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池田浩士(京都大学)氏の見解
2001.2.2 [he-forum 1609] 池田浩士氏の見解
池田浩士(京都大学)氏の見解
国立大学「独立行政法人化」がもたらすもの
HP 京都大学を池田浩士が代表して話をしろなんていうのは、これもムチャクチャな話・・・
池田 ムチャクチャですね(爆笑)。
HP はい。ただ、京都大学が日本のアカデミズムの中で非常に強力な一角を占めていることは揺るぎない事実であるわけですよね。それで在日外国人学生の入学許可問題についてはお話いただいたのですが、そして別に京大の差別問題、セクシュアル・ハラスメント問題とか絶えない差別落書き事件云々ということではなくてもですね、現在京大が向かおうとしている問題で、「ここが一番問題で、これはこうすべきである」とか、そういうサジェスチョンとか何かおありになりますか?
京大なり国立大学の問題は、外部の人間には目に見えない問題が交錯していて、非常に分かり難いということもあると思いますので。
池田 それはね、僕は「こうしたら京都大学が良くなります」っていう風に、京都大学に良い大学になって欲しいとは全然思っていなくて、そもそも大学解体っていう・・・
HP 先生、まだそんなことを。もう32年間もここで働いてこられたんですよ(笑)。
池田 解体しようと思って、解体できなかった(笑)。それは冗談として。おっしゃったことは、非常に、とてもよく分かります。それで僕はね、一杯言いたいことはあるし、やらなければいけないことも一杯あるんですけれども、一番僕が今危機感を持っているのは・・・
これは、誤解しないで欲しいんですけれども、いわゆる(国立大学の)「独立行政法人化」に反対するという脈絡でこれを聞かないで欲しいんですよね。つまり、独立行政法人化になったら必ずこういうことが起こるから、だから独立行政法人化にも反対しているんだ、そういうベクトルで聞いていただきたい、独立行政法人化に反対するために今これを論じているのではない、ということ。
HP 分かりました。
池田 僕は京都大学に対する愛校心みたいなものは、多分一番希薄な人間だと思うんですけれども、でも他の人から見たら「おい、池田。お前は何ていうことを言うんだ!」と思われるかも知れないんだけれど、ちょっとはマシだと思う部分がかつては少しはあった、と思っているんです。今でもそう思っています。どういうことかと言うと、「効率」っていうのかな、「業績」とよく言いますね、それを第一の大事なものとしない部分が生きていたっていうことなんですね。
簡単に言うと、例えば文学部は全部改組されましたけれど、改組される前には「梵文学」なんていう専攻があったわけですよ。そんなところは何年に一人しか学生が来ないわけね。これは税金を払っている人から見ればケシカランと思うかも知れないけれども、そういうところがあったわけです。で、そういうところ、つまり「役に立たないもの」、「無駄なもの」を割と許容していた大学だったという点が良い、と僕は思っているのね。だから、僕みたいなヤツも許容してもらった、ということを含めてですね。
現在取り沙汰されているの独立行政法人化の場合であれば、「5年ごとに業績の検査をして業績が上がっていなければそこは潰す」とかになるけれども、かつての京大にはそういう効率を度外視する余地があったということです。
今の京都大学の場合、工学部が異様に肥大化してしまっていますね。学生だって半分近く工学部です。教官でも半分近くがそうです。ハイテクノロジーに関わる分野の発想が、さっき言った梵文学のような分野の領域を呑み込んでしまう、という風になっているわけ。そうすると、本当にテンポが遅い人とか、テンポが遅くならざるをえないような分野の研究者や学生がほとんどいる余地が無くなってくるんですよね。
で、こんなことを言うと税金を払っている人に本当に失礼で、何ていうことを言うかって思われるかも知れないんだけれども、例えば小学校や中学校で「落ちこぼれ」といわれる子供たちがいる、と言われていますよね、国立大学に入って、大学の研究者になって、それで落ちこぼれなんてケシカラン、許せないという見方もできるし、僕もある程度そう思います。そう思うんだけれども、やっぱり子供にしたって「落ちこぼれ」ても、人間として劣っているということでは決してない・・・つまり、あるシステムの中で効率とされているものを発揮できないということであるわけだから。
そうすると大学にも今の国策から見たときには、「落ちこぼれ」としか見えないやり方でのみ研究可能な分野と関わっている研究者や学生がいるセクションというものが当然あるわけです。で、そういうセクションを今や許容することができなくなっているし、独立行政法人化されたら完全に無くなります。ある意味で、生き残るために大学が自主規制で先取りしていますよね。効率を上げるということで。
京都大学は解体された方がいいし、日本という国家は滅びた方がいい・・・国家が滅びる、これは夢ですけれども、実は僕はそう思っているんですが、そういうためには逆にいいと思っています。京都大学も日本も「りっぱ」になる必要はないからね。効率、効率とか言ってて、そのうち「あっ!」って気が付いたときにはもう手遅れになって後戻りがきかない。何十年もの蓄積が必要なものを潰してしまうわけだから。丁度一度田んぼを潰したらまた米を作るのが大変なようにね。取り返しのつかないところに日本という国家は行っているんだなぁと思うので、これはメデタイことだと思うんですけれども、でもちょっと寒いですね、本当にね。
大学の中から見るとそう見えるんだけれども、実は社会全体がそうなっていると思うんですよ。効率と結びつかないものをすぐに切り捨てる、そういうものがもう生きられないようになってしまっている。これはもう誰もが実感していることですよね。さっき僕がIT革命云々が怖いと言ったのは、そういうことでもあるんですけれども。