独行法反対首都圏ネットワーク

21世紀の大学像と国立大学の独立行政法人化問題
200012.05 [he-forum 1475] JSA常任幹事会報告

【2000年9月30日、文京区民センター、日本科学者会議常任幹事会報告】


21世紀の大学像と国立大学の独立行政法人化問題

                                三輪定宣(大学問題委員会、千葉大学)


はじめに

 本報告では、国立大学の独立行政法人化(独法化)問題の現段階と、それに対する基本的視点として、21世紀の大学像・大学政策の論議・構想の意義について検討したい。


I 国立大学の独法化問題の展開と現段階 


  国立大学の独立行政法人化(独法化)問題の推移については年表を参照されたい。 

  国立大学の法人化は1971年の中教審答申、84年の臨行審答申等でも教育改革論としてかなり詳しく論じられてきた。今日につながる独法化(自治体委譲・民営化)論は、1996年の「財政構造改革」「行政改革」の一環として浮上する。ただし、1997年12月の「行政改革最終報告」では「大学改革方策の一つの選択肢」として提起されるにとどまり、その後も中央省庁等改革基本法(1998年6月)や大学審議会答申(同年10月)のように、国立大学改革は独法化ではなく、その競争・管理強化策が指向されていた。独法化への流れが現実味を帯びるのは、1998年1月の自民党の国家公務員10年25%削減方針であるが、その時点では国の89機関の独法化が閣議決定されたものの、国立大学については2003年度までに結論をだすにとどまった。
 転機は、2001年度からの定員削減に備え、その概算要求期限の2000年8月までに国立大学の独法化についても大筋の方向決定が必要との議論であり(例:1999年6月、藤田論文)、1999年7月の独立行政法人通則法の成立に伴い、文部省も通則法の特例措置による国立大学独法化の検討をはじめ、その案が9月に学長会議に提起される。これ以降、多くの大学ではその方針に即した検討がはじまり、教授会、教職員組合、教員・学生などの反対も相次ぎ、また、個別大学の枠を越え、学部長会議(理学、人文系、農学)、学会(天文学、数学)、科学者会議、教職員組合、学生自治会、有志のネットなどの全国的地域的組織やその支部の批判、反対の動きが広がる。
 自民党・文教グループは法人化の検討チームを組織し(1999年11月)、一時は独自の法人化を模索する動きも報じられたが、行政改革グループとの擦り合わせの結果、2000年5月、独法化の枠のなかでの調整による法人化の方針が確定した。文部省は、同月、これに従うことを学長会議で説明し、2001年度中の検討会議報告を踏まえて結論を出すことにしている。国大協は通則法の国立大学への適用反対、検討委員会の設置、文部省の検討会議への積極的参加などの見解を出した。
 現在、独法化問題は、文部省の「今後の国立大学等の在り方に関する懇談会」(1999年8月〜)、「国立大学等の独自行政法人化に関する調査検討会議」(2000年7月〜)とその付置する5委員会、国大協「設置形態検討特別委員会」(7月〜)等で検討がすすめられている。検討会議は1年半後の2002年3月までに報告をまとめ、これを受け、文部省は立法作業にはいり、法律制定を経て2004年度から施行する日程である。公立大学もこれに準ずることとされ、また、文部省は「21世紀の大学を考える懇談会」(9月〜)を発足させ、独法化後の大学像の検討に入っている。 
 なお、政府・自民党は、国立大学・学部で文部省従属度の高い教員養成系大学・学部の再編・統合の検討に入り、現行「1県1大学」から「1ブロック1大学」等の大規模リストラ策が論議されている(森首相の全国知事会挨拶、2000年9月)。マスコミは、これらの動向を独法化の“スケープゴート”(週刊朝日)などと報じている。 


II 21世紀の大学像について


1.大学の設置形態論

 こうした情勢のもとで国立大学の独法化問題をめぐりその設置形態が論議の焦点になりつつある。それは大別すれば、(1)通則法の原則適用による独法化、(2)通則法の修正(調整・特例措置・特例法等)による独法化(修正・適用の程度には幅)、(3)独自行政法人でも学校法人でもない特別の法人の設置、(4)国の施設(現行制度)の改革、となる。 (1)は、通則法の100%適用はしないが、原則としてその枠組みを踏まえた法人化論である。自民党提言は通則法を「100%」適用することは不適当だが、その「枠組みを踏まえた」措置であるべきであるといい、文部大臣説明は「独立行政法人制度は…国立大学についても十分適合する」と明言している。
 (2)の例は、通則法の個別法ではなく特例法(「大学独立行政法人特例法」)、又は、「国立大学法」(又は「国立大学法人法」)を制定し、両者の規定相互間の調整のため通則法原則を修正する等の案である(国大協第1常置委員会中間報告、1999年9月7日) (3)の例は、「国立大学基本法」又は「国立大学法人法」(国立大学全体の通則法)を定め、国が設置・負担し、大学が管理・経営する「国立大学法人」(1大学1法人)とする案である(東京大学・国立大学制度研究会中間報告、2000年7月)。
 (4)の例は、現行設置形態(国の施設)には言及せず、全構成員自治、国民参加、国の「大学財政委員会」設置(行政委員会)、財政支出の飛躍的拡充、などを基本とする抜本的改革論である(日本科学者会議大学問題委員会『21世紀の大学像を求めて』2000年6月。大学の設置形態については国際比較研究を計画中)。
 いずれの場合にも、大学の自主性・自律性・特殊性や公的財政の拡充が強調されている。(1)の場合、「大学の自主性・自律性」には学長指導体制の強化と大学自治の形骸化、財政拡充には大学評価による資金差別など多くの問題を含むが、独法化に対抗する設置形態論は、効率性や国家規制に対する学問の自由、大学の自治、教育研究の危機認識とその擁護発展が共通の立場となっている。
 なお、諸外国の大学の法的地位の概要は次の通りである(文部省・調査検討会議資料)。 アメリカ=州立大学(学生の66%が在学)の多くが法人格を付与され、立法・行政・司法3権に並ぶ位置づけが与えられ、管理組織(大学理事会)の理事は州知事が任命し、学長や教員は理事会が任命する。学部の設置・改廃や授業料などは大学の裁量により、予算は大学が州政府に要求する。
 イギリス=ほぼ全大学は実質、国立大学で法人格を有し、管理組織(カウンシル・管理委員会)がその委員を決め、学長や教員を任命する。学部の設置等は大学の裁量であり、予算は政府の大学財政カウンシルとの契約による。
 フランス=は、ほぼ全大学が国立大学であり、法人格(公施設法人)・自治権を有し、大学とは別の管理組織はなく、学長や教員は学内で選考し国が任命する。学部の設置等は法令に規定され、授業料は無償であり、予算は政府の決定や4年間の契約による。
 ドイツ=ほとんど州立大学であり、法人格と行政機関の性格を併有する。大学とは別の管理組織はなく、学長や教員は学内で選考し州政府が任命する。授業料は無償であり、予算は大学が州政府に要求する。


2.21世紀の大学像・大学政策の検討


 独法化論議で深まりつつある重要な観点は、将来(21世紀)を展望した大学像・大学政策である。遅まきながら、文部省も今年9月になって、「21世紀の大学を考える懇談会」を発足させた。懇談会と独法化との関係は明らかではないが、大学の将来像不在の行革の論理による独法化の論拠づけとなろう。

 政権党・自民党の21世紀大学像とその政策は、2000年5月の「提言これからの国立大学の在り方について」に集約されている。それは、「3つの
方向」((1)国際的競争力強化、世界最高水準の教育研究、(2)大学の個性化・多様化、(3)教育機能強化)「3つの方針」((1)競争的環境、(2)規制緩和、(3)公的投資拡充)に基づく国立大学の運営の見直し((1)護送船団方式からの脱却、(2)責任ある運営体制、(3)学長選考の見直し、(4)教授会運営の見直し、(5)社会に開かれた運営、(6)任期制の積極的導入、(7) 大学運営の規制緩和)、組織編制の見直し((1)様々なタイプの国立大学の併存、(2)学部規模の見直し、(3)大学院の一層の重点化、(4)国立大学間の再編統合の推進)、独立行政法人化、の各政策である。そこでは、「国策としての学術政策、高等教育政策」遂行のため、大学の存廃や長期計画の決定など、国の大学への関与が強調されて
 これに対し、「国民のための大学づくり」を合言葉とする大学改革運動は、憲法・教育基本法の定める人類普遍的原理ー「学問の自由」「教育を受ける権利」の保障(憲法)、「文化的な国家」建設による人類社会への貢献、「教育の機会均等」の実現、「不当な支配」の排除と国民への直接責任の遂行(教育基本法)などの理念のもとにすすめられてきた。そこでは、学生参加を含む大学の自治・全構成員自治の確立、教育研究の充実と共同、教職員の地位・権利の確立、大学の格差是正・拡充と教育研究条件の整備、大学への国民参加、地域にねざす教育研究活動、国民に対する責任の遂行、入試改革や希望者全員入学、学費軽減・無償化と奨学金拡充、大学財政の飛躍的拡充と財政自主権の確立、などの諸政策を掲げ、大学を真に国民に奉仕し、開くさまざまな改革を提起してきた(『21世紀の大学像を求めて』、日本の教育改革をともに考える会『21世紀への教育改革をともに考える』2000年、フォーラムA、参照)。
 21世紀は「知の世紀」といわれるが、知が真に国民や人類の利益となるには、知の継承・創造の拠点である大学に対する国民の関与が必要である。政府・自民党の「大学改革」は、国民に奉仕する大学づくりを妨げ、「知」の権力的操作をねらうものといえよう。
 「国民のための大学づくり」の理念は、21世紀の大学像の国際的潮流ー例えば、ユネスコの高等教育論とも多くの点で共通している。
 ユネスコの「高等教育の教育職員の地位に関する勧告」(1997年10月)は、「学者の共同体」である大学の自治・自由の手厚い保障とそのための教育職員の地位の確立を77項目にわたり詳細に規定している。そこでは、機関の「自治とは…意思決定、および学問の自由と人権の尊重、これらのために必要とされる自己管理」(17項)、「自治は学問の自由が機関という形態をとったもの」(18項)であり、国はそれを「脅威から保護すべき義務」(19項)がある旨明記している。また、「教育機関の公共責任」では、「人権および平和に逆行する目的のための知識と科学、技術の活用を防ぐよう努力」(22項)すべきことを規定している。
 同じくユネスコの「21世紀の高等教育世界宣言ー展望と行動ー」「高等教育の改革と発展のための優先的行動の枠組み」(1998年10月)は、大学が、人権・民主主義・持続的発展・平和の主柱、その達成の「知的共同体」であり、21世紀の人類的課題の解決は教育、特に高等教育にかかっており、とくに大学の批判的・先見的役割や「知的権威」が重視されている。また、それゆえに、高等教育は無償制を基本にすべての者に生涯を通じて開かれ、すべての者が関与し共同すべきであり、公的支援が不可欠とされる。学生が卒業して人類的課題の解決に立ち向かうため、「批判的思考」「創造性」などの能力を身につけた「市民」として育成すべきであり、大学の「知的厳密性」、学生との共同や学生中心の運営、「完全な学問の自由と自治」が重視される。大学では「平和をめざす教育は最優先」とされ、単なる経済的発想を越えた道徳性・倫理性の意義が指摘されている。
 なお、勧告・宣言には大学の競争力強化や設置形態のあり方に関する条項はなく、機関の内外の共同や自治が随所で強調されている。ユネスコ宣言は、160か国の文部大臣、10か国の元首を含む約2500人の政府代表の会議で採択されたとはいえ、JSAに送付された世界教員連盟の書簡によれば、グローバリゼーション下の市場万能主義勢力とNGO諸団体との熾烈な闘いのなかで作成されたといわれている。文部省は、大学審議会の資料としてこの文書を参考にしなかったといわれるが、このような背景に照らし当然の行動といえよう。
大学政策のグローバル・スタンダードというべきユネスコ勧告・宣言に照らして、日本のそれを厳しく検証する必要があり、JSAは他団体と共同してその作業をすすめている。 


おわりに


 与党・政府の政策の根底には、主権者国民の支持獲得の動機があり、国立大学の独法化政策も例外ではない。国民にさまざまな犠牲を強い経済を狂わせた“政治災害”「行政改革」10年の歩みは、有権者が自民党から大挙離反するプロセスでもあった。例えば、自民党の衆議院選挙の得票率の推移は、1990年46.1%、1993年36.6%、1996年32.8%、2000年28.3%と半減し、崩壊の危機に瀕している。「行政改革」はいわば政権の自殺行為、“墓穴”であり、このような状況のもとで、自民党は大学対策、独法化政策についても動揺・迷走を続けるであろう。それに従属する文部省への国民の批判は日増しに厳しくなっている。1999年1月、民主党は文部省廃止を決定した。国民の立場に立ち、未来を展望した大学政策を掲げ、独法化問題を立ち向かい、これを徹底的に批判し、抵抗の運動を強めるならば、事態の意外な展開も予想されよう。



目次に戻る

東職ホームページに戻る