独行法反対首都圏ネットワーク


 (3)大学を縛る鎖・競争より さじ加減(3/26)
2001.3.31 [he-forum 1777] 日本経済新聞3/26


『日本経済新聞』2001年3月26日付


特集:教育を問う・第4部 もう一つの社会主義 

 (3)大学を縛る鎖・競争より さじ加減(3/26)


 2004年春、東大に21世紀の先端技術を扱う大型研究拠点が生まれる。照準はナノテクノロジー(超微細技術)のように、異なる領域の一級の技術を集積しないとできない分野にある。


出島だけの実験


 日本でほとんど前例がないのは「大学」の縛りを徹底的に排除すること。学内外からテーマを公募、プロジェクトごとに予算を付ける。組織や国境を超えて異分野の研究者を集め、ノーベル賞級学者にも声をかける。そのために任期付き兼業制や成果連動型の給与を用意する。


 財源はあるハイテク企業創業者の寄付など40億円以上。この仕組みを大学全体に導入すれば、先端的な学際研究が一気に進む。縦割りや年功序列に不満を抱く若手研究者も発奮する。小宮山宏工学部長も「本来ならそうしたい」と話す。それができない。


 大学本体の人事・予算制度の変更には文部科学省や人事院の承認が必要。プロジェクト予算が入っても、制度が足かせになって適材を集められない。新拠点は、大学の他の組織から隔離された「出島」にしかならない。


 国立大学については、外部資金の導入などの自主性を高める独立行政法人化が検討されている。だが、それが実現しても行政のくびきが緩むかどうかは不透明だ。


 「役員には事務組織の長を加えることができる」。2月末、国立大学の独法化調査検討会議。文部科学省が配った試案には、大学の事実上の意思決定機関として役員会を新設するとある。事務組織の長とは同省が多くの大学に送り込んでいる事務局長。出席者は大学の「間接支配」を手放さない布石と受け止めた。


 文部科学省の予算配分や許認可の権限は強大だ。それは時に、「天下り」と結び付いているとみられている。


 数年前、ある国立大教育学部の教授会。議案は定年直前の旧文部省の教科調査官を教授として採用するかどうか。


 「受け入れないと院が立ち上がりませんので」。学部長はこう言い添えた。

この学部は大学院新設を同省に申請、調整が難航していた時期だった。わずかな差の投票で採用が決まったのは「院の認可を有利にするためだった」(出席者の1人)という。


不透明な手続き


 「マルゴウ」教員――。役所と大学関係者しか知らないこんな言葉がある。大学院で論文指導の能力があるとして「合格」のマルが付く教官のことだ。一定数いないと大学院新設は認可されない。通常は博士論文など高い業績が求められるが、「同等の能力」と認められればよい。代表例が教科調査官。旧大蔵省などのキャリア官僚も「銀行行政に精通している」などの理由から「マルゴウ」扱いだ。


 教科調査官や官僚出身の教官に問題があるというわけではない。大学院などの設置審査の手続きが透明性を欠き、大学側の疑心暗鬼を生んでいるのだ。そもそもマルゴウ教員かどうかなど個別の審査に携わる審査委員は、氏名すら公表されていない。文部科学省は、批判に押されて来年度からやっと氏名を公表する。


 「文部科学省と大学はかつての大蔵省と銀行の関係と同じ。教育の供給側の都合が優先し、学生や社会など需要者側の視点に欠ける」。規制改革委員会で教育を担当した大田弘子氏はこう指摘する。


 弊害はいくつもある。


 首都圏の国立大の理系学部。毎春、3年生が研究室のイスをかけてくじやじゃんけんをする。特定の研究室に希望が集中して定員を超えるからだ。外れた学生は他の研究室に回るので、不人気な研究室も自動的に定員を確保できる。定員は動かないのだ。


選別手段なし


 日本のバイオの博士号取得者は年間1100人と米国の約6分の1。学部・学科はいったん認可されれば時代遅れになろうと、自動的に人材や予算が供給される。逆に成長分野の教育研究は後回し。社会主義の旧体制のような資源配分に企業は失望し、「バイオの技術者は海外の大学で探す」(宝酒造)ことになる。


 米国には公立高校にすら、利用者による選別を働かせる仕組みがある。中西部ウィスコンシン州ミルウォーキー市の公立高校。高止まっていた中退率が直近は10.4%と過去10年で二番目の低水準に下がり、州内の学力試験の成績も改善した。


 きっかけは授業料の一部を州で助成する教育券(バウチャー)の利用が急増したこと。公私立を問わず自由に学校を選べるようになり、「選ばれない学校は存続できない」(ジョン・ガードナー教育委員)との危機感から、大学受験対策や外国語教育など教育内容を競い出したのだ。


 日本の大学には国公立・私立を合わせて年間3兆円弱の国費が投入されている。それを需要者の視点から再配分したら……。鎖を断ち切るにはそんな発想も必要だろう。(「教育を問う」取材班)


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