「人間を幸福にしない日本というシステム」抜粋
2000.1.24 [he-forum 1442] 「人間を幸福にしない日本というシステム」抜粋
本の紹介です。5年ほど前にベストセラーになったもので、よく御存知の方も
おられるかと思いますが、10月に文庫本となりました。
辻下 徹
---------------------------------------------------------------------
カレル・ヴァン・ウォルフレン(鈴木主税訳)
「人間を幸福にしない日本というシステム」抜粋
新潮OH!文庫 ISBN 4-10-290008, 2000.10.10刊.
もう少し詳しい抜粋は以下にあります:
p38:「しかたがない」について
「しかたがない」と言うことは、政治的な主張である。...「しかたがない」というたびに、いま自分が問題にしている点を改めようとする試みが、すべて敗に終ると言っているのに等しいからだ。こうして、変革をもたらそうとする試みはいっさい成功しないと考えるよう、他の人々に勧めていることになる。」
p65:社会の「政治化」について
「...もはや政府と民間の区別ができないというのは、社会のほとんどが政治システムに組み込まれていることを意味する。..これを社会の「政治化」(politicization)という。日本の社会は、ほぼ完全に「政治化」されている。
この「政治化された社会」という概念は難しいので、あとでもう一度、わかりやすく説明するつもりだ。これは日本のp市民に覚えておいてもらいたい最も重要な概念の一つだからである。」
p79:日本の経済構造の歪みについて
社会学的観点からしても心理学的観点からしても、経団連や日経連をはじめとする経済団体と系列企業が日本にもたらした経済構造は、日本にたいへんな損害を与えつづけている。戦後日本の2つの「偉業」−−「奇跡の経済」と中流階級の抑圧−−が、日本の個人生活に多大な犠牲を強いていることは、何度言っても言い過ぎることはない。過程生活の質や個人の人格形成に、日本ほど企業が大きな影響をおよぼしている国は、他には見当たらないだろう。..たとえば日本の教育制度は、経済組織の要求にもとづき、その利益に合致するようにつくられており、経済組織から受ける影響は欧米の教育制度よりもはるかに大きい。」
p96:Responsibility と accountablitiy の混同ついて
今日の状況を考える場合には、2種類の「責任」を区別して論じておかなければならないと私は考える。すなわち、「責任」(responsibility)
と「説明責任」(accountability) である。レスポンシビリティの意識とは、自分の決断や行動が重大な結果を生むかもしれない、だから軽々しく扱ってはならないと自覚していることであり、その意味での責任感なら、日本の政治エリートの多くがもっている。私も、日本の多くの官僚が強い責任感を示すのを見てきた。
彼等に欠けているのは、アカウンタビリティのほうなのだ。
アカウンタビリティに欠けているというのは、自分たちが何をしているのか、なぜそうしているのかを、自分の所属する省庁以外の人に説明するよう求められれていないという意味だ。何が日本にとってよいことだと思うか、なぜそう思うのか。官僚はそれを説明するよう要求されていないため、自分の属する省庁の利益を超えた広い見地からものごとを考えられないのである。」
p153:日本では、官僚の権力が全く管理されていないことについて
「日本の官僚制度が注目を余儀なくさせる側面、同時にきわめて恐ろしい側面は、それを管理するものがいないことだ。日本の市民は、なかなかこれを実感できない。..日本にみられる政治現象は、たしかに他の国でも見られる。だが、強大な権力が公的な権力として規定されないまま闇のなかに据えおかれている度合いや、日本の破壊が政治化されている度合い、また官僚の権力が管理されていない度合いは非常に大きく、その点で日本は全く異質である。日本の市民は、官僚が日本ほど放任されている大国はないという事実に気づくべきだ。」
p192:官僚には、変化への対応という低次元にしか選択肢がないため、状況に
支配されざるを得ない、ということについて
「官僚の選択肢は、変化する世界にどういう戦術で対応するかという低次元にしか存在しない。彼らは状況に支配されるのだ。そして、国家としての日本の目的にかかわる最高のレベルの選択肢は排除される。仲間を説得してそういう高次元の選択肢を考えさせる権限や政治的意思をもつ者は存在しないのである。...」
p192:日本の省庁は誤りを決して認めないことについて
「事態を複雑にする要因もある。官僚も人間であり、人間は誤りをおかすものだ。それなのに、日本の省庁は、自分が誤りをおかしたという事実を決して認めようとしない。このためにすべてが損なわれる。各省庁は、せいぜい広報面への配慮が足りなかったことを謝罪するくらいで、根本的な誤りを認めることはない。」
p250:指導者の無能と構成員の無関心が組織の有害な惰性を引き起こすことに
ついて
「国家や組織の構造について、少し考えてみよう。国家や組織の成員は2つのグループに分けることができる。一方のグループは、組織の運営に実際に関与するわけではないが、運営しているグループを監視し、彼等がきちんと仕事をしていなければ干渉する義務がある。前者のグループの無能力と、後者のグループの無関心が、有害な惰性を引き起こす。
p256:国家予算を官僚がすべて決める国は日本だけ
「民主主義を標榜している先進工業国で、政府の使う金の額とその調達方法を、選挙で選ばれたのではない官僚がすべて決定する国は、日本以外にはない。日本以外の国では、これらの問題の少なくとも大部分を、選挙で選ばれた政治家が決めている。
p258:「しかたがない」という政治的言葉を辞書から追放すべきことについて
「個人はすべて、少しだけなら自分の環境を変えることができる−−この点は、誰もが認めると思う。みなさんにも、そのような経験が少なくとも数回はあるはずだ。そこからもう一歩進んで認識すべきなのは、とても小さな努力の積み重ねが突如として大きな結果を生むことがあり、それがさらに重なれば重大な変化をもたらしうるということだ。言い換えれば、日本を変えるための小さな貢献が的を得たものであれば、しかも他の人々の小さな貢献とうまく結びつけば、かなり有意義な結果が得られるかもしれないのだ。
だが、そのためには、まず基本的かつ重大な一歩を踏み出さなくてはならない。その最初の一歩は、日本で最も頻繁に使われている「しかたがない」という政治的な言葉を、あなたの辞書から追放することである。これからは、決して「しかたがない」と思ってはいけないのだ。」
p264:日本では、制度と思想を通して組織的に偽りの情報が流されていることについて
「私が知っている多くの欧米諸国やアジア諸国とくらべて、偽りの情報が組織的かつ狡猾な手口で流されている点で、日本は最悪だ。..みなさんは、偽りの情報を流す大きな媒体について知る必要がある。それは制度と思想である。
制度のなかには、大半の日本人が決して疑いを抱かないものもある。また、思想のなかには、日本人がいつも当然のように受け入れているものもある。」
p322:日本の市民社会は大新聞により乗っ取られていることについて
「日本の市民社会の悲劇は、乗っ取られたことだった。市民社会が繁栄する見込みは、独立した労働組合がつぶされ、戦後に短期間ながら独立していた司法機関がふたたび官僚の支配下におかれたとき、すでに大きく損なわれた。だが、日本の市民社会を最終的に乗っ取ったのは、大新聞だった。大新聞は、批判的な政治分析を妨害し、官僚の権力を支持し、世論を反映するのではなく捏造し、巨大な偽りの現実をかかげて、市民社会を乗っ取ったのである。」
-----------------------------------------------------------------------
目次に戻る
東職ホームページに戻る