独行法反対首都圏ネットワーク

辻内先生への追悼文

首都圏ネット事務局です。

辻内先生への追悼文を岩崎稔氏(東京外国語大学)から首都圏ネットホームページに寄せられましたので、ご紹介したします。

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  辻内さん。あなたの訃報に接して、ただ愕然とするばかりです。なんという理不尽な死でしょうか。


  わたしにとっては、数年前、岩波書店の『思想』編集部の依頼を受けてカナダの哲学者チャールズ・テイラー氏にインタヴューしたおり、東京大学の姜尚中さんと三人でチームを組んだのがあなたとの最初の出会いでした。器の大きな学究であることは少し言葉を交わしただけですぐにわかりましたが、そのあなたが微笑むときには、何とも人好きのする表情がぱぁっと広がることに強く印象づけられたことを覚えています。最近では青木書店のお仕事をいっしょにすることになっていましたし、それ以外にも、お互いにさまざまな研究会に誘ったり誘われたりしながらおつきあいをしていました。今年3月に「歴史と記憶」をテーマとしてわたしたちが組織した東京外国語大学の学術シンポジウムにも来てくださいましたよね。しかし、なによりもこのところ辻内さんと頻繁に話しあってきたのは、高等教育や研究の現場を根本から荒廃させようとする独立行政法人化の愚劣さについてであり、またその騒ぎのなかで抜け駆け的に持ち出され、それによってかえって全体としては高等教育の混乱と分断を招いてしまう「五ないし四大学連合問題」の寒々とした内容についてでした。あなたは、独立行政法人化に象徴される大学の自殺行為を阻止するために連帯して闘ってきた仲間でもあるというのは、わたしたちの独り合点ではないでしょう。


  大学の原則的な自治をいとも簡単に踏みにじり、もっぱら政治家や文部省に秋波を送りながら無責任に打ち上げられた「五大学連合」なる構想は、「予算規模で東大に匹敵する」といった根拠のない謳い文句をまとわせて、独立行政法人化に疑心暗鬼になっていた諸大学間の連帯に深甚な影響を与えていました。ことは、東京外国語大学の百周年式典にあわせて日本経済新聞の一面記事を仕込んだ中嶋嶺雄学長の振る舞いによってはじめて公になりました。その後、程度の差はあれ、それぞれの大学でほとんどなんらの議論も行われないままに、このプランはどんどん既成事実化していきました。東京外国語大学の中嶋学長は、もっぱら個人の政治的プレゼンスを強調するために、各大学の教授会どころか、他の三大学の学長たちすらあずかりしらぬことまで政治家やメディアにしゃべりまくったために、今年五月には三大学の学長から「いったん休んでいただきたい」と排除されるという惨憺たる顛末もありましたね。その事情すら、東京外国語大学の構成員にはまったく秘密にされていたというところに、この問題の特質が象徴的に表されています。こうした現状について、辻内さんはきわめて原則的な立場からつねに冷静に問題を分析し、高い見地から日本の高等

教育行政を批判していらっしゃいましたね。あなたと意見を交換しあったたくさんのメールをいま読み返しています。

  わたしたちのあいだでメールのやりとりが頻繁になったのは、春ごろからでした。あの時期に、辻内さんとわたしがまず相談し、ついで何人かの共通の友人に働きかけ、それぞれの大学の教職員組合の仲間たちとも連絡をとりあい、さらに東京工業大学や東京医科歯科大学の組合とも連携しながら、ひとつの集会を組織したのです。これは、学長たちによる一方的で閉鎖的な四大学連合の連携に対抗する意味で、実際に四大学の教員職員が集まって話し合ってみようという企てでした。


  五月一二日のこの集会のために、辻内さんは精力的に準備してくださいましたし、当日は司会も引き受けてくださいました。ほんの一週間の準備しかできなかったのですが、この「独立行政法人化と『四大学連合』を考える緊急集会」は、「一橋大学職員集会所」に四大学すべてから数十人の教員職員を集めて成功しました。なによりも、この集会によって、他の大学でなにが隠され、何が進められているのかがよく見えてきたからです。あのとき辻内さんと二人で確認しあったのは、《もしも大学間の連合話や統合の話が出てきたときには、他ならぬ当事者たちが下でさっさと横に連携し、現状や経験を共有してみるべきだ。このことを全国の大学の教職員に教訓として伝えたい》ということでしたね。風通しの悪さを悪用して上の方でどんなことが進められているのかは、実際に当事者同士があっさり横につながって見聞きしたことを交換してみれば、一目瞭然になるからです。その集会の直後のメールに辻内さんはこんな風に書いていました。


  「流動的な情勢の中、一方的な『大学連合』を牽制する上で、とにかく動きがとれたことを喜びたいと思います。後で思ったことですが、この連携は、4大学にとどめずに能力の及ぶ限り広くもつ必要を感じました。職員レベルでも『4大学』という枠が実体となってしまうと足下をすくわれる気がするからです。・・・今度は、正式に学芸大学や農工大、電通大、津田などにも声をかけてもいいかもしれませんね。少なくともわれわれのところでは、『4大学』にとらわれる必要はないですし、他の地域においても『4大学』連合を口実にした大学の格差付き再編をしてもらいたくはないわけですから。」


  また、別の日の手紙のなかにはこんな一節もありました。


  「提案ですが、われわれの連絡機関を4大学に限定せず、積極的に学芸大学など他の大学にも広げてはどうでしょうか。もちろん、不特定多数というのは困難な話ですが、多摩5大学等にも声をかけるというのはどうでしょうか。4大学連合が、結果として職員組合レベルでも足並みをそろえて、一つの単位になっていくというのは、逆説的ながら「連合」の実績づくりに「荷担」することになるのではと危惧されるのです。いかがでしょうか。」


  辻内さん。その後は、お互い協力しながら、この緊急集会でできたつながりをまずは四大学のネットワークとして確立し、できるかぎり情報や意見のリアルタイムの交換が可能になるよう奮闘しましたね。一連の「大学間連合」と称するものが、他を出し抜いてプロック化する閉鎖的な発想でしかないのに対して、むしろ本当の意味で研究と教育の連携と公開の可能性を考えていたのはわれわれだったのだとあらためて実感します。


  10月には東京外国語大学に「四大学連合問題調査検討小委員会」ができ、これが三大学の副学長と会見するという機会を一橋でもつことになりましたが、あれは11月6日でした。この時期にも、辻内さんは問題を曖昧にしないために有形無形の努力をしてくださいました。このときの三大学副学長との会見によって次第にはっきりしてきたのは、大学連合なるものが、総じて実体はなにもないということでした。羊頭狗肉の構想が、無節操に対外的にふりまかれた幻想のせいで、もはや訂正することも、地に足がついたものへと組み替えることもままならないまま、奇妙に一人歩きしているということでした。副学長たちとの会見のあとの懇談会で、辻内さんは一橋大学側からこうした問題に批判的な見解を一貫して表明してきたひとりとして、ご自身で東京外国語大学側の委員に向かって、高等教育がいま陥っている陥穽を鋭く指摘してくださいました。あなたの憤りは、つねに今日の大学教育が「改革」と称しながら、その実ますます劣悪なものを濫造している現実に対する冷徹な分析に裏打ちされていました。その直後のメールにもこんな風に書いていらっしゃいました。


  「打ち上げ花火ではなく地道な改革をしないと大学は本当にだめになると思います。株式相場のようにめまぐるしく変わる市場の原理を学問・教育の論理に何の疑いもなく当てはめようとする学長(あるいはもっと上の政治勢力)のために、大学は窒息死寸前のように見えます。『ワールド・クラスの研究教育をする』などと石学長は言っているけど、おびただしい数の学生のカンニングや、教員の問題行動など、もはや常識からもほど遠い状態です。教師は疲弊し、成り行き任せで、事なかれ主義の世界に自閉するようになっています。そのような教師から学ぶ学生は不幸です。足下を見ない「改革」のつけがどのような形でやってくるのか、恐ろしい限りです。」


  直接お会いしたのはあの夜が最後になりました。そしてほんの数日前に、こちらの近況を尋ねてくださる親切なメールをくださったばかりでした。「寒くなりました。風邪などひかないように」と。こんな言葉を最後にわたしに残して、辻内さん、あなたは突然逝ってしまわれたのです。あなたからいただいた私信メールをこんな風にネット上に載せて、あなたは怒っていらっしゃいますか。アメリカ史研究者としてのあなたの力量と可能性については、多くのかたがよく知っています。わたしもあらためてあなたの『思想』論文を読み返しました。でも、同時にあなたが、深く今日の大学教育の現状に憤るひとでもあり、そしてわたしたちと闘いをともにした仲間であったということを、わたしたちの誇りとともに他のひとたちに知ってもらいたいのです。勘弁してください。


  辻内さん。安らかに眠ってくださいと、月並みな言葉で申し上げるには、あなたの死はあまりに無念です。この突然の死も、あなたが無節操な大学行政にたいして示されたのと同じ高潔な正義感が、一方通行路を逆走してきた無謀なトラックに勇敢に示されたことから起きたのでしょう。

  友人として、研究者として、そして闘いの仲間として、あなたの記憶をわたしたちはずっと胸にたたんでまいります。


  さようなら。
                                                       
    岩崎  稔



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