独行法反対首都圏ネットワーク

21世紀の大学改革をどうすすめるか
2000.11.2 [reform:03227] 首都圏教研での講演
10月28日に行われた東京私大教連主催の第23回首都圏私大教研で講演する機会がありました。言葉足らずの点が多く見苦しいものですが、みなさんのご批判をお願いしたいと思います。ご意見ください。
 
         21世紀の大学改革をどうすすめるか
        ーーユネスコ高等教育宣言・教育基本法の意義ーー 

                                                蔵原 清人 (工学院大学)
                                                東京高等教育研究所事務局長 

  今世界が激しく動いている。その中で大学もその変化への対応を求められ、様々な改革が進められている。われわれは世界と社会の進むべき道を見通し、教育・学問・文化の本質を見極めて、大学の民主的な発展のために尽くさなければならない。
 世界の流れは、いずれの国でも高等教育を励ましつつ、教育と研究の充実、自治を強化し、量的普及を進める立場をとっている。財政的サポートもできるだけ広げようとしている。日本の政府の政策がこの流れとは大きくずれていることは厳しく批判されなければならない。
 私たちは21世紀に向けて日本の大学の発展充実のために取り組みを進めていく責任がある。大学を生きがい、働きがいのある職場、学びがいのある学園にしていくとともに、国民・市民と力を合わせて国民のための大学を作り上げていきたい。
 
1 政府・財界の大学・教育政策の動き
  87年の大学審の設置以来、様々な答申が行われ次々と大学の「改革」が進められている。とくに98年の答申以来、その激しさを増している。
  現在、国立大学の独立行政法人化、国立大学の再編成が進められようとしている。これが実施されれば、ひとり国立大学だけでなく、私立大学や公立大学にとても大きな影響があろう。現に私立大学団体は国立の独立行政法人と私立の学校法人との関係や両者の会計制度が問題になるとして検討を始めている。また私立大学においては理事会のトップ・ダウンが一層強まることになろう。
  この間の大学政策は、日本経済が国際競争力を付けることを最大の目的として、科学技術立国政策にそって展開されてきた。新学部学科の設置の行政的誘導やCOE(センター・オブ・エクセレンス)、TLO(技術移転機構)の設置を進めている。また大学についても、教職員個々人についても競争的環境におき、その活動や研究の成果は外部や第3者の評価にさらして資金の配分に連動させる方向が強められている。教員の任期制もその一環である。
  さらに最近では森首相の「神の国」・教育勅語発言、自民党の憲法・教育基本法改正論があいつぎ、教育改革国民会議の中間報告では、内部の根強い反対の声を押し切って教育基本法の改正につ国民的議論を提起した。
  今年の暮れには、大学審は大学入試の改善とグローバル時代に求められる高等教育の在り方について答申が予定されるし、中教審は新しい時代における教養教育の在り方についての答申が予定されている。このように答申が相次いで予定されているのは、来年1月からの省庁改編によって各種審議会も再編成されるからである。そしてそのことは一層の「改革」ラッシュが始まることを意味している。
  すでに財界も次々と提言を行っている。また各種審議会等に財界人を委員として出席させて直接、要求を政策に盛り込もうとしている。
  このように矢継ぎ早に高等教育問題の政策を展開している。これらの政策は次のような特徴を持っている。
 @日本経済(企業)の国際競争力・生き残りのための大学政策・科学技術政策である。
日本の国際的競争力を高めるためには、科学技術の発展による新技術・新製品の開発であり、新産業の育成である。今日の経済情勢の中で企業は基礎研究を進める余裕がなく、そのために大学の研究開発能力に期待している。このために大学の持っている能力、可能性を当面の必要に根こそぎ動員しようとするもの。大学の使い捨てが始まっている。
 A省庁再編によって文部省が文部科学省になるがこれによって大学問題の経済政策への従属がますます進行するだろう。これまで高等教育と学術政策は分離していたが、今後は統一されていくだろう。それは予算の分配の問題から、大学という機関・組織そのものの改革へと進んでいくことを予想させる。また総務省の権限が強まり、政策策定においてもトップ・ダウンが強まるだろう。
 B社会や生き方についての「新しい哲学」を生み出そうとしている。積極的に@の目的のために努力する個人を生み出すことを目的としている。人文科学も政策に寄与する学問として期待されている。教育基本法の「改正」や道徳教育、教養教育の重視はこうした側面があることに注意すべきだと思う。
 C人材政策としては、エリート依存の政策である。これは大衆蔑視と裏腹であって、教育を普及することには一貫して消極的。大衆に対しては教育は統治の手段であって、道徳重視。エリートとなる人は早期に発見して重点的に競争的環境の中で教育する。文化・学術でも、社会全体の底上げは考えていない。従って授業料を下げることや奨学金の大幅増額は全く考えていないのである。
 
2  政府・財界の政策はなにが問題か
 こうした政策の中で、いまや大学の教職員は「改革」に追いたてられ日常の教育研究や業務を遂行するのにも大きな障害がでている。目先の「成果」が見えることに人員やお金を割り当てることになり、大学としての長期的な見通しを持った活動の積み上げがしにくくなっている。
 長引く深刻な不況の中で国民生活は圧迫され、経済的理由での退学者が増えている。学生の多くは遠距離通学やバイトで追われるなど勉学条件が厳しくなっている。私立大学・短大の定員割れが進行しているが、個々の大学の問題はあるとしても、大局的には高学費が負担しきれず奨学金もわずかしかない状況の現れである。
  こうした中で私立大学経営陣は教職員の削減などリストラ・減量経営を進めている。大学の社会的意義に基づいて大幅な国庫補助を要求するという姿勢はきわめて弱い。最近はアウトソーシングが強調されているが、全く営利企業と同じ手法しか考えていない。これでは大学の機能はますます弱体化するだろう。そして教職員の負担はますます大きくなっていくだろう。
  現在の政府の政策は、大学教職員の期待と相容れないし、学生や父母、国民の要求とも相容れない。さらに憲法・教育基本法、ユネスコ宣言と対立するものである。
 @学術文化が経済にとって重要であるにとどまらず、人類の福祉と進歩、民主主義と平和、地球環境の持続的発展にとって重要であるという視点が欠落している。今日の社会、人類が直面している問題は科学的な調査研究なしには解決できないものばかりである。
 A21世紀の国際社会を支配する原理は、競争ではない。すでに東アジアでは平和の流れが大きく動いている。それは相互理解と尊重、協力と共同を進めることであり、多文化社会、平和と民主主義を発展させる社会をめざすことである。日本のような先進諸国はこの面での貢献を世界に対して行わなければならない。政府・財界の政策はこのようなユネスコの理想、日本国憲法・教育基本法のめざす社会の理想を無視している。
 B学術文化は、真理を探究するものだからこそ政治などから独立し、学問の自由が保障され大学の自治が保障されなければ健全な発展はできないという認識に欠ける。学術文化の発展のために研究者、大学教職員のもつ崇高な責務を無視し、政策遂行の単なる要員ととらえている。
 C大学や教育研究は長期にわたる努力の積み重ねの中で結果がもたらされるものであることを無視し、資本の投下に見合う利益の回収という資本主義的「効率化」の視点からのみとらえている。したがって必要な部署・課題に手厚く人員や予算を配分するというのではなく、評価し、競争させてできるだけ少ない人員で「効果」をあげるという政策となる。これでは学問の後継者を育てることはできない。
 D学術文化の発展、高等教育の普及は国民(市民)の権利を保障するものであり、学習や研究は人間の本性にねざしたものという事実を否定している。大学審は大学進学も2009年には希望者が全員入学できるというが、進学率は60%弱を想定しているにすぎない。社会を担う国民が高等教育を受ければ社会の発展に大きく貢献できる。アメリカは全員入学をめざし、韓国は現在すでに進学率60%になっているという。
 
3  戦後教育改革とはなんだったのかーー教育基本法の歴史的意義
  1)自民党や森首相は教育基本法の「改正」に執念を燃やしている。彼らの「改正」案によれば日本の伝統の尊重、宗教心や愛国心の涵養などを取り入れようとするものである。それは要するに教育勅語の内容を現代に復活させようという野望である。もしそのようになれば高校までの教育にとどまらず大学においてもそのような教育を強制されることになりかねない。このような動きを前にして、戦後日本国民が教育勅語を廃止して教育基本法を確立したその深い意味を顧みておく必要がある。
 日本国憲法は、国民と人類全体を惨禍に落とし込んだ戦争と戦争を起こした政府の責任を深刻に反省し、国民主権、戦争放棄、基本的人権などを定めた。そして、教育基本法ではその憲法の理想の実現は教育の力にまつべきものとして、教育の原則を定めた。
  また、ユネスコは平和と民主主義の発展を目標として戦後設立された教育、科学、文化の国際機関である。ユネスコの精神は教育基本法と完全に一致している。ユネスコの高等教育の教育職員の地位に関する勧告と高等教育世界宣言は、こうした原理を国際的に再確認し、現代の課題に即してとらえ直すものなのである。
  したがって日本国憲法と教育基本法は「50年も前の古くさいもの」ではなく、50年も前に今日国際的に認められるようになった諸原則を確定した、誇るべき先駆的意義を強調すべきである。
  2)戦後の反省は、戦争そのものとともに、国民を戦争に駆り立てるために教育・文化が果たした役割に、あるいは政府が利用したことにも向けられた。その一番の要は、教育勅語である。教育勅語はいろいろな徳目(道徳の内容)をあげているが、要するところは「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし」という点につきる。同時に教育勅語に示す考えに「教育の淵源」があるとし、教育は「神聖なる天皇」(帝国憲法)の大権として議会や国民の干渉を排除した。つまり、教育に関することは(予算を除いて)天皇の意志であるとしていかなる批判も許さない体制を作ったのである。また教育勅語の原理は「之を中外に施して悖らず」(国内国外に適用して恥じることはない)として、海外侵略とそこでの教化を正当化する根拠となった。
  教育現場ではこの他、国定教科書の使用(明治37年以降)、教師は天皇の代理として児童を教育するなどが制度化された。戦争が激しくなると、学校・教員を通して軍関係の学校への志願が様々な形で推進、強要された。最後には国内の労働力不足を補うため学校を通しての生徒の勤労動員が強化され、授業は停止した。このように、国民を戦争に動員するにあたって警察や新聞・ラジオ・出版と並んで教育は重要な柱だった。
  これらは主に初等中等教育のことである。高等教育では勤労動員や学徒出陣はよく知られている。大学人として深刻に考えなければならないことは、大学人と一般国民を厳しく分離し、大学教授に特権を与えることによってその行動を規制したのである。「末は博士か大臣か」という言葉は大学教授の地位を象徴的に示している。こうして真実を国民に伝えないための仕組みがつくられた。たとえば、考古学や歴史学の教授がいろいろ教えたことを口外無用と学生にくぎをさしたことが伝えられているし、逆に翻訳書は発禁にされても原書(もとの外国語の本)は輸入可能であった。鴎外の「かのように」は戦前期、少なくない知識人の姿勢であった。それらの人々はそうした姿勢をとることによって体制からの利益を受けていた、すくなくとも自分の地位や生活を保全しようとしたのである。
 戦前においては、「大学は国家に須要なる学術の理論および応用を教授し、ならびにその蘊奥を攻究するをもって目的」(大学令)とされたのである。すなわち、大学は私学を含めて国家のための存在であったのである。もちろん、こうした知識人や大学教授の姿勢を批判して、国民のためにたたかうものもいた。また大学自治のためのたたかいも様々に行われて、一定の成果も上げた。しかし、一般国民から見れば大学はなかなか遠い存在であったといわなければならない。
  3)戦後の民主化の中で、大学人も国民の立場から大学の民主化を進め、国民のために科学的な真実を解明し、持っている知識と技術を国民生活の向上のために生かしていこうとした。さらには高校までの教育においても、その中心に科学的な真理を置き、わが国の文化と民主主義の発展に貢献しようとしてきた。法律上も、大学は社会における「学術の中心」(学校教育法)とされ、国家のための教育研究機関という性格は明確に否定された。そして国民にとっても親しい、開かれた教育研究機関となった。
  こうした戦後の決意を振り返り、その後積み重ねてきた、国民のための大学をめざし、学問の科学的な研究と民主的な発展をすすめる運動を引継ぎ発展させていく必要がある。このことは今日の政策動向を考えるとき、いっそう重要な課題となっている。われわれは国民の一員であり、国民の代表として教育研究に携わっているのであるから、こうした運動は国民とともに、国民の支持のもとで進めることが不可欠である。同時に、日本国民の中には様々な民族に属する人々がいるし、国際的な交流・連帯も求められているのであるから、国民の視点とともに多文化の視点が重要である。
 
4  われわれはどんな21世紀の大学をめざすのか
  1)21世紀の入り口にたって、日本の高等教育についても、日本国憲法と教育基本法の精神を一層、実現していくよう努力することが重要である。同時に、今日の高等教育についての国際的合意である、ユネスコの高等教育世界宣言と教職員の地位勧告、さらには科学宣言の内容をわが国に定着させていくことが重要である。
  ここで政府も私立大学団体も高等教育の政策研究を強めていることに注目しておきたい。文部省の国立教育研究所は独立行政法人化せず国立教育政策研究所に改変される。すでに各種審議会等に研究室長などが委員として出席している。私立大学協会は今年6月に私学高等教育研究所を発足させ研究員を広く委嘱し活発な活動を始めている。私立大学連盟も同様の動きがある。これらの動きは、今日の高等教育問題は単に審議会の検討だけではなく、研究的に問題を分析・検討していかなければ、どういう立場からであれ解決の方向が示せなくなったとことである。こうした状況の中で、東京私大教連の設立による東京高等教育研究所が教職員、国民そして教職員運動と組合の立場からの研究を進めていることの意味は大きい。国立大学の組合である全大教も研究組織を発足させた。
  2)こうした中で国民の立場からの大学・高等教育研究や政策提言が始められている。教職員組合や市民団体、有志個人でつくられた日本の教育改革をともに考える会は、21世紀への教育改革提案「人間らしさあふれる教育をめざして」を今年1月に、それを含めた検討の経過や考え方をまとめた報告書「21世紀への教育改革をともに考える」を4月に発表した。(いずれもフォーラム・A発行)この中には高等教育についても取り上げている。また日本科学者会議は、今年6月に『21世紀の大学像を求めてー競争・管理から共同・自治の大学づくりの提言』(水曜社発行)をまとめた。
 ここでは私がとりまとめにあたった考える会の提案・報告書について内容を紹介するとともに、大学の中からの改革の課題を考えてみたい。これらは国民・市民に向けてまとめられたものなので、大学人にとってはいい足りないところもあるだろうが、ひとまず検討の手がかりになるのではないかと思う。
  提案は、高等教育について、「すべての人にひらかれ、社会の期待にこたえる高等教育を」として、次の4つの柱に沿って実現すべき課題をあげている。
    1 すべての人々に高等教育の機会の保障を
    2 高校教育をゆがめる大学入試のあり方の改革を
    3 教育・研究の充実した、学生が中心にいる大学を
    4 学問の自由・大学の自治をまもり、日本の大学の創造的発展を
  報告書では、これらを8つの角度から問題点を検討し背景となる考え方をまとめた。特に、高等教育が社会全体の発展のために必要不可欠となっていること、すべての人々の高等教育を受ける権利を認めること、受益者負担主義や教育投資論を克服し大幅な国庫支出拡大を実現すること、人類と社会の発展を進める立場から教育研究の充実を図ること、学生を含めた大学人が自主的に大学改革を進め自治を発展させることなどを強調している。
  ここでの中心は、高等教育を受ける権利をすべての人々の権利として認めること、その実現のために大学の定員抑制策をやめさせ教育財政や入試など様々な制度的保障を実現すること、また大学教育を受けることがもっぱらその個人の利益のためであるかのようにいう教育投資論と受益者負担主義を批判することなどを提案している。
 3)こうした教育を受ける権利の保障のためにも、大学人による教育研究の充実、自治の強化、学術の発展の努力が欠かせない。その際、大学の構成員の一員である学生とともに改革を進めるという視点が重要である。
 @個々の大学レベルで構成員の合意形成に努め総意を踏まえつつ、自分の大学のこれまでの実績を積極的に評価しつつユネスコ宣言に示されるように大学の充実と社会への貢献を進め民主的運営を進める必要があろう。学生の学習要求を積極的に受け止め、カリキュラムや指導法をはじめとする教育の充実を進めることが重要である。今日、私立大学などで定員割れなど深刻な状況があるが、これは教育を受ける要求が後退したのではなく経済情勢の変化によって学費等の負担が過重になってきたことによるところが大きい。それぞれの大学によって具体的な事情は異なっているが、国民の立場からそれぞれの大学の意義・役割をどれだけアピールできるかが大切になっている。
 Aまた、今日の日本や世界、地域の課題に応える研究を積極的に進めることがきわめて重要になっている。学術研究は経済的発展に貢献することもあるが同時に人類の様々な問題を解決する活動であり、真理の探究というもっとも人間的活動であるといえる。平和や民主主義の問題、貧困や疾病をなくす取り組み、地球環境の持続的発展をめざす課題、国際理解を広げ多文化社会、国際的協力・共同を広げる努力など、われわれの側からも積極的に提案し取り組んでいく必要がある。これらは教職員が大学に職を得た初心を実現するものであり、多くの人々の積極的な努力を進めることにつながっていく。そして大学が社会の期待に積極的にこたえる道である。
 B私立大学の課題としては、なによりも管理運営の民主化と大学の自治を発展させることである。私立大学における自治は、国立大学と比べて一般に大きく制約されている。この克服なしには、私立大学における教育と研究の発展も難しい。教授会やそのもとに置かれる委員会などが学内の重要問題を積極的に審議し、解決を図るために努力する必要がある。そのためには学長・理事長からのトップ・ダウンをやめさせ、教職員の合意形成と総意に基ずく運営に努めることが必要である。理事会に対しては大学のこのような努力と形成された合意を尊重するよう要求し、大学の自治を認めさせていく取り組みをそれぞれの大学の条件に応じて進めていくことが必要である。財政公開も引き続き要求し、公開された財政を組合の視点から分析する活動を進めよう。
 C大学のある地域への貢献を積極的に果たすことは私立大学にとっても重要な課題である。どんな大学か、なにをしているのかがわかる地域や住民に開かれた大学にすることが大学への支援を受けるためにも、学生の募集にとっても大切になっている。公開講座の開催や学園祭、オープン・キャンパスで市民の参加を呼びかけること、多様な学習要求を受けとめ科目等履修生、社会人入学を含め広く学生を受け入れる努力を進めること、自治体、高校などの開催する講座や講演会への協力参加など様々な期待がある。大学の研究能力を生かして住民や地域自治体、業界団体や様々な運動などからの研究委託を受けるといったことを組合としても積極的に考えてよいのではないだろうか。すべての大学でこうした努力をすすめ、地域との結びつきを広げていくことは大学の社会的責任の重要な内容である。
 4)今日とられているようなもっぱら経済のための大学政策を大きく転換することが日本の大学の健全な発展のために不可欠である。大学に対する不当な規制や行政指導をなくすとともに、行政に左右されない大学・高等教育・学術研究の公的研究機関の設置(国立教育研究所等の自主的民主的運営の保障)など制度的課題についても、多くの関係者の意見を集約しつつ検討を進める必要があろう。
  高等教育や学術研究の重要性に見合った国庫支出の大幅な増加を要求することが必要になっている。なかでも私立大学は、大学数、学生数においても7割、8割を占めている。地域的配置も国立大学、公立大学のない地域にも広く設置されている。国民の教育権を発揮した結果であるとともに、教育を受ける権利を保障する機関として大きな役割を果たしている。こうした役割を社会にアピールし、国民の期待にこたえる私立大学を作っていくことによって、私大助成を増やし、経営を安定させるとともに授業料を引き下げることが重要である。
  日本における大学政策を国民の要求を中心としたものに転換していくためにも、国際的な状況を認識しつつ、日本の条件にあった目標をまとめていくことが重要になっている。この取り組みを広範な国民とともに運動を進めていく必要がある。
 その一環としてユネスコの宣言・勧告に沿って日本の大学、それぞれの大学の現状や課題を明らかにする「点検運動」を呼びかけたい。その結果に基づいて文部省などに対して要求する運動を進めるとともに、必要な問題については国際世論に訴えることも検討していいのではないかと思う。
  それとともに日本国憲法と教育基本法を改めて読み普及する活動がいそがれる。その意義を伝えるとともに、大学教育の中でも様々に取り上げていくことが重要である。そしてそれらを守り、生かしていく運動を進めていかなければならない。
  これらの運動を進めていくために、教職員組合の果たす役割はますます重要になっている。活動を活発に進めるとともに新しく組合を作り、運動をさらに広げていきたい。
 
蔵原清人(工学院大学)
Kurahara@cc.kogakuin.ac.jp



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