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文部科学委員会第三回(2001.2.27)議事録:国大独法化の質疑応答
2001.3.14 [he-forum 1722] 2/27 文部科学委員会議事録より:国大独法化の質疑応答
文部科学委員会第三回(2001.2.27)議事録(252K,
約12万字)からの抜粋
---転載始---
[1]藤村委員 民主党の藤村修でございます。
[1-1]町村大臣におかれましては、きのうは朝早く大阪で、オリンピック、IOCのメンバーの歓迎のセレモニーでごあいさつもいただいて、またあしたは歓送の方に、ぜひとも時間をつくって何とか行っていただきたい。本当に御苦労さまでございますが、北京も一生懸命、日本も、大阪も一生懸命にこれはおもてなしをするということ、本当にこの機会しかどうもなさそうでございますので、ことし七月の招致先決定に向けて、引き続きの御努力をぜひともお願い申し上げたいと思います。
[1-2]さて、私はきょうは、全般的には初等中等教育の問題が多く出ておりましたので、観点を主に高等教育に関する事項ということで、大きくは二つ質問をさせていただきたいと存じます。
[1-3]それで、まず最初には、国立大学の独立行政法人化に関する検討の現状、こういうタイトルで通知しましたその中の三つの順番をちょっと変えて恐縮ではありますが、まずはそもそも論というところから大臣の所見などをお伺いしたいと思います。
[1-4]昭和二十四年、いわゆる今の新制大学ができた。そして、これはGHQのもとの民間情報教育局、CIEから相当ないろいろな指導もあった中で、例えば一府県一大学などという割に基本的な大きな原則があったりして、しかし、それを日本側の当時の文部省の中でも検討した結果として、相当短い期間に、それも戦後のまだ復興間もないころに、何と昭和二十四年、一斉に全国で六十九の国立の新制大学がスタートしたわけでございます。
[1-5]それで、国立大学というのは、当時というか、今もそれは多くは共通するのでしょうが、その経費の大部分を国庫から受けるものとして、そして国民の一般、専門教育、職業人、専門人の養成、基礎研究及び応用研究などとした目的を持ってスタートいたしました。また、私学の多くが都市にどうしても集中しているということもありまして、一府県に少なくとも一大学以上という方針、それを当時の文部省が認可をして六十九になったわけですが、それは教育の機会均等を目指したということ、これらのことを過去の資料から認識しております。
[1-6]私自身も地方の国立大学でありまして、昭和四十四年の入学ですが、大臣と余り変わらないかもしれませんが、何と授業料が一カ月千円でありました。当時、私立の幼稚園が多分二千五百円、三千円でしたか、それよりもうんと安い。それは、貧しくてもやる気があればという教育の機会均等の分野もあったわけであります。
[1-7]そういうころからもう半世紀、五十年を経ました。そして現在、言ってみれば、交通はもう戦後のその時期からいえば飛躍的に、日本じゅうある意味じゃもう本当に短い時間で移動ができるという交通網の整備、あるいは情報通信、これはまた驚異的な発達であります。あるいは、何よりまたその間に、私立大学そして地方の公立大学も含めた大学の激増ということがいいのかどうか、とにかくたくさん大学はできてきた。そして、大学進学率のまた飛躍的な向上ということで、まさに今や大学というのは大衆化時代を迎えている。
[1-8]そういう現時点において、昭和二十四年の当時から半世紀を経たこの時点においての国立大学の役割あるいは存在理由というのをどのように考えているのか。非常に基本の問題ですので、まずお答えを願いたいと存じます。
[2]町村国務大臣
[2-1]先ほど、むしろ委員の方から、戦後間もなく発足した国立大学の意義、役割というものについてお触れをいただきました。そのとおりだろうと思います。現在もなおかつ重要性といいましょうか、意義は、当時と全く同じ部分があります。
[2-2]例えば、研究あるいは研究者養成という面については、国立大学はやはり主要な役割をいまだに相当程度担っております。特に人材養成に、一人当たり大変コストがかかります理工系の人材の養成、この辺はどうしても国立大学に依存せざるを得ないという部分があろうかと思います。
[2-3]それから、確かに私立大学あるいは公立大学、県立大学等々ができておりますから、各県一大学という部分は若干意義が薄らいできたかとは思いますけれども、それにしても、やはり依然として地域の活性化に向けての貢献という役割もあろうと思いますし、さらには、これだけ、五割を超したからもうその辺の意義は薄らいだとはいうものの、一定程度はやはり機会均等への貢献という役割もあるのだろうな、こう思っております。
[2-4]これから先どういうことになるかというのは、またよく考えてみなきゃならないと思いますけれども、今申し上げたような幾つかの理由は、今日もなおかつ有効な存在を説明する理由になっているのではなかろうか、こう思います。
[3]藤村委員
[3-1]町村大臣、今御説明の中で、割に薄らいできたとか、でも今でも、やはり五十年、半世紀の年月を経たというのは、それはほかの議論でもよくされますよね。町村大臣は、例えば教育基本法についても、五十年たった、当時の社会情勢と今では大きく違う、子供をめぐる環境も大きく違う、教育環境も全然違うという言い方ともし共通して言うならば、いわば国立大学をめぐる環境も五十年、半世紀を経たこの今、さっきいろいろなことを幾つか例示しましたが、相当違うわけです。もちろん、その中に今でも意義のある、でも大分薄らいできたなとおっしゃったわけですね。
[3-2]そういう意味では、そもそも国立大学、当時六十九であったのが今たしか九十九ありますね。その間ずっとふやしてきたわけですが、この九十九国立大学全体について、一つ一つ一遍見直すような時期に来ているのではないか、そういう一つの原点に戻った認識のもとに独立行政法人化というものも考えていかねばならないと私は思うのです。
[3-3]そこで、平成十一年四月の閣議決定で「国立大学の独立行政法人化については、大学の自主性を尊重しつつ、大学改革の一環として検討し、平成十五年までに結論を得る。」とされました。ここで、その後の検討というものについて、現時点で町村文部科学大臣の独立行政法人化についての見解をお聞かせいただきたいと思います。
[4]町村国務大臣
[4-1]前段のお話で、国立大学の役割、おっしゃるとおり、やはり相当変わってきているとは思っております。有効な部分、意義が薄らいだ部分は相当あります。特に、例えば一県一国立大学というのは、これだけ今児童生徒数が減っているにもかかわらず、県立大学というものをさらに新設する動きがあるというのは、正直言って、私はいかがなものかとさえ思っておりますが、それぞれの首長さんのお考えで新しい県立大学あるいは市立大学ができてくるという状況の中での国立大学の位置づけというのは、確かにいろいろ考えなきゃならないと思います。
[4-2]例えば、教員養成の大学というものもあるわけですけれども、現実にこれだけ教員として採用される数が減ってきているときに、これだけの専門の教員養成大学あるいは教員養成のための教育学部というものが必要なんだろうかどうだろうかというあたりも当然見直さなきゃならない。
[4-3]私は、国立大学の関係者の皆さん方には、これだけ国際競争が行われている時代なんだから、国立大学といえども未来永劫存続できるものではない、納税者の立場から見て存続の理由がないものは、国立大学といえども存続し得なくなる事態が当然あり得るという話をして、皆さん、一生懸命大学改革に取り組んではいただいておりますけれども、大学改革への取り組む姿勢というものは、学校によって相当差があります。
[4-4]それは、学長のリーダーシップの差もあると同時に、個々の学部の状況、あるいはその学部に属している教授あるいは助教授の考え方が、全く現状維持のままでいい、改革、一体どこの世界の話だと言わんばかりの反応をするような大学も、あるいは個々の先生もいらっしゃるわけであります。私は、そういうのを見たときに、およそそういう自己改革努力をする気のない大学は、当然廃校されてしかるべきとさえ思っております。しかし、大なり小なり一生懸命大学改革の努力をやっていることも事実なので、それはそれとして大切にしなければいけないと思っております。
[4-5]そういう中で、大学の活性化あるいは国際競争力を強化するための一つの方法として、独立行政法人化の話というのがあり得ると思います。先ほど御指摘のあった閣議決定を受けて、今いろいろな検討が進んできております。各国立大学長との意見交換を経まして、昨年の五月の国立大学の学長会議では、まず独法化をする方向で検討に着手するということが決められまして、さらに今、調査検討会議というのをやっておりまして、十三年度中に取りまとめをお願いするということを文部大臣から説明をいたしました。
[4-6]昨年の七月に調査検討会議がつくられまして、現在四つの柱に分けて、四つのテーマでその中の委員会がまたできております。例えば、独法化後の組織とか業務というものはどういうものなのかという委員会、あるいは目標を立ててその目標を評価するということがあるものですから、目標評価委員会というものができております。あるいは、人事のあり方というものも相当変わってくるはずですから、人事制度委員会というものもありますし、今までの国の全面的な補助という姿から財務のあり方というものを、単年度主義を見直すとか、いろいろなやり方が変わってくる、そういう意味での財務会計の委員会。四つの委員会に分けて具体的な検討が進んでおりまして、ことしの夏から秋ごろまでには中間まとめをしていただきたいな、こう思っているところでございます。
[5]藤村委員
[5-1]前段でおっしゃったことは非常に重要なポイントを含んでおりまして、努力をしない、あるいはある意味では存続意義のない国立大学は廃止するというお考えを示されたわけですね。その後段では現時点でのお話を伺いました。昨年五月の二十六日に、国立大学長・大学共同利用機関長等会議における文部大臣説明ということでその趣旨が述べられて、このときは中曽根大臣だと思います。
[5-2]そこで、町村文部科学大臣になって、今前段でおっしゃったようなことも一つお考えの中にあるとすれば、私は、冒頭でも言っておりましたけれども、新制の国立大学発足から半世紀を経て、日本の経済あるいは社会情勢の大きな変化や国際環境、国際関係などの劇的な変容の時代に、国立大学そのもののあり方をある意味では一度白紙で考え直す必要がないものかどうか、つまり、今現在九十九の国立大学一つ一つについて見直すことから始める必要はないのかなという疑問を持つわけです。
[5-3]どうも九十九の国立大学は、国大協という大学間の組織があって、これはまさに護送船団方式じゃないでしょうか。ところが、今やかつての護送船団方式でやってきたことは大きく失敗したわけです。銀行にしても証券にしても、生保、損保にしても、つぶれることがないと思っていたところが、今つぶれたり合併したりしているわけであります。そういう大きな、劇的な今の社会情勢の変容の中で、国立大学九十九を一括して独立行政法人化の議論に導いていくというのはまさに護送船団方式ではないかということを一つ指摘したいわけでありますが、御意見ございましょうか。
[6]町村国務大臣
[6-1]藤村委員の御指摘、私も賛同する部分がかなりあります。したがって、本当に危機感がない大学はあるのですね。驚くべきことだと思います、おれたちは国立なんだから絶対つぶれないと。
[6-2]しかし、これは、私がつぶすとかつぶさないとか、そういう僣越な話をするのではなくて、まさに納税者が、そんな大学に税金を使うことはまかりならずという声が実はあるわけですね。そういったことをやはり危機感として大学関係者はまず持ってもらって、今、自己改革努力というものを迫っているところでございます。
[6-3]しかし、恣意的な判断もどうかということで、今度は大学を評価する機関というものもできましたし、これによって自己評価あるいは第三者評価というものをやり、そういう評価の積み重ねの中から、なるほど、これはもう存在意義がないということになれば、それはやはり廃止するしかないのだろうと思います。
[6-4]そういう危機感のあらわれなのでしょうか、現在、いろいろな大学間での統合とか再編成とか、実際どこまでそれぞれ進むかどうかわかりませんけれども、幾つかの、同じ県内あるいは同じブロック内での再編統合というようなことも現実に検討がされ始めているところでございまして、こうしたことなどは、私は大変いい動きだと思って歓迎をしております。
[6-5]いずれにいたしましても、個々の大学の存在、あるいはそれぞれの大学の中にある学部、学科等々が本当に社会的存在の価値があるかどうかということについては、やはり十二分の自己検証と同時に、第三者による評価、検証というものが行われなければならないだろう、こう思っております。
[6-6]ただ、なかなか大学で難しいのは、世の中に受け入れられやすいITとかこういう分野だと、みんな、そうだそうだ、こういうことになるのでありますけれども、例えば、大変地味で社会的には余り目立つことは少ないけれども、しかし長い目で見ると大変有意義な学問をやっている、研究をやっているというところもありますので、その辺をどう冷静、客観的に実務評価をしていくのかというあたりもやはりあわせて考えていかなければならないので、一概にそのときのファッションというか、そのときの非常にニーズが強いところだけで考えてもいけないというのもまた一面の事実であろうかとは思っております。
[7]藤村委員
[7-1]私もそういう考え方で、ぜひ、去年の五月二十六日の文部大臣説明に余りこだわらずに、やはりここは、まさに世紀がかわりました、あるいは文部科学初代大臣でありますから、相当柔軟に考えていかないといけないんじゃないか。
[7-2]つまり、九十九の今の国立大学を一括で独立行政法人化に向けて検討し、十三年度内に中間報告でそれなりの結論をなどという仕組みでなしに、ある意味では、今ちょっと進み始めたとおっしゃった、こことここを統合して一つの大学にするという話は少し今聞こえてきていますよね。あるいは、こことここはもうある意味では役割を終えたのではないか、そういう見方も一つあるかもしれませんし、場合によって、こことここについては私立大学化に向けてひとつ検討に入ってもいいんじゃないか。あるいは、地方立といいますか、都道府県が、ではぜひそれをよこせというふうな、つまり九十九護送船団一括方式ではなしに、相当これは一つ一つの大学を検証しながらやれる、あるいはやらねばならないと私は考えます。
[7-3]特に、独立行政法人にしてしまいますとできませんよ。今は文部科学省直轄の機関ですから、むしろ今ならできる、あるいは今から五年ぐらいの範囲ならできる、こういうことでありますので、新しい世紀を迎えて、新しい文部科学大臣、町村大臣には少し柔軟に考え始めていただいて、今の九十九全部がいわゆる国立大学法人などということにならないようにぜひともしていただきたいなということ、これは答弁は結構ですので、要望だけにさせていただいて、きょうはちょっと短い時間で一つだけ、頭出しをしないといけないものですから。
---転載終---
辻下 徹