独行法反対首都圏ネットワーク


佐々木毅「東大はこう変わる  大学らしい大学を目指して」
2001.4.6 [he-forum 1794] Ronza 2001/05


『論座』2001年5月号

佐々木毅「東大はこう変わる  大学らしい大学を目指して」
(前略)


  いま文部科学省で作業を進めている国立大学の独立行政法人化(独法化)の問題に関しては、学内の検討会議でも報告書を出したばかりで、私自身はまだ白紙状態です。
  しかし、そもそも論で言えば、この独法化というのは規制緩和なのかどうかです。
  今まで出ている話を聞くかぎりでは、少なくとも大学のほうから見れば独法化は国立大学を役所等がコントロールしようという話でしょう。役所が大学に指揮命令するという枠組みはそもそもいい話なんでしょうか。
  役所というもの自体も今、苦戦しているセクターでしょう。そのセクターの指揮命令下に置かれることが、大学にとって名誉な話なのか、ということについて国民の意見をうかがいたいのです。これが一つの疑問です。
  そもそも独法化は行革との絡みで公務員の数を減らそうということで出てきた話だと思うのです。したがって、基本的に大学のあり方から出発した議論でないことは言うまでもありません。そこに基本的な問題があります。
  また、そもそも行政改革との関連で話が出たことも難しいものを内包しています。独法化も省庁再編と同様、ある時期に生まれたスキームが実際に実施されるときには、「まだその程度のことをやっているのか」という話になるのではないか、と私は恐れています。それで、その時になって「また、変えろ」ということになる可能性は、十分にあると恐れています。こうした諸事情がありますから、「とにかく決まったんだからやりますよ」という言い方だけでは、なかなか大学の中を納得させることは難しいと思います。また、それによって本当に国立大学が活性化するのかという基本問題もあります。複雑な課題を抱え込むような仕組みを作ってみたところで、大学のエネルギーをただ消耗させるだけで、何のためにやったのかわからない、という結果になる恐れがあるわけです。独法化問題は議論が独り歩きしているようになってしまっているのではないか、というのが私の実感です。


独法化問題で消耗する国立大学


  二十一世紀の日本をどうするかと考えると、今ある資源をどう有効に利用するかということが大事だと思いますが、せっかくある資源、つまり今の大学の資源を消耗させるような話にならないようにしてもらいたいものです。
  ここ数年、国立大学はこの問題が起こったために消耗しつつあるのではないかと思います。時間は決して中立的なファクターではありませんから、その影響は無視できません。おそらく何年もかけていじくりまわしているうちに、いいものも腐ってしまうでしょう。そうなった時の負担は国民に回されるわけです。そういう意味で、政策当局がどのような大局的な感覚でやっているのか、私には見えてこないのです。
  この際、大学が独立した法人格を持つことと独立行政法人になることは別の話だということをはっきりさせたほうがいいと思います。独立した法人格を持つこと自体には東大の中でもそれなりの支持はあるし、法人格を持ったほうがいろいろメリットがあるという意見もあります。しかし、いま言われているような行政法人とここでの独立した法人格とは別のものです。だから、先日学内の検討会議が出した報告でも、「独立した法人格を持つ場合の条件」という書き方をしているわけです。独立した法人格を持つことについては、新たな議論はいくらでも可能です。もちろん、これから東大としては自分たちは独立した法人であるという意識を持ってやっていかなければならないのは自明のことです。
  いずれにしても、独法化問題は大学の運営に必要な財政的サポートなどがどれだけ与えられるかなど財務の問題がはっきり見えてこないと本格的な議論はできないというのが今の雰囲気だた思います。
  もっと大胆にスピーディーに改革できないのか、という声もあるかもしれません。しかし、よくも悪くも大学というのは穏やかに変わる組織なんです。指揮命令で動く世界ではない。学年ごとに一年単位でしかものごとが動かないのです。役所や企業のほうがもっとドラスティックに変われる組織のはずなのに、なかなか難しいと思われます。

(後略)

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