『朝日新聞』2001年3月21日付夕刊
迫る独立行政法人化 欧米の美術館・博物館と比較して
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現状維持路線 議論少なく理念持てず
欧米館と日本館の規模の違いは、簡単に埋まりそうにない。日本の国立美術館・博物館計七館の職員の総数は三百三十四人。それを聞いてニューヨーク近代美術館のグレン・ローリー館長(四六)は笑い出した。「どうやって運営するのか、教えてほしい」。同館の職員は六百人。学芸員だけで四十五人もいる。ルーブル美術館の職員は二千人。大英博物館で千人。ロンドンのナショナル・ギャラリーが四百五十人。メトロポリタン美術館はフルタイム千六百人、パートタイム七百人。比較的日本に近い形のオランダでも、ライクス・ミュージアムだけで四百人―。
学芸員の数はもちろん、教育、広報、保存・修復、展示デザイン、警備など、必要なスタッフが少ないことを日本の美術関係者は問題にしてきた。欧米では、人類の遺産を守るためには、これだけの数が当然必要という考え方が根底にある。
こうした規模の違いには手をつけずに、日本の「独立行政法人化」は進んだ。九七年末に「行革会議」から発表され、九八年七月から昨年一月まで、有識者八人でつくる「国立博物館・美術館に関する懇談会」が六回開かれた。
論議は必ずしも美術界全体のものにはならなかった。日本における「美術」の諸制度などに詳しい美術評論家・北澤憲昭氏(四九)も「僕ら自身の責任でもあるが、近代の産物である美術館・博物館の存在自体を根底から問うことがなかった」と反省し、批判する。
オランダでは八八年に会計監査院が「国立美術館は効率的に運営されていない」とする報告書を出したのに端を発し、「国立のままでの自立」か「国からの独立」か、などが検討され、国からの独立が選ばれた。試行を重ね、九四年から九五年にかけて段階的に実施された。
ライデン民族学博物館長S・B・エンゲルスマン氏(五一)は「何度も国と相談した」と振り帰り「政府からの援助金を、少し上げるよう現在も闘っているけれど、自立化、民営化自体はベリーグッドだ」と評価する。だが、「シーボルトが作った博物館の十三代目館長」と自己紹介する知日派の氏は「自分の知る限り、日本の美術館関係者で今度の独立行政法人化に賛成している人はいなかった。ちょっとでも不明確な点があったら絶対にNO!と言うべきだったのに」と残念がった。
その「不明確な点」が日本では、いくつか残っている。収益があった場合、次の予算で国からの運営費交付金が減額されるのかどうか、などの点である。
東京国立博物館の本館で、五月末の二日間、イタリアの人気服飾・皮革ブランドであるグッチのファッションショーが開かれる。同館とグッチの共催で、グッチ側は会場として使う金額を寄付の形で支払う。そのようにして、収入を増やそうと張り切る西岡康宏次長(五九)も、「五年後の中期計画の評価の際、収入をあげていたら、次からは運営費交付金を減らされるのでは意欲を持ってやる気がなくなる」と気をもむ。
だが、文化庁長官官房政策課の宮内健二・課長補佐は「剰余金の積立金が生じた場合、通常、運営費交付金を減額することにはならない」という。ただし、「どんな場合でも百%とはいえない」ともいう。法律の条文には、交付金についての規定はないため、博物館や美術館内部では「このご時世だから、減らされるのではないか。そもそも『効率化』『人減らし』で始まった独法化なのだから」といい、現場は混乱している。
一八七二年に文部省が東京・湯島の大成殿に「博物館」を開館したのを出発点とする日本の博物館・美術館。経年疲労があったことは確かだろう。
変革を期待していた人も多かった。東京大学総合研究博物館の西野嘉章教授(四九)も「千載一遇のチャンスだったのに」と残念がる。「懇談会」のメンバーだったが「初めに『独法化』ありきという雰囲気で進められた。それならばということで、七館一法人にして人員の再配備をすることや統一ロゴなどのコーポレート・アイデンティティ、会計の一元化などを主張した。だが、なぜか最終的には、現状維持に路線が変わり、小規模の変更にとどまった」。これに対して文化庁は、「懇談会のご意見をふまえて、行政的に検討した結果だ」という。
あいまいさや、関係者の不満を残しながらも実施に進む独法化について、この春、二十五年六カ月勤めた東京国立近代美術館の主任研究官を辞して、中部大学教授になる美術評論家の千葉成夫氏(五四)は「独立行政法人になると、予算の繰り越しができるのがメリットといわれるけれど、実際の手続きは複雑で、うまくできるかどうか疑問だ。結果的に、研究機関の機能は縮小し、展覧会屋さんになるのではないか。文化が精神的なものであるということが薄れ、商品としてだけ位置づけていくことになり、長期的には創造的でなくなる」と危惧する。
欧米各国のまねをする必要はないが、寄付という慣習を含め、生活の中に美術が根付いている姿に学ぶべき点は多い。また、今後「国」を超えた人類全体の文化遺産、公共の財産の国際交流はより進むだろう。そうした中で、日本の美術館・博物館の将来像がどうあるべきかという共通の理念を、今回の独立行政法人化は持てないまま、「現状維持路線」に落ち着いてしまったのではないか。その影響は早晩、地方にも及ぶだろう。それは文化の衰退にもつながりかねない。
(文と写真、編集委員・田中三蔵)