独行法反対首都圏ネットワーク

  「長尾試案」の再検討を求める
2001.3.6 [he-forum 1703]  「長尾試案」の再検討を求める 

                   「長尾試案」の再検討を求める


                                                          2001年3月6日

                              独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局


  国立大学の独立行政法人化をめぐる情勢は緊迫の度を増している。文部科学省の調査検討会議は当初7月に予定されていた中間報告のまとめを、4〜5月の連休前後にも出そうとしている。調査検討会議の4委員会には、それぞれ4名程度の作業グループが作られ、取りまとめ作業を急いでおり、その内容の一部はすでに報道されている。

  調査検討会議の組織業務委員会は、2月28日、学長を中心とする執行機関(役員組織)と重要案件を審議する議決機関(評議会)とに大学組織を区別し、トップダウンの意思決定を容認する試案を示した(『日本経済新聞』2001年3月1日付)。また、役員は大学外からも選考されるという。この文部科学省の方針は、大学を国策遂行のミッション機関に変えようとする極めて重大な問題を含むものである。

  これに対して、長尾真京大総長を委員長とする国大協の設置形態検討特別委員会は、2月7日付で「国立大学法人の枠組についての試案」(いわゆる「長尾試案」)を全国の国立大学に発送した。これは2月22日の国大協第一常置委員会においても報告されている。

  一方、東京大学は、2月20日の評議会において、「東京大学が法人格をもつとした場合に満たされるべき基本的な条件」として、5つの条件を承認した。

  これらの急速な動きは、国立大学の独立行政法人化を巡る状況が新たな局面を迎えたことを示している。現政権は、あくまで行政改革の枠組の中で、国立大学の独立行政法人化を強行しようとしている。

  こうした状況の下に出された「長尾試案」は、国立大学全体の意思表明の基礎となるものとしては多くの問題を含むものである。私たちは、国大協が「長尾試案」について各大学の意見を集約し、それらの意見を十分に反映した「枠組み」を新たに作成すべきであると考える。

一、「長尾試案」は国大協総会の確認を踏まえるべきである

  「長尾試案」第3項は、国立大学法人法を「独立行政法人の基本的枠組を参考にして作る」としており、既存の独立行政法人通則法の立法趣旨と内容を模倣することを言明している。これは、国大協の従来の立場や、昨年6月の国大協総会の確認(「すでに法制化されている独立行政法人通則法を国立大学にそのままの形で適用することに強く反対するという姿勢は維持され、今後も堅持されるだろう」)と抵触するのではないだろうか。

  二、独立行政法人の骨格的なシステムを容認するべきではない

  「長尾試案」が、法人設置にあたって、いわゆる「直接方式」を採用すること(第2項)、「経営と教学の一致」(第4項)など、国立大学法人を独立行政法人と区別しようとしている点は評価できる。

  しかし「長尾試案」には、(1)中期目標・中期計画の策定(第9項)、(2)計画の達成度に応じた大学評価(第10項)など、独立行政法人の骨格となるシステムを踏襲するという問題点がある。

  中期計画・中期目標については、「数年の期間」という曖昧な表現を使って、三〜五年より長期を念頭に置いている。だが、この点はすでに文部科学省の調査検討会議の作業グループ案として六年という期間が提示されている(『東京新聞』2月22日付)。ここには文部科学省が独立行政法人のシステムを維持しながら、若干の期間増によって妥協を図ろうという意図を見て取ることができる。

したがって、「数年の期間」が何を意味するのか、具体的に示すべきである。

  評価については「大学評価・学位授与機構などの機関による多元的評価」を謳っているが、この点についても問題が多い。すでに国大協は、昨年9月20日に大学評価・学位授与機構に対して、その関係が「一方的なものであってはならないにも関わらず、その配慮が必ずしも十分でない」ことを抗議した経緯が存在している。また、現在、国大協第8常置委員会で評価問題の検討が行われている。「長尾試案」は、大学評価・学位授与機構が、大学に対して「権力的関係に立つ」危険性を直視すべきである。ことは学問の自由・大学の自治に関わる本質的な問題である。

  文部科学省の調査検討会議は、評価結果について「大学の活性化に資するような方法で次期目標計画における予算配分に反映させる」と述べており(『東京新聞』2月22日付)、評価と資源配分の連動という姿勢を示している。また、中期目標とは別に「長期目標」を定めるとも述べている。これらは、一方で評価を資源配分と直結させて大学の「選別と淘汰」を図ろうという自民党提言の基本路線に沿ったものであり、他方で大学の要求に対しては「長期目標」の設定によって妥協を図ろうとしたものと見ることができる。

三、学長は学内選挙で決め、評議会等は最高意思決定機関であることを明言すべきである


  「長尾試案」は第8項で、学長の選考にあたっては、「運営諮問会議の意見を聞いて」「評議会が行」うとしている。これは、現行の直接選挙による学長選出方法を放棄しようというのだろうか。運営諮問会議が学長選考にあたって意見を述べることは、自民党提言にみる「タックス・ペイヤー」たる者の参加など、現行の学長選挙への攻撃に屈することにつながる。大学は、学問研究と教育の組織として、一個の自律的、自治的組織であらねばならず、その長は自ら選出するものでなければならない。

  また第6項では、評議会、教授会の位置付けを、双方とも「審議機関」としている。これは、従来から大学の自律的運営を保障してきた制度に決定権を与えないことを意味するのであろうか。ここは、大学、部局の最高意思決定機関として明確に認めるべきである。

  大学が自律的に、構成員の自治に基づいて運営されるためには、意思決定の機関は、現状では評議会であり、部局教授会である。この機能を失ない、かつ外部の意思決定に従う存在となれば、大学は自らを運営する自治の主体ではなくなり、大学の本質的機能を放棄することになる。

四、「長尾試案」は教育公務員特例法について明言すべきである

  大学教職員の身分に関して、「長尾試案」は「教育公務員特例法の精神を生かし、勤務条件等の弾力化をはかる」(第14項)とし、教特法自体を維持するのか不明確な態度を取っている。ここでは、教特法を維持することを明言すべきである。また、「長尾試案」には、大学運営の自律性という点からも、教育・研究機能に果たす役割という点からも決定的な重要性を持つ、職員組織・職員人事の問題が欠落している。この点の検討は是非行うべきである。

五、「長尾試案」は財政・会計の分析を行うべきである

  第11項は、国に対し「運営経費および施設整備費の負担」を求めているが、そもそも高等教育に対する財政支出の拡充の問題に触れていない。また、大学の財務運営の自律性の拡大についても、「余剰金の留保と基金への組み入れ」が述べられているだけである。独立行政法人通則法にある「企業会計原則」をどう考えるのか、また、独立行政法人会計基準に代わる新たな会計基準について分析すべきである。

  そもそも行財政改革の文脈で出された国立大学の独立行政法人化の問題を検討するためには、国家財政の現状と展望、高等教育の社会的位置についての真摯でリアルな分析が必要である。


六、現状分析に基づいた議論を求める

  私たちは、現在、国大協が国立大学の改革について語ろうとするなら、以下の諸点が必須であると考える。

  (1)現行の国立大学制度の問題点について、本格的な現状分析に基づいた提言を行うべきである。その分析を前提として、大学が大学であるために必要な基本的要件とは何かを提起すべきである。その結果として、設置形態や法人格の議論が生まれるものであり、現在の国大協の作業は順序が逆である。

  (2)設置形態についての議論は、文部科学省の調査検討会議とは別個の立場で行うべきである。この点で、特別委員会と調査検討会議の双方に参加しているメンバーの責任は重要であると言わねばならない。

  (3)かりに「国立大学法人」を希求するなら、それは独立行政法人とは全く異なるシステムでなければならない。また、大学が自律的に運営される自治体であるための諸条件が保障されるようなシステムでなければならない。この場合、法案を含めた検討を行い、その過程を公表すべきである。

  (4)国立大学の組織・運営構想に関しては、トップダウンではなく、ボトムアップのネットワーク型の組織という大学本来が持つ性格に立脚したものにすべきである。そのさい、教員のみならず、職員の役割、学生・大学院生など諸構成員それぞれの立場を尊重すべきである。

  (5)自民党提言の言う「再編統合」「選別と淘汰」とはっきり対峙し、地方国立大学の果たしている重要な役割に立脚した、大学システム全体の展望を示すべきである。

  国大協は、国立大学全体の連合(Federation)として極めて重要な役割を担っている。ここでの決断は、ひとり国立大学のみならず、高等教育全体に大きな影響を及ぼすことを自覚しなければならない。独立行政法人化への対応という観点からではなく、学問の自由・大学の自治という根源的視点からの検討が求められている。「自主性・自律性」は、「法人格の取得」によって自動的に「高まる」(第3項) ものではない。自ら高め、獲得するものなのである。


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