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東大をハーバードに変身させる方法
国立大学の教授陣にも成果主義を
はっきりわかっていることの1つは、国立大学が独立行政法人化し、効率化や目標管理導入を目指すとしても、教授の身分は国家公務員のままとどまるという点である。しかし、国家公務員には国家公務員法の縛りがあり、その縛りが最近幾分緩和の方向にあるとはいっても、十分に自由な活動が保証されることは期待しがたい。
最も重大な縛りは、国立大学教官の処遇体系である。ここでは民間で推進されている「成果主義」の動きはほとんど進む気配がない。国家公務員の処遇はほとんどが人事院勧告に従って決まるが、大学の場合は、頑張ってすばらしい業績を上げた研究者も、何もしないで長年論文を書いたこともない人も処遇は変わらない。教育に情熱を傾け、学生たちからも尊敬される先生も、10年来の講義ノートを棒読みする先生も同じ待遇だ。
もちろん、処遇だけで人間のモチベーションが決まるわけではないが、完全に年齢で固定された終身雇用型の処遇体系が大学人のインセンティブに悪影響を及ぼしていることは明らかだ。
一橋大学は世界に通用するビジネススクールを目指して、英語で授業をする本格的な経営大学院を今年秋から東京・神田で立ち上げる。竹内弘高教授をはじめ、有能な人材が集まり、希望の持てるプロジェクトだ。
授業料自由化が大学を変える
しかし中長期に見て、世界に通用するすばらしい教授陣を今のような「年齢給」のシステムでもって確保し続けることができるとは思えない。もし、ハーバードやスタンフォードと同等に評価されようとすれば、教授陣もそれに匹敵する陣容を常に内外から確保する必要がある。問題は、国家公務員法で給与が年齢によって固定されていることにある。自由に処遇の条件をオファーできないままでは本当に優秀な人を得ることは非常に難しいだろう。
また、ハーバード並みのすばらしい教育をしても、自らの教育サービスに対して自由に授業料を設定できず、国立大学の一律授業料に縛られるのだとしたら、イノベーションは生まれにくくなるだろう。
自らの商品に自由な価格付けができず、採用したい人材に自由なサラリーのオファーができないとしたら、それはまさに社会主義の体制そのものであり、様々なイノベーションの可能性は極端に低くなってしまうだろう。
国立大学の改革論議もそろそろこういった聖域にまで踏み込む時期を迎えたのではないだろうか。純粋数学など、基礎研究分野については別途対策が必要だが、自らの教育サービスに自由な価格を設定し、欲しい人材を競争力のある処遇で獲得できる体制は改革への最低限の要件ではないだろうか
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