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産学連携で経済活性化を図ろう 広島都市圏編(5)
2000.1.7 [he-forum 1556] 中国新聞1/6
『中国新聞』2001年1月6日付
産学連携で経済活性化を図ろう 広島都市圏編(5)
広島市内にあった広島大が東広島市に移転して六年。今でも「広島市は大きな財産を失った」と残念がる声は根強い。
広島市の町工場の中に大学の研究室を置いたらどうだろう。工学系や情報系の研究室とモノづくりの現場を近づける工夫がいる。学生にも製造現場が身近になりメリットは大きい。一方で、広島大から広島市中心部までの交通アクセス改善が必要。国道2号が慢性的な渋滞のために、広島大がより遠い存在だ。
広島銀行の徳永正雄専務(61)は、大学との距離を縮めるよう求める。広島大だけでなく、他大学も視野に入れる。
TLO通じ市場貢献
日本政策投資銀行中国支店の廿楽(つづら)英世支店長(52)は、技術移転機関(TLO)の活用を呼び掛ける。TLOとは、大学の研究成果を特許化し、民間に橋渡しする機関。
TLOによって大学の研究成果をもっと企業が利用できるようにすれば、新しい産業が生まれる。日本は生産技術は優れているが、今後は加えて開発力が問われる。大学は市場性を念頭に置いた研究を重視する必要がある。企業側も「大学には役立つ研究は少ない」との認識を改め、積極的に活用しよう。
大学等技術移転促進法が一九九八年に施行され、既に全国に十七のTLOができた。中国地方では山口大が母体になった「山口ティー・エル・オー」が生まれた。
学外評価公表で刺激
広島県産業科学技術研究所(東広島市)の水野博之所長(71)は、これまで学外に閉鎖的だった大学の体質に触れる。
大学は研究などに対する外部評価を積極的に導入し、結果を市民に分かりやすく公表するべきだ。大学は多くの税金を使っているのだから、研究がどのような成果を挙げているか説明する義務がある。大学は敷居が高いと民間から見られているが、外部評価と結果の公表という刺激で変わることができる。
大学集積生かし講座
外部評価は、国立大の独立行政法人化の流れの中で、導入する大学が増えてきた。広島大も九四年度から順次、導入する学部を増やしてきたが、結果を市民に情報公開するまでは至っていない。
学生の街、京都市では四十九の大学・短大と四つの経済団体、市が連携して、市民も学生と一緒に学べるシティーカレッジを開講。経済人も講師を引き受けている。広島市立大の櫟本功学長補佐(67)
=経済政策論=は同じ取り組みが広島でできないか、と考える。
広島都市圏にはさまざまな大学が集積している利点がある。市内だけでも二十校ある四年制と短大が協力し、市中心部の便利のいい場所で特色ある講座を開くのはどうだろう。夜も開けば、社会人が参加できる。専門知識を学んだ市民が多くなることは、都市全体の力になる。
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TLOの設立に温度差
山口大 教官出資で有限会社
山口ティー・エル・オーは、山口大の地域共同研究開発センター(宇部市)の一室を間借りしている。特許の専門家三人と女性スタッフ三人の小所帯。一九九九年十二月に中四国・九州で初めてできた技術移転機関(TLO)である。
「教官の意識を高めるため、自分たちで設立した」と、取締役を務める工学部の松浦満教授(57)は説明する。
TLOは大学の研究成果を特許化、企業に橋渡しし、そのライセンス料で運営する。大学や研究者にとってもライセンス料の一部が入るメリットがある。
山口大でTLOの準備が進んでいるころ、広島県でも広島大などの各大学や県が一緒になり検討していた。だが、いまだに設立されていない。
広島大地域共同研究センター長の福永秀春教授(61)は言う。「どのTLOも採算が取れず、国の補助金で賄っている。現状では大学の研究成果ですぐに企業が使えるものが少ない。企業のニーズと大学の研究を一致させるには時間が掛かる。今、TLOをつくるのは採算上、リスクが大きい」
広島大が選んだのは、国の外郭団体の科学技術振興事業団との連携だった。
しかし一方で、広島大方式には「教官の社会に貢献するという意欲をそぐ恐れがある」「規制が多く、柔軟性、機動性に欠ける」などの欠点があると、広島大も認める。
TLOは八〇年、米国で生まれた。当初十年ほどはあまり成果を挙げなかったが、その後、技術移転が進み、九九年の一年間だけで三百四十四のベンチャー企業が生まれた。全体の経済効果は四百億ドル、大学へのライセンス収入は合計八億六千万ドルに上る。
広島大の福永教授、山口大の松浦教授も「これまで大学の研究者は成果を学会で発表するのが最大の目標で、それが企業でどう使われるか関心はなかった」と口をそろえる。しかし、両大学は別々の道を選んだ。
広島大方式は「技術移転の話は数件ある」(福永教授)という段階なのに対し、山口ティー・エル・オーは既に三件の技術移転を行い、わずか三万円ながら初収入を得た。