちがいしているとか、不道徳的だといってしまうと、そのあとでながながと議論しなければならなくなる。夢想家だとか、純朴だといってやれば、相手の人間もそれ以上はなにもいえないだろう。このように、変化のモデルをしりぞける方法は、抜群に効果がある。なぜなら、この方法は、自己実現的な予言を行ってくれるからである。おおくの人びとが代替になるとする仕組みがきちんと機能しえないものだと主張するとすれば、その人たちのほうがただしいのである。だから、代替になるとされる仕組みが挫折しようものなら、そのことをひきあいにだして、昔ながらの懐疑主義が実証されたのだということもできるわけである。公的な制度にたいして懐疑をいだく政策立案者ほど巧みにこうした策略をもちいることができる人はいない。彼らは、政府がただしいことなどするわけがないと確信しているため、資金を公立学校や病院からほかのところにまわしてしまう。その結果、当然のことながら危機が生じると、「それみたことか」というのである。
現実主義にうったえていけば、社会の変化を助長してしまいかねないような制度(たとえば立法部、大学、マスメディアなど)を、現状を反映するだけのものに確実にとどめておける。民主主義、正確な記述、公正なジャーナリズムなどそれぞれの名において、これらの制度を骨抜きにし、現存するものはどんなものだろうと、それを永続させるための強力な手段にしてしまうことができるのである。...
5 合理化すること
現行の制度を擁護し、そのことによって利益をえている人びとがあからさまに社会の変化に反対しているときには、批判者がその現行の制度に反対するのは比較的たやすい。こうした批判者に反抗をむずかしくさせ、同時に、自分自身の良心をなぐさめるためには、自分がいまこのようにふるまっているほんとうの理由は「内部からシステムを変化させていく」ためなのだと主張すればいいのである。もちろん、このような言い方をする人たちとおなじように、自分も、実際に変化を行っていくのに手を染めなければならないということはない。反対に、ほんとうはこのことが自分の目標だとしても、社会の構造そのものを問題にしないですむような、ささやかな改革を行うためにだけ働くのもいいだろう。こうした構造の一部に組みこまれることによって、自分の地位をたかめようとする一方で、問題があると確信をもっていえることにたいして自分の才能をふりむけることもできるのだ。(こうした策略のかたちを変えたものが、自分はほんのみじかいあいだだけそうするつもりだといいきることである。たとえば、まるで追い越し車線をはずれて、出口のランプのほうへ車線を横切っていくことが簡単なことであるかのように)。ふてぶてしさをそなえていれば、システムの一員としてくわわることこそ、そのシステムを変化させていくもっとも有効なやり方なのだといって合理化することもできる。こういう論法をうけいれ、その例にならう人びとがおおければおおいほど、そのシステムはますます安定することになる。
第1章 「ナンバー・ワン」の脅迫観念
第2章 競争は避けられないものなのだろうか−−「人間性」という神話
第3章 競争はより生産的なものなのだろうか−−協働の報酬
第4章 競争はもっと楽しいものなのだろうか−−スポーツ、遊び、娯楽について
第6章 相互の対立−−対人関係の考察
第7章 汚い手をつかう口実
第8章 女性と競争
第9章 競争をこえて−−変化をもたらすためのさまざまな考え方
第10章 ともに学ぶ
あとがき
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