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地域に根ざす教育学部の存続を
2000.11.8 [he-forum 1393] 地域に根ざす教育学部の存続を
奥 忍さん(和歌山大学教育学部)の代理投稿です。
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地域に根ざす教育学部の存続を
現在、世界の多くの国々において、二一世紀に向けての力強い社会を作るためにはその基盤である教育の充実こそ重要だという考えを基に教育改革が行われ、新しい教育基準に適合する教員養成制度の変革が進行中である。
このような情勢下、日本では文部省が本年八月に国立大学教育学部統廃合の方針を明らかにした。目的は少子化時代の教員需給に見合った教員養成を効率的に行うことにある。
しかし、学校教育は現在いじめ、不登校、学級崩壊など多くの問題を抱えている。そのような中での教育学部の統廃合は学校教育のさらなる悪化を招くことになる、と考える。
国立大学の教育学部は義務教育の教員を主対象にした計画養成機関であり、明治十年に府県に移管された師範学校を引き継いで昭和二四年には各都道府県に必ず設置された歴史を持っている。全国の教育学部ではこれまで子どもたちの日常生活や地域の自然、社会と密接な関わり合いを保ちながら研究と教育が進められてきた。
IT時代には子どもたちの教育においてもこれまで以上に共通性・国際性が重視されるだろう。だからこそ特に初等教育においては子ども一人ひとりの原点として身体性や生活に基づいた教育が行われなければならない。身体性や生活の具体性を排除すれば子どもたちの「生きる力」は脆弱化し、徒に抽象的な人間が育つだけである。教育学部でははこれまで以上に子どもたちの地域性・具体性と関連させた研究と教育を行う必要がある。学部教育の主体的改善が必要とされるが、同時に制度的には統廃合によって教育学部の地域性を喪失させてはならない。
地域に根ざす教育学部を存在意義を高め、一方で直面する学校荒廃問題を解決するための施策として、義務教育の学級定数を縮小して教員数を拡大し、若い教員の比率を高めることが考えられる。学級定数については、アメリカやイギリスはいうに及ばず、イタリアやノルウェー、ルーマニアの小学校でも既に最大三〇人を切っている。
一方、文部省は逼迫する財政を理由に「四〇人学級」維持の方針を出した。とはいうものの二〇〇〇年度版OECD掲載の調査結果によれば、全教育機関のために要した経費の対国内総生産
(GDP)に対する比率は二九カ国中トルコ、ギリシャに次いで下から三番目という貧しい状態である。
近年、子どもをとりまく自然や家庭環境が変化し、家庭と社会の教育力が低下する中で学校の役割が大きくなっており、しかも深刻な学校荒廃問題が存在する。今、必要なことは学校の環境を改善し、学校の中で子ども一人ひとりにとっての学びと仲間集団の充実を保証することである。そのために学級の少人数化が必要とされる。カウンセラーの配置は対症療法にすぎず、問題の本質的解決に結びつかない。三〇人学級実現は、私たちの社会が教育の重要性をどの程度認識し、どう予算を重点配分するかについての試金石である。
四〇人学級を維持したままのゆとりのない教員数で子ども一人ひとりの個性と能力に合うように学習集団を柔軟に編成することは不可能である。また、新規教員採用が退職者数より大きく下回る現状では、指導と学習に関する学校文化の継承と発展のパイプが細くなり、学校教育は弱体化する。種々の学校問題を解決するために教員採用数を増加することが早急に必要とされている。
教員数拡大の第二の施策は近年増加している「講師任用」システムの改善にある。正規の教員数が少子化と四〇人学級実現のバランスの上で減少する一方、講師数は平成十一年度の場合、例えば昭和五八年度の一一七%、中でも兼務の講師は二二六%の高率である。
講師の仕事は期間限定の本務教員の代理である。彼らを「必要に応じて移動可能な教育委員会付教員」として正式採用することは不可能なのだろうか。引き締められた財政による運営の困難を、教員にとっても子どもにとっても不安定な講師任用でしのぐ施策は改善されるべきである。
明治の学校教育の急速な普及や第二次大戦後の復興の背景には教育を重視する社会意識があった。そのような教育重視の伝統を経済優先の論理でつぶしてはならない。
奥 忍 (和歌山大学教育学部)