独行法反対首都圏ネットワーク


大学システムの解体を阻止し、大学の主体性の回復を!

―独法化と「競争的環境」は大学を解体に導く―

 

2000年11月15日

独立行政法人反対首都圏ネットワーク事務局

 

はじめに

 

国立大学協会が本年6月の総会で、「通則法による独法化には反対」「設置形態検討特別委員会の設置」「文部省調査検討会議への積極的参加」など、4つの確認事項を決めてから5ヶ月が経過した。7月には、国大協はこの設置形態検討特別委員会で議論を開始し、また文部省も、来年度中の取りまとめをめざし、「5.26文部大臣説明」で言明した調査検討会議をスタートさせた。これまでに、双方の会合はほぼ月一回のペースで数回重ねられている。こうした状況の中、これまで独法化に反対の態度をとってきた人々の間でも、国立大学の独法化をめぐる情勢はすでに具体的な制度設計の段階に入った、と考えるような状況にある。

はたして、現時点の段階をどう見るべきなのだろうか。

独法化が大学の設置形態の変更だけに止まらないことは、これまでに幾多の論者が様々な角度から解明してきた。首都圏ネットワークは、7月8日の声明で、「国立大学の独立行政法人化問題は、原理原則の問題であり、条件闘争を行うような問題ではない。いま、問題となっているのは、大学というシステムそのものの存廃である。」と述べた。この指摘は、現時点でもそのまま通用する。

現在、文部省による独法化の制度設計が進行している。これに対する積極的な反撃は、まだ弱い。他方で、全国の大学では、独法化の内実を先取りするような「改革」が次々に行われようとしている。だが、社会における大学を主体的に位置付け直す作業を回避しては、自発的な「処方箋」と見えるものが、自らの首を締める結果ともなろう。

 

今、大学というシステムは主体性を失いつつあり、内部から崩壊しかねない、危険な局面に立ち至っている。われわれは、このことを強く危惧する。こうした動きを食い止め、問題の所在と要因を明らかにし、その打開に向けた行動をとることが急務である。

また、現状を追認するような流れを断ち切り、独法化への流れを阻止することが必要である。そのためには、大学の主体性を回復し、復権する作業と行動に直ちに取りかからなければならない。大学というシステムそのものの解体の危機を乗り越えるために、いままさに力を尽くさなくてはならない時が来ている。

 

1.通則法の枠組みでの制度設計が進行している

 

現在、事態は文部省主導で進行している。

文部省は、「5.9自民党提言」と「5.26文部大臣説明」に強固に立って、通則法の下での独法化を進めようとしている。文部省の調査検討会議には4つの委員会があり、現在はそのうち3つ(組織業務委員会、目標評価委員会、人事制度委員会)で議論がスタートしている。それらの議論は文部省のウェブページで公開されている。文部省の立場は一貫して、通則法の下での独法化の推進にある。委員の中にも、通則法を下敷きにした検討を進める発言がある。これらに共通するのは、もはやある種の法人化は不可避の情勢であり、ならばすでに法律となっている通則法にもとづいて制度設計するのが得策、という立場である(文部省側の最近の発言には、「イージーオーダー」「メリットの活用」という言葉が頻出する)。

 

独法化問題が浮上した97年段階では、文部省は独法化に及び腰であったかもしれないが、今や、独法化は、文部省による大学支配を今より一層進め、強くする点で、推進すべき政策になった。文部省にとっては、現在の概算要求における干渉・統制、事務職員人事の掌握に加えて、更に大学の本体を自己の統制に置くことができる千載一遇のチャンスが到来したと言うべきである。独法化とは、まさに中央計画当局による「計画主義改革」(佐和隆光『市場主義の終焉』)と呼ぶべきものなのである。

そして、こうした国の強い統制の枠組みの中で、各大学、学部、学科、個人のレベルまで競争させ、競争と評価を通じて、それぞれのレベルでの選別、淘汰、集中を図る構造を作り出そうとしている。これが独法化の目指すものである。これを独法化のメリットとして主張する調査検討会議での議論も見られる。「企画能力のある大学には予算が十分に配分され、能力のない大学は淘汰されるというのが、制度としてあるべき方向ではないかと考える。」(組織業務委員会第1回)という発言はその典型である。

文部省の態度は、あくまで通則法で独法化するが、大学の不満と抵抗を宥和する一定の修正をする、そのために、「特例法」か「調整法」(どちらにしても単に言葉の問題)を付け足すというものに過ぎない。

 

これに対して、国大協の設置形態検討特別委員会は、有効な対抗軸を作り出してはいない。この特別委員会も、すでに5回の会合を開いている。当初、国大協は6月総会の確認事項において、設置形態検討特別委員会を通じて、「政策提言を積極的に行う」、「国立大学協会の意向を強く反映させるための努力を行う用意がある」としていた。しかし、これまでの議論の経過をみれば、国大協の特別委員会は調査検討会議への対策に終始しており、前回の総会確認における積極的な意気込みは感じられない。この間の議論から判断すれば、主導権は文部省に握られていることは明白である。さらに、国大協は特別委員会などでの議論をウェブページ等で公開しておらず、多くの大学では評議会等で学長からの報告だけで済まされているのが現状である。一般教員など広く教職員の智慧を集める姿勢からは程遠い。このまま調査検討会議に参加を続ければ、国大協は通則法に反対しつつも、通則法に基づく法人案の作成に協力していくことになろう。

 

また、各大学でも独法化を念頭においた学内の検討会などで、議論が行われている。東京大学では、総長の私的な諮問機関である「国立大学制度研究会」が、半年間の議論を経て10月3日に報告書を出している。さらに、大阪大学や名古屋大学でも評議会の下に置かれた検討会の内容が一部で公開されている。

それらをみても、様々な緩和措置がほどこされているものの、通則法の基本的な枠組みを乗り越えていないことは明らかである。そもそもの前提として、「通則法を引照基準」(東大の研究会報告書)にしていては、独立行政法人とは全く異なる、国から独立した「法人格」を持つ自由な大学を制度設計することはできない。各大学の対応も、詰まるところ、通則法の枠組みに「特例法」か「調整法」を附加する形での「法人化」、つまり独立行政法人化を想定していると言わざるを得ない。

 

2.独法化の内実をなす「競争的環境」作りが急進展している

 

各大学で独法化への対応が検討されている一方、それぞれの大学においては、独法の内実を先取りするような「改革」が次々と行われつつある。それは、あたかも大学の「自発性」を装いながら、「競争原理」「再編統合、選別と淘汰」「種別化」をキーワードとしている。これは、「5.9自民党提言」や「5.26文部大臣説明」、あるいはそれらの原点ともいえる98年大学審答申がもとになっている。この過程で、大学の自由と自治、学問の自由がなし崩し的に掘り崩されるというプロセスが加速している。大学の本質に関わる問題が、文部省や学長サイドのトップダウンで強行されたり、大学内での原理的な論議なしに、いわば「粛々と」進行しているかのような事態が随所で見られる。大学はこれらの事象の背後にあるものを論じ、全体像を明確化し、冷静に判断し、理性的に行動する主体性を失いつつある。

 

まず第一に、大学評価・学位授与機構における大学の評価の開始と資源配分の具体化である。2001年度は理学系と医学系で評価がなされ、その対象校も決まったとされる。評価機構の評価方法案によれば、「設定された研究目的および目標に照らして」評価すること、「組織の研究内容および水準の評価を教員の個別の業績」をもとに行うとされる。評価は四段階評価とされ、学部レベルだけでなく、教員個人も「卓越・優秀・普通・要努力」とランク付けられる。

評価システムは、独法制度の要となるシステムである。中期目標期間終了後、業績の評価による選別、淘汰と他方での集中が図られ、国家の行財政の効率化が遂行される。これに基づき資源配分、統合、再編、廃止などを実施する。このシステムは大学全体に対しても、学部、学科レベルから、個々の教職員の処遇、身分にまで及ぶ。競争によって淘汰を進めるために必須のシステムが用意されつつある。評価はまさに「淘汰」を目的として行われるのである。

 

第二に、校費配分方式が今年度から改悪されたことである。従来の積算部分は「文系修士・非実験講座」に統一され、基盤的校費は大幅に縮減された。これに対して「大学分」として学長の裁量部分(競争的部分)が大幅に増加された。それに関連し、各大学では評価委員会が設置され、校費の裁量部分を業績に応じて配分できるような制度を導入している。すでに広島大・豊橋技術科学大・新潟大などでは、「教育研究活性化経費プロジェクト」などの名の下に、校費の競争的・傾斜的配分が行われようとしている。これにより、来年度以降には運営基盤を維持できなくなる部局も実際に出現するだろう。ここでの「競争的環境」とは、学問分野をスクラップするということに他ならない。

 

第三は、任期制の導入である。広島大・弘前大等々でも導入され、この制度は徐々に広がりつつある。この背景として、任期制を導入しなければ、概算要求を認めないという文部省の圧力が働いていることは、周知の事実である。注目すべきは、東大における任期制導入の動きである。現在東大では、2001年度からの教員の定年延長(最終的には2013年度に65歳にする)と絡めて、全部局での教員任期制導入への動きが進みつつある。直接的には、65歳定年延長への学内外の批判的論調に対する配慮、定年前退職でも定年時と変わらぬ退職金支給を行うためだとされる。だが、その背後には、「5.9自民党提言」が「競争的環境の整備の一環として、教員に対する任期制の導入が必要である」「多くの国立大学で導入が遅れている状況は極めて遺憾である。世界的水準の教育研究の展開を目指すような大学が、率先して、任期制を大幅に導入すること」を求めたことがある。東大はこれに屈服しようとしている。しかも、任期制そのものへの原理的検討や波及する諸問題への関心などは微塵も見られず、議論の拙速さには目を覆いたくなるものがある。

 

第四に、独法化への対応を前提とした、大学の統合・連合の動きである。昨年末に表面化した都内5(4)大学連合を始め、今年に入ってからは山梨大と山梨医科大の統合、筑波大と図書館情報大の統合、全国8医科大学の連合、東京商船大と東京水産大の統合など、急速に具体的な検討が進んでいる。これらの背景・動機には、独法化以後の「生き残り」を目指す意図が明確である。統合のスケールメリットによる「生き残り」を模索する動きは、そもそも何のための「生き残り」かを問うことなく進行し、大学間の疑心暗鬼と協力関係の解体をむしろもたらしている。

 

第五に、研究院・学府・部といった新たな組織案(岡山大・千葉大・新潟大など)、インターネットを利用した仮想大学(北陸科技大・千葉大・広島大・九州工大)といった新たな再編構想、あるいは、昼夜開講やサテライト・キャンパス(福島大・小樽商科大・埼玉大など)といった今までにない社会人向けカリキュラムなど、様々な新規構想が検討・実施されている。これらは大学院重点化がなされていない総合大学(旧官立大)や地方大学で多く見られ、高度職業人養成という「種別化」の流れに乗ろうとするものである。

 

第六に、教員養成系大学・学部の再編統合、法科大学院(ロースクール)構想など、教育・研究分野全体を巻き込む再編の動きがある。これらは、一見したところ、少子化や教育改革、法曹改革などの社会的要請に応える動きに見えるが、実際は「選別と淘汰」「種別化」といった大学再編の動きとリンクしている。ここでは、今後の教育改革や法曹改革のありかたを真摯に検討するというよりも、まず、「選別」と「種別化」が前提となっている。

 

さらに、第10次定員削減の具体化は、従来から進行しつつある、部局事務の解体と事務組織の弱体化を通じて、部局自治を破壊するとともに、大学事務機構の隅々まで文部科学省の統制によるトップダウンの大学運営を常態化させることになろう。

 

3.独法化と「競争的環境」による大学システム解体の危機が迫っている

 

かくして、独法化は大学に何をもたらすかは一層鮮明になった。それは、文部科学省の強大な統制下での「競争的環境」の形成であり、そこでの選別と淘汰であり、他方での集中の過程である。「競争的環境」とは、統制と管理の新しい形態にほかならない。

統制と競争・評価、それらを通じた大学への干渉、この自己運動システムが形成されてしまうか否かの瀬戸際に、わたしたちは立っている。

 

第一に、独法化によって、25%定員削減を始めとする「行財政改革」が遂行される。大学の再編・統合と全体規模としての縮小、小規模大学、単科大学、地方大学の淘汰、学部の縮小と東大など大学院重点化した大規模大学への一層の集中が進むであろう。大学はこれまでにもまして、一層緻密に序列化され、種別化されよう。大学院重点化大学などの研究大学、職業人養成のプロフェッショナル大学院、教養教育中心の大学などに種別化され、相互に階層的序列化が生じる。国立大学の全体としての規模の縮小により、学部教育は私立大学への依存を一層高めることになろう。地方大学の高等教育の機会均等に果たしていた役割は見捨てられる。これこそ、選別・淘汰と集中を目的とする独法化=「行財政改革」が国立大学にもたらす必然の結果である。

 

第二に、選別・淘汰と集中を同時に遂行するための装置として、「競争的環境」が形成される。競争的経費の拡充、「客観的な評価」に基づく資源配分、任期制の導入などが進められ、この要として大学評価機構などの評価システムが存在する。

文部科学省による研究教育への管理・統制の下で、基盤的研究費の極小化と任期制による身分の不安定化をてことして飢餓状態での競争が行われる。ここでの数値化された「客観的評価」は、諸個人や大学、学部の優れたものを伸ばし、励まし、足らざるところ、劣るところを補い、底上げするものとして機能するわけではなく、大学、学部、学科、個人レベル、それぞれにおける選別、切り捨て、他方での集中を、「客観的」な数値化された評価を根拠に進める「万能の権力」として機能する仕組みとなる。この結果は直ちに再編統合、定員削減、財政削減に結びつく。

しかし、これだけにはとどまらない。大学の研究や教育、運営において必要不可欠な要素が破壊されるであろう。大学の活動は、大学内における各構成員の協力、協働によって成り立っており、異なる分野間の共同も必要である。また、大学間の共同も必須である。このような共同的在り方が、競争的関係の中で破壊され、解体し、それぞれが競争に投げ込まれ、選別、切り捨てが起こるとしたら、それは大学にとっては致命的なことである。これらを通して、大学システムの解体が進む。大学にとって、もっとも基礎をなす個人の知的な、内発的活動に対して抑制的雰囲気が形成される。個人の発意を基にする基礎的研究や自由な教育が失われ、大学内の自由の空気が失われる。選別・淘汰を目的とする「競争的環境」には、自由が存在する余地はない。

 

第三に、「競争的環境」で勝ち抜く、言わば研究企業、教育産業としての大学を運営するために、経営者としての学長に権限が集中され、トップダウンの大学運営が進む。そして、大学の自治的運営は姿を消す。

学長への権限集中、学長選挙の廃止、「タックス・ペイヤー」即ち、政治家や企業人などの学長選出への関与、教授会の大学運営権限剥奪、任期制導入による教員身分の不安定化、こういった事柄を積極的に進めるよう、「5.9自民党提言」は主張している。こうなれば、もはや大学において教員の大学運営への自治的関与は存在しなくなるに等しい。教員は、自らの労働とその成果について自律的に関与する権限を奪われていく。学問の自由を担保する大学の自治的運営は解体する。職員にとっても、教員と協働して大学の運営と業務の遂行を自発的に担う自由を奪われていく。

「競争的環境」は、大学の自由を奪い、大学システムを解体するものに他ならない。

 

4.大学の主体性を回復し、復権しなければならない

 

国立大学の独立行政法人化の検討が進むなか、「自主的」で独法の先取り的な「改革」が矢継ぎ早に行われようとしている現在、私たちは、いかにしてこの流れを押しとどめ、どのような打開に向けた行動をとればよいのだろうか。

 

状況は厳しく、事態は切迫している。

わたしたちは、これが原理原則に関わる問題であり、問題となっているのは、大学というシステムそのものの存廃であるという普遍的認識から、事態に立ち向かわねばならない。個別生き残り的、状況追随的な行動では、事態は打開できない。それは、独法化への道をまっしぐらに進み、大学を崩壊させるだけである。現在の事態の背景の一つには、自らの所属する大学がいかに生き残るのか、という個別大学の生き残り路線があることは明らかである。

しかし、このような対応は、大学院重点化や教養部解体の際にも見られた行動パターンであり、結果は現実が証明する通り、大学全体の状況を一層悪化させたことを思い起こすべきである。個別大学の生き残りではなく、大学システムの生き残りを考えるべきなのだ。

 

大学のシステムとしての危機は、直接的に大学と大学教職員の危機を招くばかりか、未来の社会の危機を招来する。誰しもが感じているように、現在は、極めて深い社会の奥底における転換の時代である。わたしたちは、現在の社会システムがいつまで続くのであろうか、このままの延長上に次世代の社会はあるのだろうかという懐疑にまといつかれて生きている。未来の世代がこの高度に文明化された社会を維持し、発展させるためには、何よりも、その知的・文化的素養の高みを常に作り出していかねばならない。このためには、大学は極めて枢要な位置を占める。これを、「金融機関の競争と自己責任の時代が始まった。大学行政にも同じような改革手法が求められている」(「朝日新聞」10月24日社説)というような粗野なやり方で扱ってはならない。

 

現在の国立大学の全体的規模を縮小すべきでない。これを維持し、発展させるのに必要な国の財政的支持が可能なよう、財政政策自体を改めるべきである。1県1大学原則は必要である。社会を地域の市民の自治によって形成することは不可欠であり、そのための知的・文化的中核としての高等教育機関はぜひ必要である。これを切り捨ててはならない。分権化こそが、次の社会のキーワードである。また、研究を大学院重点化した12の大学のみに集中させて行うというのも誤りである。多様で重層的な自由な議論、切磋琢磨と協働の場があってこそ、基礎的なもの、先端的なもの、優れた研究は生じてくる。大学に自由を与えるべきである。高等教育への財政的保障、財務運営の自由、学長選出など、大学運営への関与における構成員の自治、事務職員人事の保障など、大学の自治を一層強化することこそが、社会に貢献する大学を生み出す基礎となる。

 

おわりに

 

独法化と「競争的環境」は大学の自由を奪う。

国大協と各大学は、大学教職員の力と智慧に依拠してこの事態に立ち向かうべきである。

国大協は、文部省調査検討会議の議論に参加することをやめ、特別委員会の強化を図るべきである。特別委員会への参加と協力、議論と行動を全国の大学に呼びかけるべきである。全国の大学教職員が、様々な検討、研究グループを無数に作り上げること、その議論の結果を早急にとりまとめ、国大協特別委員会へ集中することを求めるべきである。

また、国大協は、大学評価機構の評価システムが「競争的環境」作りの機構として機能することを阻止するために全力を注ぐべきである。

われわれは、改めて、独法阻止のために、大学が抱える諸課題を分析し、その方策を提起する活動を、全国の教職員が独自に組織し、その結論を国大協に意見書として提出することを呼びかける。また、進行する「競争的環境」作りに反対する行動を共同して作ることを呼びかけたい。

とりわけ、評価システムに関わる検討と行動は緊急に必要である。校費配分の平等原則の維持、また校費縮減に伴う非常勤職員の雇傭保障問題、任期制導入に反対する行動など、様々な場で直ちに取り組むべき課題は多い。

眼前で進行する事態に、たとえ一人であっても抗い、苦闘することが、やがて一つの典型を生み出し、仲間を励ます。こうした個々人の勇気が全国的な連帯行動の形成を促し、事態打開の突破口となるであろう。

 

わたしたちは、現存する大学の課題を打開すべき方策を、科学として研究し、その結論を共同行動に高めなければならない。「競争的環境」が教職員個々人を分断していく流れに抗し、共同と連帯にもとづいて大学システムを建て直すことが、今、求められている。

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