独行法反対首都圏ネットワーク

「ニュージーランドの行政改革と高等教育および科学研究への影響:

予備調査報告」(要旨)

 

(国立環境研究所:大井 玄、東京大学:大塚柳太郎)

 

本レポート(要旨)は国立環境研究所長、大井 玄博士及び東京大学医学系研究科、大塚柳太郎教授(東京大学広報委員長)が現地調査及び文献調査をもとにまとめられたものを、教育・科学技術政策、大学及び国立研究機関に関連する部分を要約したものである。なお、元レポートは、30ページにおよび、ニュージーランドでの行革の影響及び評価について、経済、政治、国際関係等を含めた全面的な分析を含んでいる。

 

本レポート作成の経緯

1.        2000622日〜26日までNZの大学、政府機関、研究機関を訪問し、同国の行政改革による高等教育および科学技術への影響について調査された。

2.        NZでは1984年に労働党が政権をとると、一気に行革が断行された。その行革は「市場原理主義」として特徴付けられる。教育・研究の場においても徹底した「市場原理」が持ちこまれた。

 

国全体での、行革の影響の具体的なあわれは次のようである。

1.       21の国営企業(電信電話、鉄道等)が民営化されるか、外国資本に売却され、国家財政には「企業会計方式」(損益の認識)が持ちこまれた。通産省、公共事業省、科学工業技術庁、エネルギー省が廃止された。

2.       国家公務員は1985年の85,000人から1996年の34,000人に削減された。その一方で、犯罪件数が増え、警察官の数は1990年の6,037人から1995年の8,639に増加した。

3.       最高税率を66%から33%に下げ、相続税、キャピタルゲイン税はほぼ廃止され、消費税率が引き上げられた(現行:12.5%)。

4.       産業別全国労働協約を廃止し、クローズドショップ制から個人労働契約制に移行した。

5.       年金支給年令を60歳から65歳に引き上げ、支給率を80%から65%に引き下げ、医療費の有料化、失業手当の引き下げも行われた。

6.       農業補助金、輸出奨励制度等の補助金が廃止された。

 

「教育も規制を廃止した市場原理により選別されて行くべき」という原則に基づいて、教育改革が断行された。

1.        初等教育について、教育省の権限は、学生の頭割りの予算配分と、大学入学資格試験の実施に限定され、国家教育行政はなくなった。その一方で、独立した「教育評価局」が置かれ、各学校の運営は学校毎の「学校理事会」が財政、人事をふくめた全ての権限を有することになった。いわゆる「学区制」はもちろんなくなった。

2.        高等教育では、教育の経済負担は国家から学生に移行し、研究機能は教育機能から分離され、研究精化は「研究市場」で売買されることになった。事実上無料であった授業料は有料化され、年々増額されている。

3.        改革は「大学は社会に対する効用を証明しなければならない。開かれた市場に身を置き、授業料の支払を通じて中核的資金を提供する学生たちを獲得するため競争しなければならない。もし大学の研究が価値あるならば、限られた資金を獲得するため厳しい競争の洗礼を受けることができる」ということで正当化された。

4.        国立大学は法人(企業)化され、その教育は市場競争を通じて商業化が顕著になりつつある。

5.        従来交付金を配分していた大学研究基金委員会は1990年に廃止され、新規機器購入等の予算がなくなった。支給されるのは学生数に応じた教育補助金である。授業料は大学が定めることになり、毎年値上げされている。収入を確保するため、大学間での学生の取り合いが激しくなり、学生数が少なくなった学科は廃止・削減される可能性が高くなった。一方、学生を集めうる教員、「よい教育サービスを提供する教員」が評価されるため、教員は教育への努力を払わざるをえなくなっているという、評価もある。

6.        研究費は、従来のような頭割りの研究費が廃止され、すべて競争的資金として配分されるようになった。ポスドクの奨学金だけでなく、研究者の給与も競争的資金に含まれているため、2年毎に資金を取らねば給与がなくなることになる。

7.        優秀な学生が自然科学にこなくなり、卒業後すぐに給料が得られると思われる商学部や観光学科に殺到することになった。また市場の需要があるという理由で、応用科学の名のもとに占星術やホメオパシーのコースを開講する動きさえあるという。社会科学、人文科学、語学、歴史学、基礎科学(とくに理論物理学や化学)への志望者が減っている。

8.        教育産業は外貨獲得にも役立つため、NZ人の10倍もの授業料を払う留学生が歓迎されている。学費の極めて高い歯学部では留学生が75%を占めるようになった。

9.        「大学へ進む人は、大学という教育施設を利用し、利益を挙げる受益者である。したがって、受益者が利用する施設の管理、維持を含め費用を負担するのは当然である」との理由で、学生は教育に必要な費用の25%を学費として支払う。年々15%ぐらいずつ上昇しており、現在では最低1,000ドルとなっている。

10.    研究に割く時間が少なくなったため、例えば大学院生の数を増やし、「結果が予想されやすい応用研究の課題を与え実質的な研究は学生にやらせ、最後に教員が手を加えて体裁を整える」という「研究の水増し」が行われている。

11.    NZが国際的競争力を維持しており、利潤を生むと考えられる分野、すなわち遺伝子工学、造園、生物多様性、気候変動の分野だけが優遇されている。

12.    より知識と情報を持つものが資金獲得で優位に発てることから、以前は自然に行われていた情報交換が減り、いわば知識や情報の囲い込みのような現象がおきている。さらに進んで研究機関間の協力関係が薄くなっている。同様なことはオーストラリアでも問題になっている。

 

このような状況を受けて、大学の社会に対する責務(知識の創造と拡大、歴史・文化・社会的知識の保存と伝承、学識経験者としての助言・社会への警鐘等)が果たせなくなってきている。また、若者と頭脳・技能を持った人達の国外流出が進み(年平均11,000人)、熟練労働力の不足が生じている。NZが経年実施している研究者の意識調査から「大学の大多数の研究者の志気が落ちている」ことが指摘されるに至っている。

 

 

「国立研究機関」は「商業活動を行う会社」となった。

1.       1992年に科学技術庁は10の王立研究所に分割され民営化された。そのうちの1つは「破産」したため、現在は9つになっている。いずれも政府が最大の株主の会社組織である。「会社」の重役会のメンバーは、弁護士、会計士、経営者などにより占められ、科学者を代表する重役は1人に留まるのが普通である。

2.       生産された研究成果の購入機関として科学技術研究基金、健康研究審議会、NZ王立協会が設立された。科学技術研究基金が「買い上げ予約」し、公共有益科学基金が代金とも言うべき研究資金を配分することになっている。配分は研究過程に対してではなく、予想される結果が、どのぐらい「社会的に適切か」に応じてなされる。それは最終利用者である企業の要望によって決まるので、基礎研究は構造的に軽視されることになる。

3.       現在、購入機関が重点を置く「達成すべき結果」の指定分野が14項目ある。例えば「新しい知識集約型事業からの富」、「富創造型食糧・繊維企業」、「革新的製造やサービス事業」、「自然資源の持続可能な利用」などである。「基礎知識」のテーマへの割り当て額はわずか1%、農漁業の応用テーマが76%であった。

 

[考察]:「教育と研究の改革はその目的を達成したのか」

行革の方針は、高等教育や研究の諸機能のうち一部の機能(「NZに経済的利益をもたらす知的営為」)の働きを最大にすることを「強要」し、その機能の発揮度に応じて厳しく研究資金を配分することであった。その結果、基礎研究には研究資金がほとんど流されないことにより、短期の利益を目指す経済活動としての研究の性格が顕著になった。加えて、NZの収入増加、雇用創出、外貨獲得といった基準で定義される経済的利益が、研究業績に相関して達成されているのか疑問が残る。「研究は経済的事業」とすることによって、若い頭脳の流出や基礎研究の存続を危うくするまでの犠牲を払うことが政党化されるのか。いずれにせよ、この問いに対する明確な回答は、今後のさらなる情報収集・解析と時の経過を待たねばならない。

 「人間を経済的存在とのみ定義することの含意」

 「社会の尊属を目指す戦略指針としての倫理という根本的な見地からは、社会を構成する人間を生産性だけで選別するのは危険なことである。それのみか、徹底した利己的立場からは、生産性のない存在は社会から抹殺した方が社会の健全性を保つ意味で好ましい、という論理が現実になる可能性がある。ナチスドイツが、精神病、痴呆、知力障害者を大規模に抹殺した事実は、その論理が現実に地からを持ち得る歴史上の証言である。」「最後に、地球という閉鎖系の場において、利己的利益追求を無条件に容認することの危険があげられる。それは自己と他者、自己と環境を構成するもろもろの事物との関連性の無視に連なる危険である」、ことを指摘する。

 


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